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ライブ4 長編集

水曜日, 7月 21st, 2010

カサカサの音をゆりかごにして
             
                 中山佐知子

カサカサの音をゆりかごにして
少年は幼虫の時代を過した。

夜、自動車の音が途絶えると
その茂みは同じ蝶の子供が葉っぱを食べる音で
いっぱいになる。
カサカサ カサカサ….
少年は自分にいちばん近いところから聞こえるカサカサが
とてもなつかしく思えた。
それは自分の音よりも小さくやさしい心地がした。

秋の扉が開くころ
もう食べたくないと少年は感じた。
お気に入りのカサカサも聞こえなくなっていた。
もうサナギになる時期だった。
サナギは身を守る手段を何も持たずに眠るので
蝶にとっては一度死ぬことに等しい。
少年が不安そうに葉っぱのまわりを這いまわっていたとき
カサカサのかわりに
おやすみなさい、と小さな声が聞こえた。
その翌日、少年も垣根から突き出した木の枝にぶらさがって
やすらかにサナギになった。

少年がやっとサナギから出て羽根を広げ
オオカバマダラという蝶になったのは
2週間もたってからだった。
お休みなさいと声をかけてくれたサナギはからっぽで
さがすことなどできそうになかった。

オオカバマダラは
一日ごとに南へ移動する太陽と
日に日に短くなる日照時間で渡りの時期を知る。

秋に生まれたオオカバマダラの少年も
南へ飛ぶ本能を何よりも優先させて
北からやってくる秋に追い立てられるように
移動をはじめた。

仲間は次第に増えはじめ
ときに数百万の群れに膨らんで地元の新聞の特ダネになる。
嵐の夜が明けたときには
大きな木の根元に落ちている無数の羽根が
傷ましい事件として
朝のニュースに取り上げられることもあった。

それでも少年は運良くリオグランテを越え
あくびをしているメキシコ湾のなかほどまで飛んで
熱帯の花が咲くチャンパヤン湖で
まぶしい季節を過した。

暦が春を告げるころ
オオカバマダラは北へ飛びたくなってくる。
もう命も尽きようとしているのに
どうしても、どうしようもなく
楽園で死ぬことを本能が拒否してしまうのだ。

少年はもう少年ではなく
羽根も破れてくたびれ果てていたが
こんどはメキシコ湾の海岸沿いに北の湖をめざした。

突風にあおられてイバラの茂みに落ちたのは
一瞬のことだった。
羽根が折れ、
もう一度飛ぶことはできそうになかった。

少年がしげみでじっとしていると
カサカサとなつかしい音がした。
先に落ちた蝶が蟻に抵抗して
羽根をうごかしているのだった。
それは卵を生み終えて命を使い果たした雌の蝶だった。

蟻は地面に蝶を見つけると生きたまま胴体を切り分けて
自分たちの巣に運ぶ。

カサカサの音のあとに
おやすみなさいと小さな声が聞こえ
それからもう一度、カサカサと最後の音がした。

少年はそのカサカサの音を揺りかごにして
静かに目と羽根を閉じた。

太陽がいちばん高く昇る6月
春に生まれたオオカバマダラの子供たちは
まだ北をめざす旅の途中にある。

(読んだ人:大川泰樹)
Tokyo Copywriters’ Street 2007年9月放送の音声はこちら
http://tcss.seesaa.net/article/68893840.html

追憶
                   小野田隆雄

ヨウシュヤマゴボウは、
いつも、ひとり。
群れたり、仲間を集めたりしない。
いつも、ひともと、高くのびて
大きな葉を茂らせて、枝を広げ、
小さな白い花をいっぱいつける。
花が散ると、黒に近い紫色の実を
山ブドウのように実らせる。
昔、子供たちは、この紫色の実を、
色水遊びの材料にした。

