厚焼玉子 10年05月29日放送


5月生まれの詩人 野口雨情

野口雨情が残した2000余りの詩のなかで
北海道から九州まで、全国の風景や風物をうたった
いわゆるご当地ソングといわれるものは300を超えている。

ご当地ソングをつくるのはなかなかむづかしい。
誰がきいてもわかりやすく、歌いやすく
そして、その歌を聴いた人が
その土地の代表的な風景を思い描ければ成功といえる。

野口雨情の上州小唄は
五月の赤城山が眼に浮かぶ。

  赤城山から風が吹き出して 風で蝶々が飛ばされる

そういえば、今日は野口雨情の生まれた日でした。


5月生まれの作家 内田百閒

1931年5月29日
開港間もない羽田空港から
小さなプロペラの複葉機が飛び立った。

その飛行機の名前は「青年日本号」
地図と羅針盤だけをたよりにシベリアからウラル山脈を越え
ヨーロッパを目指した法政大学航空研究会の飛行機だった。
操縦士はもちろん学生である。

この飛行機はドイツ、イギリス、フランスなどを
親善訪問しながら
無事に目的地であるローマに到着。
世紀の快挙として日本中が沸き立つニュースになった。

ところで、この飛行計画を立案、実行したのは
当時法政大学の教授で航空研究会の航空部長でもあった
内田百閒先生。
「青年日本号」が出発した5月29日は
百閒先生の誕生日でもありました。


5月生まれの政治家 ケネディ

世界一贅沢なバースデーソングを歌ってもらった人は
アメリカのジョン・F・ケネディ大統領だろう。

1962年、マジソンスクウェアガーデンで開かれた
大統領45歳の祝賀会で
ハッピーバースデーを歌ったのは、マリリン・モンロー。
モンローはこの短い曲を歌うために映画の撮影をすっぽかし
後々訴訟問題に発展したと言われている。

ハッピーバースデー、ミスタープレジデント

マリリン・モンローのささやきのような
バースデーソングは1万7千人の観客を魅了し
拍手はいつまでも鳴り止まなかった。

今日はジョン・F・ケネディの生まれた日。


5月生まれの国王 チャールズ二世

イギリスの国王チャールズ二世は
リチャード三世ほどの悪役ではないし
ヘンリー八世ほどわがままでもなかった。
ウイリアム一世ほど英雄でもないが
エドワード六世のような子供でもなかった。

チャールズ二世の評価は人によって違うかもしれないが
誰もが共通して語ることがある。
それは、女性に弱いということだ。

チャールズ二世は国王になる以前
フランスやオランダで亡命生活を送っていたが
行く先々で恋人を見つけては子供をつくった。
イギリスに戻り、国王になって結婚してからも
愛人はたくさんいた。
チャールズ二世は、愛人との間に生まれた子供を
14人まで認知しているが
王妃との間にはひとりも子供ができず
国王の血は絶えたかに思われたが…

現在、イギリスのウイリアム王子とンリー王子は
チャールズ二世の血を引いている。
愛人の子供たちによってチャールズ二世の血は
イギリスの貴族に受け継がれ
ダイアナ妃もその子孫のひとりだったからだ。

チャールズ二世は1630年の今日生まれた。


5月生まれの発明家 ジョン・ウォーカー

「もしもこの世にマッチが発明されなかったら
私たちはいまでも火を起こすのに苦労しているかもしれない。

人類が火を使いはじめたのは100万年以上も昔だが
マッチの発明からは200年足らずしかたっていない。

マッチの発明者はジョン・ウォーカー。
イギリスの科学者であり発明家でもあった。
彼は1826年にマッチを発明し翌年に販売を開始した。

火種を絶やさないように苦労していた生活から
すぐに火のつく暮らしになったありがたさを
私たちは忘れてしまったかもしれないけれど
近ごろでは
マッチは環境にやさしいということが
見直されはじめている。

今日はマッチの発明者ジョン・ウォーカーが生まれた日。


5月生まれのコメディアン ボブ・ホープ

アメリカのコメディアン、ボブ・ホープは
生きている間に二度も自分の死亡記事を読んでいる。
最初は1989年、AP通信社による誤報で
このときはアメリカ合衆国下院で追悼演説まで行われた。

二度めのときは
あらかじめ準備しておいた有名人の死亡記事が
間違ってケーブルテレビのウェブサイトに掲載された。

今日はボブ・ホープが生まれた日
ボブ・ホープは
2003年、100歳の誕生日を祝った2ヶ月後に亡くなっている。


5月生まれの歌姫 美空ひばり

昭和25年5月
小学校を卒業したばかりの美空ひばりは
日系二世米国人部隊に招かれ
人気ボードビリアン川田晴久とともにハワイ公演に出発した。

この頃のひばりと川田晴久は、まるで親子のようだった。
デビューしてもなかなか売れないひばりを
川田は自分の一座に加え、スターへの道を着々と準備していたし
そんな川田をひばりは本当の父のように慕っていた。

そのハワイでの出来事だった。
表の通りで起こった自動車事故をのぞき見るために
窓から顔を出そうとしたひばりを
川田はたしなめた。

 人気ものがうっかり顔を出すと余計騒ぎになる

川田は美空ひばりがスターになる道を準備すると同時に
スターとしての教育も忘れてはいなかったのだ。

美空ひばりがブレイクしたのは
帰国後第一作めの映画「東京キッド」から。
この映画で川田はひばりのためにギターを弾いている。

今日は美空ひばりが生まれた日
生きていてくれたら、もう73 歳になっていた。

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