ストーリー

佐藤充 2026年6月1日「1999年、夏至。」

1999年、夏至。

  ストーリー 佐藤充
     出演 斎藤陽介

小さなころ、ノストラダムスの大予言を信じていた。
1999年の7月、空から恐怖の大王が降ってくる。
人類は滅亡すると信じて疑わなかった。

人類が滅亡するなら勉強なんてしても無駄だ。
いろいろな習い事も嫌々させられていたので全部意味ないと思っていた。

まず習い事の公文の宿題をするのをやめた。
サッカーの練習もみんながリフティングをしているなか、
足より手の方が使いやすいとハンドばかりしていた。
水泳もクロールはせずに仰向けになり、
ぷかぷか浮かんで天井ばかり見ていた。
ピアノも楽しくなかったので
イライラを鍵盤にぶつけるように弾いて先生に怒られていた。
帰りに買ってもらえるセブンティーンアイスの
チョコミントだけが楽しみだった。

習い事を全部やめて友達と遊んでいたい。
親に直訴したが、辞めさせてもらえなかった。

空から恐怖の大王が降ってきてどうせ全部なくなるのに、
なんで辞めさせてもらえないんだ、と憤った。

親からは納得できるだけの答えを得られなかった。
その代わり、頑張ったら任天堂のゲームボーイを買ってやると言われた。
だったらやるかとゲームボーイのために頑張った。

6月。友人のシモヤマくんの家で
ゲームボーイのドラゴンクエストモンスターズ
テリーのワンダーランドをしているときだった。

「来月でぜんぶなくなるね」と言うと、
「え、なにが?」と返ってきた。
「ノストラダムスの大予言」
「なにそれ?」
「空から恐怖の大王が降ってくる」
「つよいの?」

シモヤマくんはドラクエの話だと思っているようだった。
シモヤマくんはなにも知らずに滅亡する。
教えてあげたほうがいいのかなと思ったが言えなかった。

シモヤマくんもゲンキくんもカンくんもユナちゃんも
みんな来月で滅亡するのに滅亡しないみたいにしていた。

当時、いつも昼間から公園のベンチで
限りなく裸に近い格好でサンオイルを塗って日焼けをし、
たまに警察に通報されていた母親の兄に相談することにした。

公園に行くと母親の兄がいた。
僕に気づくと「おうどうしたアニキ」と声をかけてくる。
母親の兄はなぜか僕をアニキと呼ぶ。

「7月になったら恐怖の大王が空から降ってくるよね?」
単刀直入に聞く。
「おう、くるぞ」と答える母親の兄。

やっぱりそうだ。恐怖の大王は降ってくるんだ。
確信を得て、嬉しくなりさらに
「だったら宿題もやんなくていいよね?」と聞くと、
「おう、やんなくていい」と答える。

その日、
1999年、6月のいちばん陽が長い日、
母親のお兄ちゃんから聞きたい答えを聞けたぼくは、
家に帰り公文の宿題も勉強道具も全部ゴミ箱に捨て、
やりたいことだけやることを決意した。

そして、
7月が過ぎ、8月を過ぎても空から恐怖の大王は降ってこなかった。
ただただ同級生より勉強が遅れただけだった。

勉強に遅れた少年は
遅れた分を取り返そうとはせず
まだ2000年問題があるから大丈夫だ、
とまだ滅亡する未来に期待していたが
それも何事もなく過ぎてしまい、
ずいぶん勉強に苦労するのであった。

.
出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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安藤隆 2026年4月26日「東南口満ち欠け」