ヨウシュヤマゴボウの白い花が、 
サラサラと散り始めると、
夏が盛りになってくる。
そう、その頃になると
江の島電鉄の小さな車両は
潮の香りに満ちてくる。

白い麻のスーツに
コンビの靴をはき、
大きな水瓜をぶらさげて

三浦半島の油壺のおじさんが、鎌倉の
雪の下の、僕たちの家にやってくるのは
そういう季節だった。
「やあ、太郎くん、
大きくなったねえ。いくつになったの」
太郎と言うのは、僕の名前である。
両親が四十歳を過ぎて
ひょっこり、生まれた、
ひとりっこである。あの頃、
小学生になったばかりだった。

おじさんは、父のいちばん上の兄で
銀行の重役だったけれど、
定年退職すると
三浦半島に引っ込んで、
お百姓さんになってしまった。
おじさんは、ひとりだった。
いつも、おしゃれだった。

「あれは、たしか
東京オリンピックの年だったねえ。
兄さんが、定年になったのは」

いつだったか、母が言っていた。

「兄さんは、女性のお友だちが多くてね。
それで忙しくて、とうとう結婚するひまが
無かったんだって。
なぜ、お百姓さんになったんですか、
ってね、聞いたことがあるの。
そしたらね、そりゃあ、あなた、
野菜はかわいい。文句をいいませんから。
だって」

僕は、おぼろにおぼえている。
せみしぐれが降ってくる、
昼さがりの縁側の、籐椅子に腰をかけて、
おじさんと父が、
ビールを飲んでいた風景を。

おじさん 「おーい、よしこさん。
 水瓜は、まだ、冷えませんか」

父 「でも、兄さん、三浦の水瓜って、
 どうも、あまり、甘くありませんな」

おじさん 「喜三郎(きさぶろう)、おまえねえ。
 水瓜なんてえものは、青くさい位が、
 ちょうどいいのさ。そういうものさ」

よしこ、というのは母。喜三郎と
いうのは父。おじさんは、
喜太朗という名前だった。

あの頃から、何年が過ぎ去ったのだろう。
父も母も、おじさんも、もういない。
僕は、ぼーっと夢みたいに生きて、
ほそぼそと、イタリア語のほん訳を
して生活している。
雪ノ下の家は手離して、
東京の白金(しろかね)のマンションにひとり。
ついこのあいだ、五十(ごじゅう)も過ぎて……

こうして、机にほおづえをついていると、
マンションの窓から、
入道雲が見える。
ああ、今年も夏になるんだなあ。
鎌倉に行ってみようか。
大町(おおまち)のお寺にある、三人のお墓に行ってみようか。
小さな丸い御影(みかげ)石が三個、
芝生に並んでいるお墓の上に、
きっと今年も、大きなヨウシュヤマゴボウが、
涼しい影を作っているのだろう。
その草の陰に、ちょっとだけ僕も、
休ませてもらおうかな。

(読んだ人:坂東工)

 こころを2で割った答は
                         一倉宏

ねえ…
どうしていまごろ そんなこと言うの?

まだ陽射しの残る9月の夕暮れ
あなたは青山のあの店で さよなら と言った
あれから私は… どうしたと思う?

パウダールームの鏡の前に立つと ふたりの私がいたんだ
くちびるを噛んで無表情な私と 涙をぽろぽろとこぼした私
どちらの私が ほんとうの私だと思う?

それから
石のように無表情な私は 外苑東通りを歩きはじめた
あなたの置き去りにしたものに 私は怒っていた
すべてが中途半端で 矛盾して 曖昧なままだった
結論のない 謎ときのない ミステリーのようだった
私が怒る理由は すれ違うひとの数よりも多いと思えた
あなたは確実に 犯人だった
臆病で ただ逃げまわる 情けない犯人だった

それから
涙のとまらない私は 外苑西通りを歩きはじめた
あなたの言ったことは ぜんぶ嘘に違いない
その証拠に あなたは一度も私の目を見て話さなかったから
いつもより小さな声で 真直ぐにことばを投げなかったから
だけど そんな薄弱な根拠に また涙がこぼれた
はじめて 愛している と言ってくれた記憶も
あなたは 横顔だったから

