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門田組・宮田知明

宮田知明 11年12月17日放送


幸せを運ぶ男/浅尾拓也

打率リーグ最下位。
今年、そんなチームをリーグ優勝まで導いた原動力は
まぎれもなくその層の厚い投手陣。

中でも、特に輝いていたのは、
セ・リーグMVP、
中日ドラゴンズのセットアッパー、浅尾拓也。

2011年は球団新記録の79試合に登板し、
防御率は0.41。

絶対的な安定感でドラゴンズに
リーグ優勝をもたらした彼のMVP受賞式。
そんな彼へのインタビューは、なぜか謝罪会見に。
そこには、浅尾らしい、
謙虚さがにじみ出ていた。

 吉見が取るもんだと思っていました。
 ボクが吉見の勝ちを2つ消してしまったので、
 本当は20勝してるはず。
 ごめんなさいって言いたいです。




幸せを運ぶ男/小林武史

Mr.Childrenをはじめ、
日本を代表する数々のアーティストを
スターダムに押し上げてきた音楽プロデューサー、小林武史。

NHKの番組で
アーティストとの接し方について、
意外にも「友達として」と答えた。

プロデュースする若いバンドのやりたい
路線ではない方向性を示した後、
彼はこんな言葉を使った。

・・・これは友人として言うんだけどね。

今のそのバンドは、殻を破った方がいいが、
でも、殻を破ったからと言って絶対成功するとは限らない。
だから、友人として、そのことを言う、ということ。

相手が若いアーティストだからと言って、
上から押しつけるわけではない、
そのフラットな「友人」としての一言が、
アーティストの心に届くのだろう。

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宮田知明 11年11月12日放送


グレースケリー①

幼い頃のグレース・ケリーは、
病弱で内気な女の子だった。

オリンピックのボート競技の
金メダリストである父は、
スポーツのできる姉や兄の方をかわいがった。

「グレースにできることは、
姉のペギーならもっとうまくこなせる。」
と、父に言われつづけた。

尊敬する父に認められたい。
その想いが、グレースを動かす力になった。

1955年3月30日、
『喝采』でアカデミー主演女優賞を獲得した時の、
彼女の語った言葉。

 これで、やっとケリー家の一員になれました。

ハリウッド女優から、モナコのプリンセスへ。
今日、11月12日は、
グレース・ケリーの誕生日。






グレースケリー②

「背が高すぎ。痩せすぎ。
顎ががっちりしすぎ。」

若き日のグレース・ケリーは、
自分の容姿に
コンプレックスを感じていた。

しかし、それこそが
オードリー・ヘップバーンや、
マリリン・モンローと違う、
彼女らしい、全く別の魅力を放っていた。

その美しさを一言で表した言葉が、
「クールビューティー」。

もし、グレースが、
背がちょうど良くて、痩せてなくて、
顎ががっちりしていなかったら、
同じ成功は得られなかったのかもしれない。

今日、11月12日は、
グレース・ケリーの誕生日。




グレースケリー③

「嬉しくて、この喜びを何て
言葉にしたらよいか分かりません。
この受賞を可能にしてくださった皆様に、
心から感謝を述べたいと思います。」

映画『喝采』でアカデミー主演女優賞を
獲得したグレース・ケリー。
しかし彼女は、その時の気持ちを
こうも語っている。

オスカーを受賞した日、
 それは私の人生の中で一番寂しい時間でした。

受賞後、宿泊先のホテルの
部屋に戻ったグレースは、たった一人きりだった。

いくら成功しても、
分かち合える人がいなければ幸せではない。
一人彼女は、そう感じていた。

しかしその1ヶ月後に、
まさか運命の出会いが待ち受けていることなど
知る由もないグレース・ケリー。
このとき25歳。

11月12日は、グレース・ケリーの誕生日です。




グレースケリー④

ハリウッドのスター女優グレース・ケリーと
モナコのプリンス、レーニエ三世

華やかな世界に住む2人の交際の手段は
文通だった。

カンヌ映画祭で出会い、
ほんのひととき、交わした会話。
それ以来、2人は手紙のやりとりを欠かさなかった。

後にグレースはこう語っている。

女性がある程度の成功を果たすと、
結婚することで自分を失わず、
尊敬できる男性を見つけるのは大変なこと。

そのことを考えたら、
ふたりを隔てる距離などは
問題ではなかったのかも知れない。

11月12日は、グレース・ケリーの誕生日。




