‘飯國なつき’ タグのついている投稿

飯國なつき 15年7月19日放送

150719-07 Mami_H
こども⑦ 「こそあどの森の物語」

児童作家・岡田淳の代表作の一つである
「こそあどの森の物語」。
 
主人公は、森の中に住んでいる少年「スキッパー」。
内気であまり人を関わりたがらないスキッパーは、 
子供向け小説の主人公としてちょっと異色な存在だ。
 
岡田淳は、スキッパーについてこう語っている。
 
実は、できるだけスキッパーの成長には
ブレーキをかけたいなと思っているんです。(中略)
「自分の世界も大切にしていていいんだよ、
それはとっても素晴らしいことなんだよ…」というのもぼくは思うんです。
 
小学校の図工の先生を務めていた38年間、
いろんな子供たちと触れ合ってきた岡田淳。
 
だからこそ、彼の本には、
物語として「作られた」わけではない、
子供時代のリアルな空気が詰まっている。


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飯國なつき 15年7月19日放送

150719-08 Sergiu Bacioiu
こども⑧ 「夏の庭」

「死体って重い。」
6年生の山下は、おばあさんの葬儀をそう語った。
 
湯本香樹実の小説、「夏の庭」の1シーンだ。
 
登場人物である、僕、山下、河辺の3人組は、
その話をきっかけに「死んだ人が見てみたい」と考えはじめる。
死んだらいったいどうなるんだろう?
興味と恐怖をないまぜに、
3人は、近所で「今にも死にそう」と噂されている
おじいさんの死ぬ瞬間を見ようとおじいさんを見張ることにした。
 
おじいさんに皮肉を言われたり
いつのまにか仲良くなったりしながら、
3人は少しずつ成長してゆく。
 
大人になると、なんとなくわかったような気になってしまう「死」。
 
けれど、湯本香樹実の描き出すこどもたちは、
「死」について、きらきらと純粋に考え、ぶつかってゆく。


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飯國なつき 15年6月21日放送

150621-01
太陽① やなせたかし

 ぼくらはみんな生きている
 生きているから笑うんだ


やなせたかしが作詞した童謡、「手のひらを太陽に」。

この歌を作った時、やなせたかしは、
「自殺したいほどの」厭世的な気持ちに満ちていた。

漫画家を自認しながらも、仕事がうまくいかない日々。
暗いところで、冷たい手を暖めながら仕事をしていると、
ふと、自分の手のひらの赤さが電球で透けて見えた。

 ぼくは(中略)
 自分自身についても全く嫌気がさしていたが、
 それなのになんとぼくの血はまっかで元気そうに動いているのだろう。
 こんなに血が赤いのに、
 ぼくはまだ死んではいけないなとその時に思った。


きっとその時、
ぎらぎらと熱い「太陽」が
やなせたかしの心の中で輝きはじめていた。


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飯國なつき 15年6月21日放送

150621-02 M-Kou
太陽② 岡本太郎

1970年に開催された大阪万博。
シンボルとして、テーマ館の屋根を突き破って
そびえ立つのはかの有名な「太陽の塔」である。

屋根には、当初、穴を開ける予定はなかった。
ところが、岡本太郎は
「べらぼうなものをつくりたい」と言い出し
どうしても70メートルの高さが必要だと譲らなかった。

その土俗的なデザインは、
万博のテーマである「人類の進歩と調和」というテーマを
否定するためだったともいわれている。

岡本太郎はこんな言葉を残している。

「人類は進歩なんかしていない。
 なにが進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。
 皆で妥協する調和なんて卑しい」


屋根を突き破り、そびえたった、岡本太郎の魂。
万博から40年以上たつ今でも、
人々の心を揺り動かし続けている。


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飯國なつき 15年6月21日放送

150621-03 emiton
太陽③ 吉野弘

詩人吉野弘の作品、「夕焼け」。

夕暮れ時の電車の中で、
心やさしい娘が、お年寄りに席を譲る。
ありがとうの言葉もなくそそくさと座るお年寄り。
そんなことが三度も繰り返され、
辛い気持ちにおそわれたのか、やりきれなくなったのか
とうとう娘は、うつむいたまま、席を立たなくなった。