外苑東通りを歩く私は 無表情のままだった
復讐ということばさえ 胸に浮かんだ
あなたの罪状は 優柔不断のろくでなしだった

外苑西通りを歩く私は 涙がとまらなかった
どんなことでもするから 戻って欲しかった
私が死なない方法は それ以外にないと思った

外苑東通りを歩く私は くちびるを噛みつづけた
中途半端で 矛盾して 臆病な犯人に
私を共犯者にさえできなかった その弱さに

外苑西通りを歩く私は 泣きつづけていた
ぜんぶ嘘だと なんどもなんども考えた
携帯電話が鳴らないかと なんどもなんども確かめた

外苑東通りを歩く私は 怒っていた
あなたを 一生許さないと考えた
外苑西通りを歩く私は 泣いていた
死ぬまで 泣きながら待ちつづけるのだと思った

ねえ…
あれから私は どうしたと思う?
どちらの私が ほんとうの私だと思う?

それから ふたりの私は
桜田通りでタクシーを拾い 行く先を告げた

その夜 私はひとりで
怒りながら 泣きながら 
もう 決してあなたを愛していない私を 選んだ

それが… いまの私です

(読んだ人:高田聖子)

万葉の孤悲 
                  一倉宏

いまは もう
オープンカフェで待ち合わせするには
肌寒い季節だろう。

あなたと僕が待ち合わせをしたのは
5年前のちょうどいまごろ。 
神宮前のあの店で。

はじめてだから わかりやすいように
外側のなるべく奥のテーブルと約束して。

だから 20分も遅刻してしまった僕も
すぐにあなたを見つけることができたのだけれど。

いまでも憶えている。
そのとき カーディガンを肩にかけ
本を読んでいた あなたの横顔を。

こんな場面で
若い女性が開いている本は 先入観でいうなら
村上春樹やニューヨーカー短編集などがふさわしい。

けれど あなたがしおりを挿んだその本は
夏目漱石の『草枕』だった。

さらに 僕を驚かせたのは
遅れた失礼をわびると 
さらりと微笑んで あなたが こう答えたこと。

「いいんです。
 私、こういう時間が好きだから。」

男は誰だって 自惚れで肥大して 幻想を甘やかす。
だから あなたは無防備すぎたと いうつもりはない。
あなたが 好きだといったのは
相手が誰であれ 待ち時間に本を読むこと。
その ひとりの時間。

いまでも 青山通りから新宿方面に抜けるとき
あの店の前を通る。

あなたの名誉のためにいえば 
漢字の多い やや昔の小説を読むこと以外は
あなたは若い女性として 特に変わってはいなかった。

ふたりになれば
コーヒーにケーキをつけておかわりし
そして よく笑った。

なにが幻想で なにが幻想ではなかったのか 
ほんとうは いまでもよくわからない。

元気でやっていますか。
僕らは 僕らのあいだにあったなにかを
なかなか飛び越えられなかったね。

このあいだ 昔の日本語について調べていたら
万葉集では 「恋」を 「孤悲(こひ)」
孤独の「孤」に 悲しむの「悲」で 「孤悲(こひ)」
と書いていたことを はじめて知った。
ひとり 悲しむ の「孤悲」か。
恋とは結局 ひとりの時間のことなのか。

いまも カップを片手に ひとり静かに悲しんでいる。
それが 「孤悲」の時間なら 僕もまた 
この時間が どうしようもなく 好きかもしれない。

(読んだ人:坂東工)

保健室、という家
                           
          さくらやすひこ
             

3限目がはじまって、少し経つ。
体育館からは、
ドリブル音とバスケットシューズが
床に擦れ合う音が散発的に
漏れ聞こえてくる。
普通なら青臭くさい嬌声なども混じり、
溌溂とした活気のある音のはずが
まったく覇気が感じられない。
弛緩し切った無気力な雑音にしか
聞こえてこないのは、
進学組と呼ばれるA組のヤツらの
授業だからだ。