グレースケリー⑤

そして、お姫さまは、
幸せに暮らしましたとさ。

おとぎ話ならそこでハッピーエンドだが
モナコのプリンセスになったグレース・ケリーの現実は
その先があった。

本音を話せる友人がいない。
自由に出かけることもできない。
フランス語も流暢に話せない。

公務や生活に慣れて、
安定した毎日を送れるようになるには、
女優になってからアカデミー賞を取るまでより
ずっと長い時間を要した。

グレースは言う。

私は、女優に挑戦したように、
結婚にも挑戦したんです。

今日、11月12日は、
グレースケリーの誕生日。




グレースケリー⑥

 ただ月を眺めるためだけに
 竹で縁側を作るとは、
 なんと素敵なセンスなんでしょう。

大の親日家、グレースケリーが、
京都の桂離宮を訪れたときの言葉。

いつかモナコにもこのような庭園を造りたい。
そんな願いをかなえたのは、
他ならぬ夫のレニエ公。

グレースが亡くなって12年後に完成した日本庭園。
その茶室は、GRACE GARDENと名付けられた。

そんなグレースが、日本に送った言葉。

優しさ、礼儀、美、敬愛といった美徳を
日本が失わずにいることを、
世界中が切望しています。

今日は、日本を愛した
グレースケリーの誕生日。




グレースケリー⑦

「出産おめでとう(グレース公妃より)」

病院で出産があると、自ら病院へ出かけ、
お祝いの言葉と自分のサインを入れたカード、
そして花束を届けた、グレース公妃。

少しでも国民とのつながりを深めたい。
そう考えてのアイデアだった。

アメリカABCテレビのインタビュー中に
語った彼女の言葉は、
そのまま人柄や生き方を象徴している。

慎ましく、思いやりのある人間だったと、
みんなの記憶に残しておいてほしいのです。

今日、11月12日は、
グレースケリーの誕生日。

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宮田知明 11年9月18日放送


あるスポーツ選手の美学/三浦知良

日本では、引き際のいさぎよさを
よく「美しい」とされる。

その考え方の逆、
つまり「やめない」ことに美しさを見出す人、
キングカズこと、三浦和良。

余力を残して辞めていく選手は多い中で、
44歳になってもカズは全くそのそぶりを見せない。

4年前、テレビ番組で、
「いつまでやるのか」という質問に対して、
彼はこう答えている。

できたら還暦までやりたいんだけどね。

3月29日のチャリティーマッチでのゴールを見せられると、
あのときの言葉は、あながち冗談でもないかもしれない。




ある毒舌家の美学/有吉弘行

毒舌にも、美学がある。

平成の毒舌王、有吉弘行曰く、
「悪口はいいけど、陰口はダメ」。
その真意とは。

僕は絶対に本人のいないところで悪口は言いません。
陰口をたたけば周りの人から
「こいつは俺の事もどこかで悪く言ってる」と
思われて自分の評判が下がる。陰口は自分に返ってくる。

これは、毒舌キャラとして芸能界でやっていくための、
彼独特の美学なのかもしれない。

でも、
むしろ毒舌でも何でもない普通の人にとって、
この考え方に学ぶところは多い。




あるジャーナリストの美学/池上彰


いい質問ですね!でおなじみの
ジャーナリスト・池上彰。

分かりやすい説明に定評のある彼にも、
一つの美学がある。
それは、説明するときに、
「自分の個人的な意見は差し挟まない」ということ。

NHKを辞めてすぐの頃、民放の番組の
コメンテーターとして出演したとき、よく言われた言葉。
「あなたの意見を聞かせてください。」

視聴者からすると何でもない質問だが、
池上には違和感があった。

それは、32年間のジャーナリストとしての生活で、
「自分の意見は一切出すな」
「客観報道に徹しろ」と教えられてきたから。

誰かのバイアスのかかった意見よりも、
公平な視点での説明の方が人は納得しやすい。

そう思ってテレビを見ると、コメンテーターの
自分勝手な意見が、なんと多いことか。

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宮田知明 11年7月23日放送


闘うひと~江頭2:50

お前はいつだって全力だと言えるか?オレは言える。

番組に登場する短い時間の中で、江頭2:50ほど
自分と格闘している芸人はいない。

外国で逮捕されたり、番組で全裸になって
出入り禁止にされるような破壊的な芸風に対し、
彼が被災地にボランティアに行ったという話は意外性があり、
大きな話題になった。