東 南 ⼝ 満 ち ⽋ け

ストーリー 安藤隆
   出演:大川泰樹

   JR の 番 線 を 乗 り 換 え る の に 、 地 下 通 路 の
混 雑 が 息 ぐ る し い の で 、 エ ス カ レ ー タ ー を 上
が る 。 ふ だ ん は そ う や っ て 地 上 階 の 構 内 を 通
っ て 、 中 央 線 の ホ ー ム へ 降 り る 。 だ が き ょ う
⽼ ⼈ は ふ だ ん の 乗 り 換 え と は ち が う こ と を 思
っ て い た 。 東 南 ⼝ か ら 外 へ 出 る か も し れ な い
と 思 っ て い た 。
   構 内 は 帰 宅 ラ ッ シ ュ に 当 た っ た う え 、 ⽼
⼈ の ⾝ に は 、 ⾏ き 交 う 健 常 者 の ⾜ ど り が 異 様
な 早 ⾜ と 感 じ ら れ 、 た び た び あ や う く ぶ つ か
り そ う に な る 。 な の に ⽼ ⼈ は 地 上 階 の 混 雑 を
嫌 い で は な い 。 そ れ ど こ ろ か お ぼ つ か な い ⾜
ど り に 微 か な ト キ メ キ が 混 じ っ て い る 。 東 南
⼝ を 出 た ち い さ な 地 帯 の 猥 雑 に 、 1964 年 の
上 京 少 年 の 夢 を み て い る 。
   南 ⼝ 改 札 は 甲 州 街 道 に ⾯ し て い る が 、 構
内 を ス ラ イ ド し て 東 南 ⼝ へ 回 る と 、 改 札 の 先
は 急 な 下 り 階 段 。 ⽼ ⼈ は 、 そ う 決 め て い た の
で は な い け ど 改 札 を 出 て い た 。 階 段 下 に は ち
い さ な ス ク エ ア が あ り 、 ⽤ 無 き ⼈ が て ん で に
た む ろ し て い る と み え る 。 そ う 思 え ば ⻑ く 急
な 下 り 階 段 は 異 界 の ⼊ り ⼝ と 思 え な く も な い 。
降 り る と 選 ん で な い け ど 降 り て い る 。 ⽼ ⼈ の
選 択 は い つ も そ ん な ふ う だ 。
   ⾏ き 交 う 外 国 ⼈ に 違 和 感 が な い 。 ⽼ ⼈ に
は ⽇ 本 ⼈ も 外 国 ⼈ に み え る 。 み な 東 南 ⼝ の 登
場 ⼈ 物 に み え る 。
ス ク エ ア か ら 路 が 3 本 放 射 状 に 出 て い る 。
左 か ら 順 に せ ま い 。 せ ま い ほ う へ せ ま い ほ う
へ し ぜ ん と 右 の 路 へ 連 れ て い か れ る 。
   数 ⽇ 前 ⽼ ⼈ は 映 画 を み に き た 。 そ の と き
も 右 の 路 に 引 っ 張 ら れ た 。 東 南 ⼝ は 久 し ぶ り
だ っ た 。 満 杯 の 歩 道 か ら こ ぼ れ 落 ち な が ら 映
画 館 を 探 し 回 っ た 。 あ げ く 建 物 の 前 で べ そ を
か い て い た そ の ⽩ い 建 物 が 、 映 画 館 の ⼊ る ビ
ル だ っ た 。
   ⽜ と 男 の 映 画 は 良 か っ た 。 ⽼ ⼈ は 千 円 の
パ ン フ を 購 ⼊ し て 脇 ⽬ も ふ ら ず 帰 っ た 。 と い
う の は ⽼ ⼈ の 擬 態 で 、 ⽼ ⼈ の ⼼ に 残 っ た の は 、
良 い 映 画 よ り 映 画 館 界 隈 の ワ ル の ほ う だ っ た 。 
懐 か し い お の の き に ふ い に 呼 ば れ た 気 が し た 。
で 、 脇 ⽬ も ふ ら ず 逃 げ 帰 っ た 。 な ん に つ け 、
と り あ え ず 逃 げ る 。
   そ し て き ょ う 、 ⽼ ⼈ は 、 あ の と き の お の
の き が や っ ぱ り 気 に な っ て 来 た の だ け ど 、 そ
の こ と は 伏 せ て い た 。 な ぜ な ら き っ と み つ か
ら な い か ら 。 探 せ ば な に ご と も み つ か ら な い 。
⽼ ⼈ は 希 望 を お そ れ て い た 。
   な の で そ そ く さ と ⼀ 周 し た 。 貢 茶 の 前 に
⼥ ⼦ ⾼ ⽣ が た か っ て い た 。 ド キ ド キ し て 道 を
あ け た ら 、 オ ジ イ チ ャ ン と ⽬ が 合 っ ち ゃ っ た
と い う ⽬ を さ れ た 。
そ そ く さ と ⼀ 周 し た 。 店 先 の マ ッ サー ジ
の 写 真 に ⾒ ⼊ っ て い た ら 、 店 先 の 中 東 っ ぽ い
男 に ニ ヤ リ 笑 わ れ た 。 ジ ャ ズ ビ レ ッ ジ は ⽬ を
合 わ せ ず に 1 時 間 ご と コ ッ プ に ⽔ を ⾜ し て く
れ た 。 コー ヒ ー ⼀ 杯 で 朝 ま で い ら れ た 。
   そ そ く さ と ⼀ 周 し た 。 タ イ ム ス に は た し
か に 来 た こ と が あ っ た 。 タ イ ム の 複 数 形 は ど
う い う 意 味 だ ろ う 。 バー ジ ニ ア ウ ル フ の 映 画
は タ イ ム ス と い う よ う な 題 名 だ っ た よ な 。
   そ そ く さ と 、 そ こ に い た の か ど う か わ か
ら な い ⼀ 周 を し た 。 ぜ ん た い て き に ま あ ま あ
だ っ た 。
   東 南 ⼝ 改 札 を ⼊ れ ば 、 構 内 は き た と き 同
様 の ⼤ 混 雑 。 ⽬ の 端 に ⼤ き な 影 が 近 づ い た 。
交 錯 す る ま え に す り ぬ け よ う と し た 。 と 、 固
い 筋 ⾁ の 塊 が ぶ つ か っ て き た 。 吹 っ ⾶ ば さ れ
通 り す が り の 男 に 衝 突 し た 。 転 ば な か っ た の
は よ か っ た 。 巻 き 添 え を ⾷ っ た 男 が よ ろ け な
が ら 、 ジ ジ イ わ ざ と ぶ つ か っ た の か と 睨 ん で
い た 。 違 う 違 う 違 う 、 ⽼ ⼈ は 妙 に 上 機 嫌 に ヒ
サ シ ブ リ ー み た い に ⼿ を ⾼ く 振 っ た 。