いつものように私は、
眉の手入れをはじめる。
ムダに早い始業時間のせいで、
朝はそんなケアをする余裕などないし、
かといって通勤電車の中で
化粧をするほどのコンジョーもない。
午前中、この部屋に客が比較的、
少ない時間帯が狙い目だ。
洗い立ての白衣を着た年増のコスプレ女が
思わせぶりに脚を組んで鏡をのぞき込んでる、
ように見えなくもないか…

今のこんな姿を、
いつも何かに忙殺されている
教頭にでも見つかったら、
あのオッサンの仕事を、
また増やすことになるし、
ツマらん妄想のネタになるので、
カーテンは閉めたままだ。
その向こう側は、
今の私には強すぎる春の光が溢れてる。
ホント、眩しすぎるぜ青春。
ベッド廻りの間仕切りカーテンは
逆に引き開けられている。
ベッドは、もちろんもぬけのから。
朝礼の時にぶっ倒れた進学組のコゾーが
さっきまでマグロになっていたが、
とっとと早退していただいた。
コゾー特有の甘ったるい匂いが
シーツに残らないよう
掛け布団は剥いだままにして整えてある。

いかにも無難で退屈なおばはんバッグから
コスメポーチを取り出す。
ババくさいバックには不釣り合いなほど、
妖しくド派手なポーチは、
中国系アメリカ二世の女が
立ち上げたブランドのものだ。
この女のことが私は好きだ。
ブランドが好きというより
この女の顔が好きだ。
とくに目がいい。
上手く言えないが、
何か怨嗟を感じるというか、
硬くて冷たい意志を感じるからだ。
そんな女のつくった
アイブロウライナーを取り出し、
右側の眉にさっそく取りかかる。
我ながらうまくいったな思いながら
左の眉に取りかかろうとしたとき、
身体検査のお知らせポスターが貼られた
ドアが音もなく引き開けられる。

また、あのコだ。
私は、鏡の前で脚を組みブロウライナーを持ち
左眼をつぶり口を開けたままの状態で固まる。
まるで笑えないトーキョー者のコントだ。
そんな私を見て、
彼女は左側の口角だけを引きつるように
持ち上げ声もなく嘲笑っている。
春から、このガッコーに入った新一年生ってやつだ。
入学式から2週間、
毎日この時間になるとやって来る。
入学式の当日ですら、
式を途中で抜け出して保健室を探し回った強者だ。

「へたくそ…」
挑むように言葉を選び、
私のそばに、
ささくれだったひと言を投げ捨て遺棄する。
目は笑っていない。
この化粧品つくった女の目と同じだ。
半分だけ描かれた眉のまま私は脚を組み直す。
どんなに大人を気張ったところで、
片眉の私に勝ち目などあるわけがない。
「ベッド、空いてるよ」
彼女の方を見ずに鏡をのぞき込み
左の眉に取りかかる振りをする。
                    
彼女は黙ったままベッドへ向かい               
私を拒絶するように間仕切りのカーテンを強く引く。               
安物のベッドのスプリングが軋む音がする。
間仕切りの向こうの様子を片眉のままじっと窺う。
そんな私を見透かしたように
カーテンの向こうの彼女が喋り出す。
「おかあちゃんのせいで、
毎日、寝不足や、
なんでアンタのお弁当まで私がつくるん?
お昼なったら起こしてな!
きょうのおかずは、
ちなみに卵焼きとタコさんウインナーです」 
一気に喋り終えると、
もう、寝息らしきものが聞こえてきた。
カーテンをそっと開けると
カラダを丸めるように背を向けて眠っている。
                    
鏡の前の片眉の私の目は、
眠る彼女の目にそっくりだ。
でも化粧は、圧倒的に彼女の方が上手い。
このコスメポーチも娘から誕生日に貰ったものだ。

3限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
あと1限でお弁当だ。

(読んだ人:高田聖子)
Tokyo Copywriters’ Street 2010年4月放送の音声はこちら
http://tcss.seesaa.net/article/146937430.html


