収録記

ColumnA

どたばたの日(収録記 2011年9月17日)

早々と段ボールスタジオに到着した。
収録は14時だが、到着は12時半だ。
暑い日だ、冷房をかけて冷やしておかないと
ナレーターのみなさんがドアを開けるなり帰ってしまうだろう。
13時半、ミキサーの森田も到着して準備をはじめた。

14時、う〜〜ん、トップバッターの人が来ない。
ま、いいか(よくないけど)
水下きよしさんが早めに来たのではじめることにした。
水下さんの読む原稿は川野康之さん(上の写真)が書いた。
タブーであるはずの効果音が書き込まれている。
ネジの音…
川野さんはオルゴールを持参してくれた。
そのネジの音を使うことにした。

水下さんはリンゴジュースを持ってきてくださった。
川野さんは水下さんのナレーションがかなり気に入って
いいですねぇを連発した。

しかしおかしいな、どうもおかしいな。
トップバッターが未だに来ない…ということは
収録日を勘違いさせる原因があるに違いなかった。

心配になって吉川純広くんにメールを打った。
「収録日は今日ですよ」だと、わかっとるわいと言われかねないので
「場所がわからなかったら電話ください」にした。
菅原永二さんに電話をした。
「もしもし…」
寝ぼけながらあわてふためく声がした。
トップバッターの人はどうも来そうもないので
西尾まりちゃんに電話をした。
「もしもし、今日は稽古休みだよね。助けて。」
まりちゃんが来てくれることになった。

吉川くんはチャリで無事に到着した。
吉川くんが読むのも川野さんの原稿だった。
ゆるキャラだ。ピッタリだ。
こっちも川野さんはかなり気に入ったようだった。

菅原永二さんはまちがって赤坂のスタジオへ行ってしまった。
どうやら昼寝の最中に電話で起こされたのが災いして
普通に覚えていた時間や場所の記憶が消えてしまったらしかった。
私が電話さえしなければ何の問題もなく到着したはずだった。
悪いことをしたと思ったが、面白かった。

向井薫さんと西尾まりちゃんがほぼ同時に到着した。
向井薫さんは私の原稿、西尾まりちゃんは李和淑さんの原稿。
西尾まりちゃんの浴衣のパンツの写真を撮らせてもらった。
涼しそうだ。オレンジのポケットがかわいい。

菅原永二さん、到着。
暑いのに赤坂からさぞあせったことだろう。
気の毒だった。汗がにじんでいた。
これに懲りないでくれればいいのだが…。
菅原永二さんは岩田純平くんの原稿を読んだ。

地曳豪くんんも無事に到着した。
やれやれだった。

到着しなかった人の原因を考えてみた。
原稿を送ったとき
その原稿のファイル名が執筆者の名前と掲載月になっているせいだ。
岩田くんの原稿だとすると「11年10月岩田.doc」
このせいで10月と思ってしまうのだ。
こいつは困ったぞ…

しかもこのドタバタの日のドタバタの最中に
この1週間行方不明だった愚猫黒兵衛発見&捕獲の知らせが入ったのだ。
「すぐ引き取りに行ってください」
行けるわけがない、収録があと2本残っている。
しかも黒兵衛は世田谷の我が家の近所だ。
こっちは段ボールスタジオだ、中央区の新富町だ。

まったくドタバタに次ぐドタバタだ。
盆と正月が一緒に来たという言葉があるが
ドタバタに盆や正月があるとしたら
手を取り合って来た状態だった。
ついでに結婚式と葬式も大挙して押しかけたような騒ぎだった。

もうこの先は書く気がしない…(なかやま)

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瀬川くん、帰ってきてくれてありがとう。

そもそも私のミスが発覚したのが収録前夜でした。
それもけっこう遅い時間です。
収録日を間違えて伝えていました。

しかも、瀬川くんそのとき京都。
「金閣寺にも行きました〜」というノドカなメールが来ています。
なんかヘンだな〜、と思ったわけです。

で、私の間違いがわかり、
しかもすでに新幹線の最終もなかったのですが
幸いに収録が午後でした。
収録を延ばすか、瀬川くんを呼び戻すか…
そのとき、「僕、帰りますよ」のひと言がうれしかったです。

瀬川くん、帰ってきてくれてありがとう。

やがてTFMで流れます。
ヒューマンコンシャスという局のキャンペーン
「三陸鉄道」です。
近日中にこちらでも紹介できると思います(なかやま)

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9月1日に10月分の原稿が揃った

信じようと信じまいと原稿が揃ったのだ。
Tokyo Copywriters’ Street の締め切りは毎月1日だから
当然といえば当然なのだが
世の中は「当然だから」といって「当然のように」ものごとは進まない。
1日や2日遅れる人はあたりまえのようにいるし
たまには1週間も遅れる人がいないわけではない。