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出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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佐藤充 2026年4月19日「シャングリラ」

シャングリラ

ストーリー 佐藤充
   出演 遠藤守哉

タイのバンコク。朝の4時。
カオサンストリートから5分ほどの
元精神病棟を改装したと噂の真っ白な部屋と
窓ひとつないところが特徴のゲストハウス。

そこで10歳以上年上の日本人に
トランプでボロ負けをしていた。

「大人気ないですよ」
「勝負に年齢は関係ないだろ」
「このままだとバンコクの思い出が嫌なまま終わります」
「トランプに勝って記憶を上書きしたらいい」
という口車に乗せられてこの日も負けを重ねようとしていた。

朝5時になると僕らが10バーツラーメンと呼んでいる屋台がはじまる。
そこのラーメンにナンプラーをたっぷり入れて食べ、
宿に戻って昼過ぎに起きるのが日課のようになっていた。

なんでこんな生活をしているのか。
2ヶ月の休みを何して過ごすのか。
何も決めずに来たのが全てだった。

当時の僕はとりあえず日本からバンコク行きのチケット買って、
そこからの予定は着いてから決めればいいと思っていた。

バンコクに行けば世界中からバックパッカーが集まっている。
そこでいろんな人におすすめの場所を聞いてまわったり、
当時はゲストハウスそれぞれに旅ノートというのが置いてあって、
それを読めばだいたいのことが書いてあった。

現地のおすすめの飲食店から
国や都市やゲストハウスの情報、
安く移動する方法、ビザを簡単に入手する方法、
合法なのか違法なのか本当なのか嘘なのか
わからないことまでいろいろ。
僕はそれを読むのが好きだった。

そこに気になる一文があった。

「シャングリラは、本当にある」

シャングリラって理想郷や空想の世界を指す言葉じゃないのか。

チャットモンチーの『シャングリラ』や、
電気グルーヴの『Shangri-LA』は知っているけど、
本当に存在する場所なのか。
いかがわしい違法すれすれなお店の名前じゃないのか。

僕にトランプで大勝ちして
機嫌をよくしている日本人に聞くと、
「中国の雲南省の方にある」と言う。

旅程が決まった。
シャングリラに行こう。
決まると早い。

例の如くお金はないけど、時間はあるので、
トランプを切り上げ、バスで向かうことにした。

ラオスを抜けて、
陸路で中国に入り、
大理や麗江などいろんな街で (ダーリー)(リージャン)
寄り道、道草、遠回りをして、
3週間くらいかけてやってきましたシャングリラ。