     小野田隆雄

「波はよせ。
波はかへし。
 
波は古びた石垣をなめ。

 陽の照らないこの入江に。
 
波はよせ。
波はかへし。」

私は二十年前、十九歳のときに、

ヨシノリを、タエコから奪い取った。
タエコの母が亡くなって

九州の実家に帰っているとき、
ふたりが同棲している

アパートの部屋で

私はヨシノリをタエコから奪い取った。

東京に戻ってきたタエコは

涙ひとつ見せずに出ていった。
けれど、ひとこと、私にいった。
「トモコ、おまえ、バカだね」

ヨシノリは大田区役所につとめ、

売れない詩を書いていた。
二十五歳だった。

タエコは大森駅前のバーで働いていた。
あの頃、三十歳くらいだった。
私は、あの頃も、いまも、
大井競馬場の、
馬券売り場で働いている。

「波はよせ。
波はかへし。

 下駄や藁屑(わらくず)や。
油のすぢ。
 
波は古びた石垣をなめ。

 波はよせ。
波はかへし。」


草野心平の、「窓」という題名の詩が

原稿用紙に万年筆で書かれて、

ヨシノリのアパートの
北側の壁に
貼りつけてあった。
「波はよせ。波はかへし。」

私とヨシノリは一年ほど続いたが、

そのうち彼は、鮫洲の居酒屋の女と
暮し始めて、
帰ってこなくなった。

私は十日ほど、「窓」という詩と、

にらめっこをしていたが、

その詩を壁からはがし取って、

そのアパートを出た。


それから数年が過ぎた。

馬券売り場で、ひとりの男が
私を好きになった。
すこし交際して
結婚した。まじめな男だった。

京浜急行の青物横丁の駅員だった。

きちんと結婚式もあげた。

けれど、六、七年すぎた頃、
彼の職場が、
横浜の黄金(こがね)町(ちょう)の駅に変り、

一月もしないうちに、

チンピラのケンカを止めようとして、

ナイフに刺されて、死んでしまった。

「波はよせ。
波はかへし。

波は涯(はて)知らぬ外海(そとうみ)にもどり。

雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。

億(おく)萬(まん)の年をつかれもなく。

波はよせ。
波はかへし。」

私は、いつもひとりだった。

羽田空港に近い、

穴(あな)守(もり)稲荷のある町で生れ育ち、

ひとりっこだった。
父と母は、
小さな町工場(まちこうば)で、
朝から晩まで
働いていた。

私が高校に入る頃に父が死に、

高校を卒業する頃に母が死んだ。

私たちの家は、小さなマンションの
十一階にあり、

南の窓から海が見えた。

沖のほうから、白い波が走ってきて
消えていく。
そして、また、走ってくる。

父は工場で事故で死に、
母は高血圧で死んだ。

どちらのときも、私は海を見つめた。

聞えるはずのない、波の音を聞いていた。


波はよみがえる。ひとは死ぬ。

私は、今日まで、しあわせだった。

さびしかったけど、しあわせだった。

きっと誰かが帰ってくる。
波が、帰ってくるように。


「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。」

(読んだ人:高田聖子)

渚にて。

                 神谷幸之助

子犬に激しく吠えられて、ビックリして目が覚めた。
一緒に午睡をしていた彼女も悲鳴をあげた。
牧羊犬のボーダーコリーだ。
羊に吠えるように、僕らにまとわりつく。
誰のペットなんだよ。

地元の人が多いこの小さなビーチは、
昨日、都会から来た僕らに、冷たかった。
話しかけても誰も答えてくれない。
時々目が合って、愛想良く微笑んでも
すぐかわされた。

のどが乾いて
「すみません、ビールください」って、海の家でお願いしても
「なめんなよ!」って叫んでも。
全員に無視された。

ぼくらは、孤独だった。
閉鎖的なビーチ。

だから
僕は彼女とふたりで、
海で遊ぶしかなかった。

彼女は、泳ぎが得意ではなく、むしろ金槌だった。
水を怖がって、海には入ろうとしなかった。
それを無理矢理ゴムボートに乗せて沖に引っ張って行き
キャーキャー騒ぐ彼女と笑いあった。
ビーチのみんなに冷たくされても、
けっこう楽しかった。

それはビーチに戻ってきて
雲に隠れていた
太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

(女性)「ここからふたつのエンディングをお楽しみください。
    まず、エンディング/タイプAをどうぞ」

太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

僕の彼女に影がないことに気がついたのは。

え、どういうこと?

