中山佐知子 2024年1月28日「嗚咽」

嗚咽

   ストーリー 中山佐知子
      出演 石橋けい

結井とは友人の紹介で出会った。     
結井は詩人という触れ込みだった。
会ったはじめから金を持たない男で、
その居酒屋でもお開きの瞬間に大声で
「ご馳走さま!」と言った。
あまりのタイミングの良さに私たちは大笑いをしたほどだ。

プロポーズの言葉は「愛を教えてあげる」だった。
何をほざくかと私は内心激怒した。
でも、退屈はしなくて済むかもしれない。

結婚してみると、結井には定収入というものがなく、
不定期収入もわずかなものだった。
いつも小遣いをせびりたそうな顔をしていた。
私は結井が金の話をするきっかけを潰すことが
次第に巧みになっていった。

あるとき、それで大喧嘩になった。
おまえは、と結井は言った。
おまえは詩人を何だと思っているんだ。
「いつもお金が落ちてないかキョロキョロしてる人」と
私は答えた。
結井は肩を揺らして大笑いした。
はじめて見せた無邪気な顔だった。

何年かして…
結井の詩がときたま雑誌に掲載されるようになったとき、
私はふっと予感のようなものを感じた。
結井は金が入ったときは家に寄り付かなくなっていたが、
それ以上のものを感じたのだ。

案の定、帰宅した結井は
金をくれではなく、別れ話を持ち出した。
金持ちの女の人としばらく海外で暮らしたいという話は
本当のようだった。

望むところだと私は答えた。
タクシー代はあげないけど、いますぐ出ていってください。
結井は手まわりのものを紙袋に入れはじめた。
辞書、何冊かの本、鉛筆…
ガサガサと紙袋が音を立てていた。
そうか、結井はカバンも持っていなかったのだ。

そう思ったとき、何かが喉に詰まった。
声を出そうとしたが、声は出なかった。
空気を吸っても吸ってもちゃんと吐き出せない。
苦しくて涙が出てきた。
やっと声が出たと思ったら、それは号泣になった。
私はその場に自分を投げ出すようにしてわんわん泣いた。

もしこれが愛というものだったとしたら、
結井はやっと最後に愛を教えてくれたのだ。
しかしそれは、美しくもなく清々しくもなく、
落ち葉や泥が惨めに腐って澱んだ
呼吸のできない水たまりのようなものだった。
私は二度とそれを見たくない。

.
出演者情報:石橋けい 吉住モータース所属 https://www.y-motors.net/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2023年4月23日「タンホイザー」

タンホイザー

ストーリー 中山佐知子
    出演 
大川泰樹

タンホイザーというシンガーソングライターが
ビーナスの国で快楽のかぎりを尽くしまくり、
それから神の許しを得ようと巡礼の仲間に加わって
ローマ法王のもとにやって来たのは十三世紀だったと思う。

神の代理人であるはずの法皇は
タンホイザーが味わった快楽に嫉妬の炎を燃やし、
彼に嘘をついた。

「ビーナスの国へ行ったものよ。
たったいま、おまえに永遠の呪いが下った。
わたしのこの杖に緑が芽吹き花が咲くことが決してないように
おまえの罪が許されることはない。」

何を言うか、と私は思った。
私は人を呪ったりしない。
美しいビーナスにチヤホヤされたタンホイザーを羨んで
呪いの言葉を口にしたのは法皇ではないか。

申し遅れたがわたしは神である。
神とは許す存在である。
許すのは神の唯一の仕事である。
それしか仕事がないのだから、許して許して許しまくる。
法皇の政治的暗躍や隠し財産も許しているくらいだ。

それなのに法皇はさらに言い募った。
「おまえは地獄の業火から決して救われることはない」

さて、わたしは困り果てた。
法皇は嘘をついているのだが、
それをただす言葉を私は持たないのである。
人は神に語りかける言葉を持つが
神は人に語りかける言葉を持たない。
思えば不自由だ。

タンホイザーは絶望のあまりビーナスの国に戻ろうとするし
私はとっくに許しているのにそれを告げる言葉がなく、
神の代理人を称する法皇は嘘つきである。

そこで私はコミュニケーションの手段として
小さな奇跡を起こすことにした。
法皇の杖に緑の葉を茂らせ、花を咲かせたのだ。
法皇は驚愕のあまり尻餅をついた。
たったいま自分が不可能のたとえにしたことを
目の当たりにしたからだ。

枢機卿たちは口をぱくぱくさせている法皇を放っておいて
すぐさま許しの使者団を派遣した。
彼らは喜びの知らせを胸に抱き、花が咲いた杖を掲げて
タンホイザーの後を追った。

彼らは歌う。
「神の恩寵の救いの奇跡
地獄の罪びとに救いをもたらす
ハレルヤ ハレルヤ」

私はこの歌が大好きだ。
許すとは何と気持ちのいいものだろう。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2022年12月25日「聖夜」