詩の最後は、こう結ばれている。

 固くなってうつむいて
 
娘はどこまで行ったろう。

 やさしい心に責められながら
 
娘はどこまでゆけるだろう。

 下唇を噛んで
つらい気持で
 美しい夕焼けも見ないで。


吉野弘のことばは、誰もが経験したことのある、
けれど輪郭のぼやけた気持ちを形にしてみせる。

胸が痛くなるほど、はっきりと。


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飯國なつき 15年5月17日放送

150517-01
海① アンデルセン

アンデルセンが書いた童話は?
と問われれば、
「人魚姫」「裸の王様」「マッチ売りの少女」
など、いくつでも浮かんでくることだろう。

一方、あまり知られてないちょっと変わったものもある。

その一つが、
大西洋横断海底ケーブルのことを童話にした
「大きなうみへび」。

ある日、人間たちが海底に敷いた大きなケーブル。
それを目にした海の魚たちは「大きなうみへびだ!」と驚き、
うみへびを巡る冒険に出ていく、という筋書きだ。

アンデルセンという人物は
海底ケーブルという無機物すら、
ユーモラスに、そして少しロマンチックにとらえていく。

 それは力をまし、
 広く広がって、
 年ねんのびていき、
 すべての大洋をわたり、
 地球をめぐります



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飯國なつき 15年5月17日放送

150517-02
海② 金子みすゞ

金子みすゞの作品に「大漁」という詩がある。

 朝やけ小やけだ
 大漁だ
 大ばいわしの大漁だ
 はまは祭のようだけど
 海の中では
 何万の
 いわしのとむらい
 するだろう


朝の浜辺は、あたり一面、網で揚げられたいわしの山で
「大漁だ、大漁だ」とお祭り騒ぎ。
そんな人々の光景に対し、みすゞは静かに海を見つめる。

見えないけれどもあるんだよ、
と訴えかけてくるみすゞのまなざしは、
海のように深く、あたたかい。


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飯國なつき 15年5月17日放送

150517-03
海③ 立松和平

立松和平の小説「海のいのち」。

主人公は、海に生きる漁師の太一。
海のヌシに命を奪われた、父のかたきを討つために
太一はもぐってゆく。
巨大な海へ。
巨大な命の棲んでいる海へ。

季節や時間とともに、表情を変えてゆく海は、
そんなときでも美しい。

 海中に棒になって差しこんだ光が、
 波の動きにつれ、かがやきながら 交差する。
 耳には何も聞こえなかったが、
 太一は壮大な音楽を聴いているような気分になった。


美しく哀しい海のいのちを
淡々と語るこの物語は、
太一がなぜ海のヌシを倒すのをやめたのか、
静かな描写のみで、読者に問いかけてくる。


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飯國なつき 15年4月12日放送

150412-01 小麦
花とことば① 孟浩然

春眠暁を覚えず。

ぽかぽか暖かい春の日差しに、
つい口にしたくなるこのフレーズ。
詠み人は、唐の時代の詩人、孟浩然。

春眠不覚暁(春眠暁を覚えず)
処処聞啼鳥(処処に啼鳥を聞く)
夜来風雨声(夜来風雨の声)
花落知多少(花落つること知んぬ多少ぞ)


 春の心地よい眠りで明け方が来たのがわからない。
 あちこちで鳥が鳴くのが聞こえる。
 夕べは雨や風の音が聞こえたが、
 どれだけの花が散ったのかわからない。



のんきに春を楽しむ心は、
1000年以上前から変わらない。


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飯國なつき 15年4月12日放送

150412-02 TANAKA Juuyoh
花とことば② ターシャ・テューダー

絵本作家、ターシャ・テューダー。

バーモント州の山奥で、およそ30万坪の広大な庭をつくり、
一日の大半を草花の世話にあてて暮らしていた。


 家事をしている時、あるいは納屋で仕事をしている時、
 これまでの過ちや失敗を思い出す時があります。
 そんな時は、考えるのを急いでやめて、
 スイレンの花を思い浮かべるの。
 スイレンはいつも、沈んだ気持ちを明るくしてくれます。
 


自分の気持ちを明るくするものが、
庭中にあふれかえっている。
そんな暮らしも、確かに素敵ですね。


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