そして、僕にも影はなかった。

体を動かしたり、手を振っても
影はない、てか、できなかった。

その瞬間すべてが瓦解し、すべてが理解できた。

思いだした。
昨日、僕と彼女はこのビーチで
彼女を沖につれだしたとき溺れ、
それを助けようとした僕も溺れたんだ。

ライフガードにビーチまで上げてもらったけど。
人工呼吸をしてくれたんだけれど。
だめだった。

僕と彼女は、死んだ。

ビーチのみんなが冷たかったのではない。
みんなに、僕らは見えなかった。

犬だけが、僕らのに気づいたんだ。
ぼくらの「存在」を知っているのは、キミだけだったんだね。
ありがとう。

(女性)「次のエンディング/タイプBをお楽しみください。」

太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

影があるのは、僕と彼女だけ。

そのほかこのビーチにいる全員に影がないことに気がついた

あのおじさんも、あのビキニの娘にも、この小さな子にも。

そこは、死の国だったんだ。
死者たちの海水浴。

犬は、この死のビーチの番犬。
こう吠えていたんだ。

「こっちに来ては行けない。出て行け!」

(読んだ人:坂東工・高田聖子)

ある夏の日の出来事
                 
                    山本渉

それは気が狂いそうになるほど、暑い、暑い夏の日のことだった。

カーステレオから聴こえてくるラジオがCMに入ったとき、
営業車の古いカローラはゆっくりと踏み切りに入った。
前を進む自転車のタイヤが溝にとられるのを
眺めているうちに、遮断機が降り、行く手を遮った。
カンカンカン、というけたたましい音とともに。
ことの重大さに気づいたのは、猛スピードで迫り来る列車が、
助手席側のウインドウの先にはっきりと見えてからだ。
その瞬間、目の前に巨大なザリガニが現れて、遮断機をその真っ赤な
ハサミで二つに切り落とした。

なんとか踏み切りから抜け出した僕に、
そのザリガニは、ゆっくりとした口調で話しはじめた。
「私をお忘れですか?」
呆然とする僕に彼女は続けた。
「あの時、逃がしてくれたザリガニです。20年前ひょうたん池で。」

ひょうたん池。
それは子供のころ夏休みになると、みんなでザリガニ吊りに行った場所。
ひょうたんの形をしたその池の北側に、小川が流れ込むその場所が、
最もザリガニが集まる場所だと子供達は知っていた。
同級生はみんな捕まえた獲物を学校に持ち帰り、大きさ自慢をし合っていた中、
ただ純粋に昆虫と触れ合うのが好きだった僕は、捕まえて、形を確認すると
逃がしていた気がする。

「あなたの側にいて、あの時のお礼がしたいのです」
彼女の言葉とともに、僕達の奇妙な生活が始まった。
僕は彼女をザリエと呼び、一緒に買い物をしたり、誕生日にはレストランで祝ったり、
それは普通のカップルとなんら変わらぬ関係だった。
ザリエは、外ではすましているけど、家では甘えてくる。
いわゆるツンデレというやつだった。
そんな彼女が、僕は、ただただ、いとおしかった。
この生活がいつまでも続けばいいのに、そう思っていた。

二人の再会が突然であったように、
別れも突然やってきた。
ある日家に帰ると、ウォークインクロゼットの横に座り、
一枚の写真を握り締めザリエは泣いていた。

それは、数年前付き合っていた彼女と行った、御宿の伊勢海老祭りの写真。
笑顔で生の伊勢海老を頬張る僕の姿が映っていた。
付き合う前の事だという言い訳を始めたが、僕はそれを途中でやめた。
彼女の前で、それ以上言葉を発することはできなかった。