聖夜  

   ストーリー 中山佐知子
    出演 
大川泰樹
         
   紀元前4年乃至7年のころだった。
   東の国の占星術の博士たちが
   はるばるユダヤの国にやってきて尋ねた。

   このたび生まれたユダヤの王はいずこにおわせしや。
   我ら東方よりかの人の星を見て
   その誕生を知る。

   3人の博士は
   ベツレヘムの方向に
   ひときわ輝く新しい星が生まれたのを見て
   ユダヤの国に新しい指導者が誕生したことを知ったのだ。

   星は博士たちを導き
   やがて、ひとりの幼子の上で止まった。
   その子は宿屋の飼い葉桶の中で
   布にくるまり母と共にいた。

   三人の博士は幼子の前にひれ伏し
   黄金、乳香、没薬を贈物としてささげた。

   星とともに生まれ
   ユダヤの王になるべき幼子は
   イエスと名づけられた。
   その母をマリヤという。

   そのとき、ユダヤの王だったヘロデは
   その幼子の存在を恐れ
   ベツレヘムの二才に満たない男の子を
   ひとり残らず殺させた。
   
   ベツレヘムは
   子を失った父と母の嘆きの声に満ちていた。
   
   このときヘロデ王に殺された男の子の数は
   次第に誇張され
   14,000人とも64,000人とも記される。
   イエスの誕生に伴う犠牲である。

   さて、イエスの誕生とともに生まれた星は
   一説によると超新星といわれている。
   超新星は星の誕生というより爆発で、
   強烈なガンマ線を放ち
   これもまた、輝くための犠牲である。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2022年10月30日「青い鳥」

青い鳥

ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

1879年の4月8日は
イギリスの牛乳屋にとって特別な日だった。。
この日、初めてミルクはガラス瓶で配達されたのだ。
それまではミルク売りがくると
おかみさんたちは瓶や水差しを持って家から出てきて
馬車に積んだミルクをおたまですくって買っていた。
朝昼晩、一日3回牛乳売りが来ていた時代だ。

さて、このガラス瓶のミルクが定着した1920年代のはじめ
イギリスの南部の街サウサンプトンの郊外で
アオガラという青い羽を持つ小鳥が
玄関口に配達された瓶の蓋をこじ開けて
盗み飲みをする姿が目撃された。
蓋のすぐ下には乳脂肪たっぷりのクリームが固まっている。
それを飲んでしまうのだ。

やがて黒いネクタイのシジュウカラや
とんがり帽子のヒガラもアオガラを見習うようになり
イギリス中でミルクを盗む小鳥が目撃されるようになった。
それから赤いチョッキのコマドリがやってきて
アオガラのお余りを飲むようになった。
さらに少し離れた茂みにはキツネが座り込んで順番を待っていた。
小鳥たちはすっかり牛乳配達のファンになった。
彼らは常に配達のクルマを取り巻き、
隙を見つけては配達する前のミルクを飲んだ。
ある学校に配達された300本の牛乳のうち
50本以上が盗み飲みされていた日もあったという・

ミルク瓶の蓋はいろいろ開かない工夫が考えられたが
状況は改善されなかった。

ミルクを受け取る人が鳥を理解する必要があるという
意見が出された。
鳥は見つけたものを食べにくるのだから、
見えなくすればいい。
頑丈な牛乳箱の登場だった。

動物学者は鳥の社会的行動について研究を深め、
カメラを持っている人はプロもアマチュアも
小鳥がミルクを飲んでいる写真を撮りたがった。
ミルク瓶と小鳥の絵は人気のカードにもなった。

不思議だったのは何十年も被害に遭い続けた人々から
鳥を追い払えという意見が出なかったことである。
ある新聞にはこんな投書が届いた。
「私たちが小鳥の棲む森を奪ったのです。
 人間の愚かな行為が彼らを追い詰めたのです。」

いまアオガラはミルクを盗むのをやめている。
配達が減って、みんな店でミルクを買うようになったし
瓶の蓋も開けにくくなったのもあるが、
庭のある家ではチーズやベーコンの皮、ナッツなどのご馳走を
置いてくれるのだから
わざわざ開けにくい蓋に挑戦する必要もない。

イギリスは鳥を愛する国である。
バードウォッチング発祥の地で、日常の話題のひとつが自然科学だ。
野鳥の数は、持続可能な農業の土地利用の目印になっている。
しかし、この国でさえ2012年に発表された報告によると
野鳥は半世紀でおよそ20%、4400万羽減っている。

2017年、王立鳥類保護協会では庭で野鳥を助ける提案をした。
その中には庭で野菜を育て、
その野菜につく害虫を食べてもらうと言う提案が含まれていた。




出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  1 Comment ページトップへ

中山佐知子 2022年5月29日「たんぽぽ婆さん」

たんぽぽ婆さん

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

近所に怖そうな婆さんが引っ越してきたのは
僕が小学校のときだった。
爺さんはおらず、婆さんと婆さんの娘と
ふたりきりだった。
何をして食べているのか分からないし。
婆さんは気が強く、押しも強く、
子供たちもよく叱られたが
娘さんは婆さんに似ない優しげな人で
話しかけると明るい声で受け答えをしてくれた。