しかし10月の収録はいつもよりちょっと早い10月17日なのだ。
こんなときに1週間遅れはちょっと厳しい。
ナレーターを頼んだり選曲をしたりする時間がなくなってしまう。

しかし、揃ったのだ、まるで奇跡のようだ。
いや、奇跡などと言っては申し訳ない。

岩田純平さん、木戸寛行さん、川野康之さん、李和淑さん(あいうえお順)
本当にありがとう(なかやま)

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三坂知絵子さんと山田キヌヲさんの修学旅行

2011年9月の小山佳奈さんの原稿を読んでくれた
三坂知絵子さん(上の写真)は山口県出身だ。
三坂さんがちょうど読み終えたときに到着した
山田キヌヲさん(下の写真)は宮崎県出身だ。
ふたりは初対面だったので紹介し、ついでに出身地も付け加えた。
余計なひと言が盛り上がりのきっかけになることもあるものだ。

「わたし、修学旅行で宮崎にいきました〜」と、三坂さん。
「わたしも修学旅行で山口へいきました〜」は、山田さん。
山口県出身の三坂さんは修学旅行で宮崎へ行き
宮崎県出身の山田さんは修学旅行で山口へ行ったのだ。

三坂さんはアマテラスが隠れたという岩戸や
ニニギノミコトが降り立ったという高千穂で
神話な気分にひたったに違いないし
山田さんは秋吉台の鍾乳洞にもぐり、壇ノ浦で平家をしのび
萩の白壁の城下町を歩いて
お母さんに萩焼の湯飲みを買って帰ったかもしれない。

おまけにふたりの言うことを聞いてみると
山口県は九州の仲間になっており
「九州地方の天気」には山口県の天気も含まれるらしい。
山口県と宮崎県は九州新幹線の恩恵を受けていないことも共通している。

山田キヌヲさんが新幹線でまず大分まで行って
そこから宮崎にもどろうとすると
大分ー宮崎間が半日かかるのだという。

三坂知絵子さんの山口県では
維新をやったのは俺たちだから山口弁が標準語だ〜!
という認識だそうだ。

山口と宮崎にはまだまだ面白い話が隠れていそうな気がする(なかやま)

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写真を撮り忘れた収録記 2011.8.27

気がついたら収録中の写真を撮り忘れていました。
上の写真は収録後の飲み屋の写真です。
Tokyo Copywriters’ Street 9月分の収録は8月27日でしたが
その日は隅田川の花火大会でもありました。
3時半ごろ来てくれた瀬川亮くんによると
早くも浴衣を来た人が電車に乗っていたそうです。
花火の混雑の前に収録を終わらせて山手線の西に脱出しようというのが
今回の目標です。

14時、三坂知絵子。14時45分、山田キヌヲ。15時半、瀬川亮。
16時15分、大川泰樹。収録は順調です。
17時には撤収して電車に乗りました。

ところで、今回はTokyo Copywriters’ Street はじまって以来の
「原稿落ち」がありました。
苦しそうなのは察していましたが、こちらから「もういいよ」とは言えず
先方からギブアップもないまま落ちたということは
少なくとも書く意志はあったわけです。
書く意志があって書けなかったのはつらかっただろうと思います。
本当に申し訳ないです。

ところで上の写真の白い液体は焼酎のミルク割りです。
こんな不気味な飲み物が存在することすら私は知りませんでした。
飲んだのはミキサーの森田です。
森田はこの日、生ビール、焼酎の青汁割り、焼酎のミルク割り、
燗酒という順に飲み進んでいました。

そういえば花火大会は飲み屋のテレビで見ました(なかやま)

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ここんとこの庄司輝秋(画伯)



ここんとこ動画2分の1担当の庄司輝秋(画伯)の動画の上がりが早い。
これは実に助かる。つまり週末に留守ができる。
今週日曜日に掲載する動画は今日(木曜日)送られてきた。

では、「ここんとこ」じゃないときはどうだったかというと
掲載日の午後になって送られてきていた。
これでは日曜はずっとパソコンにへばりついていないといけない。
芝居も行けない、結婚式の二次会も行けない。
とにかくあらゆることができなかった。

がっ、もう大丈夫(だろう)
これからは日曜に予定を入れることもできる(だろう)
なんだか自由になった気がする。

ところで庄司輝秋(画伯)の画伯になぜカッコがついているかというと
このところ画伯ぶりを発揮していないのだ。
なんだかそれが寂しい。
寂しく感じるところをみると、どうやら私は
庄司輝秋(画伯)の絵のファンだといえなくもないのではないかと
そんなことを考えていたりするのだった(なかやま)

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