ザリエが家を出て、もう数年が経つ。
今でも街で、赤いコートの女性を見かけると、
彼女を思い出す。

そんなある日、
大量のダンボールを営業所に運んでいると、
底が抜けて商品が道に崩れ落ちた。
慌てている僕の前に、一匹の巨大メスクワガタが現れ、運ぶのを助けてくれた。
「私のことお忘れですか?」
彼女は、ゆっくりとした口調で話しはじめた。

それは、気が狂いそうになるほど、暑い、暑い夏の日のことだった。

(読んだ人:大川泰樹)


             岩崎俊一

やっぱり犬にはかなわない、とヒトミは思った。

朝、学校に行く途中で、うしろ足が一本ない犬に出会った。
道の端を、人に連れられ歩いていた。
歩くたび、からだが上下に揺れる。他の犬に比べれば、
あきらかに歩みは遅く、歩調もなめらかではない。
しかし、犬に卑屈の影は見えない。
自分ののろのろとした歩みに焦れるでもなく、気おくれするでもない。
顔に憂いもなく、目にはおびえもない。
自分ならどうだろう、とヒトミは思った。
とてもあんなふうにはふるまえない。
泣きわめき、物を投げ、親にあたるだろう。
あるいは心を折り、ふさぎこみ、死ぬことも考えるだろう。
だが、犬は悲運を嘆くことはない。
身の不幸を言い募ることも、自暴自棄に陥ることもない。
そうか、とヒトミは思う。
犬は絶望しないのだ。
犬はもともと、「人生に」望外な期待など抱かないのだ。
犬は、ただ生きている。
目の前のものを食べ、与えられた足で歩き、
眠くなれば目を閉じ、一日に二回外の空気を吸い、
うれしければ尾をふり、解き放たれれば走る。
飼ってくれる人を選ばず、
飼ってくれている人が嫌いになって逃げ出すこともない。
あるがままの運命を受け入れ、ただ淡々と生きている。
犬は先生だ、とヒトミは思った。

ヒトミはもともと、じっとしていることが平気な、犬という生きものに
敬意を抱いていた。
近所にずっと、庭につながれている柴犬がいる。
通学の行き帰りに顔をあわせれば、「やあ」と声をかける。
犬は寝そべったまま、ピクリと耳を動かし、一瞥をくれる。
朝も、夕方戻ってきた時も、同じ場所、同じ恰好で寝そべっている。
ずっと何時間もそのままなのだろうか。もし私がそうなら、気が狂ってしまう。
なぜ犬は平気なんだろう、といつも考えてしまう。
一度だけ散歩途中の「動く彼」に会って、なんだかほっとしたことを覚えている。

ヒトミは、一年前、犬に死なれた。
自分より少しあとに生まれたサクラというメスの柴は、15歳で亡くなった。
最後の一年は病気勝ちで、もう長くはないと医者に言われた時、
ヒトミは涙がとまらなかった。なんて短い一生だろうと思った。
私と同じ時に生まれ、私が大人になる前に死ぬ。
これっぽっちの時間しか生きられないなんておかしいよ。
そう言って、ヒトミは泣きじゃくった。
その時、父が言った言葉が忘れられない。
「ヒトミ、人間のいのちが長過ぎるんだよ。」
犬のいのちは、人間の目から見れば短いだろうが、
なあに、犬はそのことに不満は感じていない。
これくらいでちょうどいいと思ってるよ、きっと。
バイバイ。さよなら。お先です。かわいそうなのは、あなたたちだよ。
つらい思いばかりして、
私たちの何倍もの長い人生を送らなければならない人間たちだよ。
父の話を聞いて、そう言えば人間も大変だ、と
ヒトミはちょっと泣き笑いになった。

静かに散歩する三本足の犬に出会った日、
ヒトミは学校の帰りに花屋に寄った。
サクラが死んで初めて、居間のサクラの肖像画の前に飾る花を買った。

(読んだ人:高田聖子)