引っ越して来て1年ほどたったころ、
娘さんの縁が決まってお婿さんがきた。
婆さんの家で質素な婚礼があった。
窓からのぞいた花嫁の顔はきれいだったし、
お婿さんもがっしりしたよさそうな人だと母は喜んだ。
婆さんもこれで楽隠居だとみんな思っていた。

ところが
婚礼から三月もしないうちに娘さんが亡くなってしまった。
あまりに急なことでびっくりしたのと気の毒なのとで
子供たちもしばらくはイタズラをやめたほどだったし。
ご近所も遠巻きに心配していた。
お婿さんはしばらくいたが、
四十九日が終ると肩を落とした姿で元の家に帰っていった。

婆さんはひとりになってしまった。

さて、それからだった。
頼みの綱の娘夫婦を失った婆さんは
隠居などしていられなかった。
朝は早くから箱車を押して竹輪や蒲鉾を売り歩き、
夕方になると銭湯の前にたこ焼きの屋台を出した。
さすがの強い気も折れて、愛想がよくなり、
夜はときどきうちのお風呂をもらいに来るようになった。
みんなが婆さんのことを「たーばー」と呼ぶようになったのも
その頃だ。
「たーばー」はたんぽぽの「た」と
「ばあさん」の「ば」の組み合わせだと聞いたが
決して野の花にたとえられるような婆さんではなかったので
なんでたんぽぽなんだ?と僕は不思議だった。

朝、僕がまだ寝床にいる時間から
婆さんは車を押して竹輪を売り歩き
僕が学校から帰る頃にはたこ焼きを焼いていた。
竹輪の車にもたこ焼きの屋台にも鈴がつけてあって
チリンチリンと大きな音で鳴った。
その音を聞くと、母は財布を持って玄関を出て行った。

春の運動会が近づいたころ
生徒は運動場の芝生の雑草を抜くことになった。
メヒシバやチドメグサに混じって黄色いタンポポがあった。
タンポポは黄色い花と緑の葉っぱの下に
とんでもなく長い根っこがあり、
とても全部掘ることはできなかった。
途中で切れてしまったタンポポを
僕たちは「ちっ!」と言いながら集めて捨てた。
残った根っこがまたタンポポになる。
タンポポってすげーと思った。

運動会の日、たんぽぽ婆さんは
学校にたこ焼きの屋台を曳いてきた。
人だかりがして大繁盛の屋台の下に
僕たちが抜くのを諦めたタンポポが黄色い花を咲かせていた。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

 

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

窓の向こうには(2022版)

窓の向こうには

      ストーリー 中山佐知子
       出演 遠藤守哉

窓の向こうには薄青い空があった。
食卓にはキリストと12人の弟子たちがいた。
それはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵だ。
キリストはその夜自分が逮捕されて
十字架にかけられることを知っていた。
それでもダ・ヴィンチは窓の向こうに晴れた空を描いた。
見るたびに、
ああ、いい天気だ、とつい思ってしまう。

そういえば、十字架にかけられたキリストの背景が
目も覚めるような青空という絵を見たことがある。
あの絵はどう見ても青空と雲が主役だ。
ラファエロもそうだ。
なんだか牧歌的な十字架のキリストを描いている。
いいお天気で空が美しい。
どうしても空と風景を眺めてしまう。

もしかして、画家が絵を描き始める前の最初の仕事は
天気を決めることではないだろうかと
思ったりする。
晴れの日にするか、曇りにするか、
それとも雨を降らせるかで
全体のトーンが決まるからだ。

神話や伝説にも空があり、天気がある。
黄泉の国から森を抜けて妻を連れ帰るオルフェウスの向こうには
明るい空が見えている。
我が子を殺した王女メディアの絵に
ドラクロワはわずかに青空をのぞかせている。
アーサー王がエクスカリバーを授けられた湖は
白い霧が立ち込めている。
最後の戦いで重傷を負ったアーサーは再びそこに戻り
湖の乙女たちに身を委ねた。

ジークフリートが殺された日も晴れた日だった。
この英雄は森で狩りをしているときに
妻の兄とその家臣の計略で背中に槍を突き立てられるが、
そこは全身不死身のジークフリートの唯一の弱点だった。
槍が刺さったジークフリートが最後に見上げている空は
夕焼けの薄赤い色で、
見ていると赤は悲しい色だなと思えてくる。

神々も英雄もその物語には必ず空がある。
ミケランジェロの「最後の審判」の空は
変化ののない重い青い空で、
やがて世界はこんな空で蓋をされるのかと思う。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

録音:字引康太

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