でも、本人は特別なことをしたと思っていないらしい。
彼曰く、

おれはお金ないからさ。
体で払ってきただけなんだよ。

確かに、お笑いもボランティアも、
誰かのために体を張るという点では同じ。
全力で生きている、ただそれだけ。




闘うひと~フリードリヒ・シラー

ベートーベンの交響曲第九番
その四楽章の合唱部分の歌詞は、
ドイツ古典主義の代表者である
フリードリヒ・シラーの詩「歓喜に寄せて」を、
その愛読者でもあるベートーベンが歌詞として引用したもの。

詩の内容は、困窮を極めた放浪生活の末、
彼を助けてくれた友人たちに対する
感謝の気持ちを詩にしたものだと言われている。

多くの賛同者を得ながらも、
医学書以外の著作を禁じられ、
幽閉生活、そして亡命。
そんな不遇な経験をした彼だからこそ、
書きあげられた詩だった。

シラーは言う。

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれない。
 でも、真に向上するのは、不運の時である。


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宮田知明 10年12月18日放送



日本人宇宙飛行士1 毛利衛

日本人宇宙人飛行士の応募条件の中に、
「美しい日本語」という項目がある。

人類を代表して宇宙に行く以上、
ミッションを達成するのはもちろん、
その稀有な宇宙飛行体験を伝えることも大事な役割。

宇宙飛行士、毛利衛は言う。

僕は2回、宇宙へ行かせてもらった。
その経験を広く伝える役割を担っていると思うんです。
僕自身の言葉を発することで、
より多くの人たちにメッセージを届けることができますから。

そんな毛利が宇宙から帰ってきて、最初のインタビューで伝えた言葉。

「地球には、国境線はありませんでした。」

その言葉の、何と美しいことか。




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宮田知明 10年12月18日放送



日本人宇宙飛行士 3 土井隆雄

宇宙飛行士試験に受かっても、
誰もがすぐに宇宙に行けるわけではない。

毛利衛、向井千秋と一緒に、
最初の日本人宇宙飛行士試験に合格した人、土井隆雄。

毛利や向井が宇宙へ行くのを、土井は地上でサポート。
そして向井のサポート中に、
後輩である若田光一が先に宇宙へ旅立ち、
土井に初フライトのチャンスがめぐってきたのは
試験に合格してから12年めのことだった。

土井が宇宙から帰還したときのインタビューの言葉。

わたしは、すでに宇宙ステーションを恋しく思っている。
明日にでも宇宙に戻りたい。

地上にいても
土井が宇宙を愛する気持は誰よりも強い。

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宮田知明 10年12月18日放送



日本人宇宙飛行士5 野口聡一

宇宙飛行士、野口聡一。
宇宙への初フライトまで29日に迫ったその日、
彼の耳に飛び込んできたのは、衝撃的なニュースだった。

2003年2月1日、7名の搭乗員を乗せたスペースシャトル、
コロンビア号が宇宙から帰還する途中、
テキサス上空で空中分解、
乗員全員が死亡するという大事故だった。

NASA全体が、ショックに覆われた。
その後のシャトル計画に「待った」がかかり、
野口のフライトも白紙になった。

本当に自分は宇宙に行けるのか。
そんな不安を抱えながら、
普通の人が100時間かける訓練を、
彼は400時間行い、その時を待った。
それは訓練時間の新記録だった。

野口聡一は言う。

長い間がんばって、しっかりと能力を高めて、
あきらめずに食らいついて、あとは運を信じる。
書いてしまうとあっけないことですが、それだけのことです。

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