百億にひとつの孤独

                中山佐知子
                   

夕日の色がなぜ寂しいのか
ときどき僕は考えることがあります。
それはきっと
七つの色の仲間を置き去りにして
たったひとり、あまりにも遠くに来てしまったのが
夕日の色だからです。

それから僕は光について考えます。
この世で最初の光と、その影について考えます。

光あれと誰かが言ったとき
影については何も語らなかった…
けれども影はどうしたって存在しています。
宇宙のはじまりの光がお互いに衝突しあって
はじめての物質ともいうべき素粒子が生まれたとき
その素粒子の影である反素粒子も生まれてしまったからです。

光の素粒子と影の反素粒子は
お互いの相手にめぐり会うことができたとき
プラスとマイナスが打ち消し合うように
消えていくことができました。

ときどき僕はその幸福を思います。
運命の相手と出会った瞬間に消えてしまうことができたら
一緒に消えることができたら
孤独というものはこの世になく
そもそもこの世というものすらない安らかな無の世界です。

けれども、百億にたったひとつ
めぐり会う相手のいない孤独な素粒子がいました。
いつまでたっても消えることのできない素粒子は
孤独をかかえたまま集まって寄り添い
その集まりからこの宇宙のすべてが形づくられていったのです。
集まっても寄り添っても寂しいのは
人も草も木も、ひと粒の砂も
もともと孤独から生まれているからだと僕は思います。
だから僕たちはひとりひとりが
冷たい石のような孤独を
抱きしめても決してあたたまらない孤独をかかえたまま
最後まで生きていかなければなりません。

あなたはひとりでなくてもひとりです。
そして僕もひとりです。

赤い大きな夕日がもうすぐ沈むと
あの親しみ深い夜がやってきます。
僕たちはその夜のなかで一緒に、そして別々に
自分の寂しさを味わいつくしましょう。

孤独こそすべてのはじまりであり
孤独でないものは何も生み出すことはありません。

(読んだ人:大川泰樹)

 ちいさなトラネコの肉球は  (〜 NEW VERSION 〜)

                  一倉宏

(大) おとこ   

  ちいさなトラネコの肉球は
  ゴールキーパーの黒いグローブのようで
  転がるボールをみごとにセーブする

  ナイスなやつだ

  ちいさなオスのトラネコは
  タマタマの先っちょの毛も黒い

(聖) おんなのこ  

  すてきななまえをもっているのに
  おんなのこは もうひとつのなまえを
  じぶんにつけたりします

(坂) しょっき  

  食器洗い機があって洗濯機のない
  ぼくの独身生活を きみは笑いころげた
  だって 
  食器はコインランドリーで洗えないんだぜ?

  いまでも 食器洗いは嫌いだ
  洗濯しながらマンガを読むのが好きだ

(聖) まくら  

  じぶんの においがする

(大) たおる  

  いちばんしていい贅沢は バスタオルだ
  真っ白で大きくてふかふかの バスタオル
  この幸福感のねだんは あんがい安い

  だけど 
  おなかをすかせたアフリカのこどもたちへの募金
  きょう ポケットに手を入れかけて やめた

(聖) ぽんちょ  

まだ さゆうのあしを じょうずにうごかせない
このこのために

せかいは へいわでなければならない

(板) じーんず

  たまにムカツクこともあるけれど
  世界は おおむねオッケーだと思う
  とくに よく晴れた日なら

  友だちが
  おまえ ユウウツって漢字で書けるか と聞く
  書けるわけないだろ

(聖) ばっぐ  

  がーん しまった 携帯わすれた
  わすれなぐさは 春の季語

  わたし
  なんでこんなこと憶えてるんだろう?

(大) くつ  

  
  あるく あるく あるく
  あるく あるく あるく あるく
  とまる あるく あるく あるく

  あるくのが好きだ  


(聖) すかーと

  こどもが 眠る
  ときどき トラネコも眠る

  わたしも すこし眠る

  特技 すこしだけ眠って元気をだす

(坂) とけい

(聖) とけい

(大) とけい

    6月26日の日没になります。
    本日はありがとうございました。

(読んだ人:大川泰樹・坂東工・高田聖子)