シャングリラとは
チベットの言葉で
「心のなかの太陽と月」を意味する。

標高3300メートルに位置する
チベット文化を色濃く残すこの街は、
経文が印刷された青白赤緑黄色の旗が
あちこちに掲げられて風に揺れていた。

風が旗をはためかせることで、
風に乗った経文が周囲の環境や人々を浄化し、
幸運や平和が広がると信じられている。

宿で自転車を借りて、
ナパ海の方まで行くことにした。

ナパ海。
こんな山奥なのに海という名前。

山に囲まれたこのあたりは、
雨季になると、水が満ちて、
空色をした湖ができるらしい。

その様子は
天空に浮かぶ湖と呼ばれ、
空と水の境界線が消えて幻想的な景色が広がる。

今は乾季で、
赤やピンク、紫の花が広がっていた。

立派なツノを持つ野生のヤクが
野放しになって、草を喰んでいる。

もしも自分が陸上選手なら、
ここで高地トレーニングしたいと思う。

でも陸上選手じゃないので
今はここでビールを飲んだらうまいだろうなと思っている。

自転車を止めて、
草の上に腰をおろす。
手が届きそうなほど空が近い。

気持ちのいい風が吹いている。
青白赤緑黄色の旗が揺れている。

水が満ちたこの場所を想像する。
山と空とカラフルな旗が反射した湖が広がっている。
それを青島ビール飲みながら眺めている。

「シャングリラは、本当にありました」

バンコクのカオサンにあるゲストハウス。
次の誰かにバトンを繋げるような気持ちで、
僕は旅ノートに書いている。

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片野陽子 2026年4月12日「この世にようこそ Q」

この世にようこそ Q

ストーリー 片野陽子
   出演 平間美貴

どぅぉん どぅぉん どぅぉん どぅぉん
どぅぉん どぅぉん どぅぉん どぅぉん

このターンは終了となりました
臓器が動く⾳って はじめて聞きますよね
にぶい痛みの最上級とともに 響きわたるんです体の中に
次のターンがいつはじまるかは 誰にもわかりません
Q 次第です
聞いてみてもいいんですけど 無意味であることはわかってるんです
聞いたら負けな気もするし 途中棄権なんてできませんから
平均台の上に仰向けに寝かされて お腹の上にドリルを押しあてられたら
⻭を⾷いしばって耐えたくなりますよね
北野武とかタランティーノとか
⼈がルンルン倒される映画が好きなんですけど
⼤抵ぐっと⼒を⼊れたり 睨みつけたりしてるじゃないですか
だからそんなイメージで耐えようと思っていたら
「は〜い 体の⼒をぬいてくださいね〜」って優しく囁かれるんです
「体の⼒をぬいて 凧揚げしてくださいね〜」 って
凧なんて上がんないです 体が⾃分の意思どおりには動かないんですから

⽇程についてですけど どの⽇になるかは Q 次第でした
事前にこの⽇って決める選択肢もあったんですけど
私は決められていない⽅を選びました
⾃分では決定できない⼒に⾝を任せたほうが楽しそうだなって思ったんです
Q が私を呼ぶのは もう少し先だと信じていました
Q は丘の上のほうにいると聞いていたので
だから前⽇は蕎⻨懐⽯ その前の⽇はメキシコ料理店に⾏っていました
この先もう⾷べられないかもと思って
おいしかったです
どぅぉん どぅぉん どぅぉん どぅぉん
Q の⼀部を感じる
どぅぉん どぅぉん どぅぉん どぅぉん
まだ⼀部にすぎない
蛍光灯の⽩すぎる光
⽴ち会い⼈のねじねじタオル
「は〜い ⽴ち上がる〜」
⾜⾸ぐにゃり
⼦⿅ よくテレビで⾒る⼦⿅
どぅぉん どぅぉん どぅぉん どぅぉん
今⽇は暑い夏
どぅぉん どぅぉん どぅぉん どぅぉん

どぅるん

Q とはじめて対⾯したときの感想は
「あ でてきた」でした
感情が動くというよりも先に事実確認みたいなことを思いました
Q はひととき声をあげると 私の胸の上にのせられました
ほっぺたを 体のぜんぶを ぺったりとくっつけてきます
どこも離れている部位がないくらいに
⼼臓の⾳を交換するかのように
ぺったりと
3408 の重みがじんわりと体に満ちていきます
私のまわりには ⼩さな花びらをもつ
ささやかな なんともない花が笑って⽣えてきました
ぴんくのちょうちょが 様⼦を⾒にきてうなずきました
ホルンの包み込むような旋律からはじまる⾳楽が聞こえてくると
Q は散歩をはじめました
迷うことなく 確信を持って 進んでいきます
「ああ ここだ ここだ」
Q は泉にたどり着きました
「なぜここに泉があると知ってるの?」
私が聞くと Q はニヤリと笑いました
⼤仏みたいな顔でした

かわいい
かわいい
かわいい
この世に ようこそ Q

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出演者情報:平間美貴 ヘリンボーン所属 https://www.herringbone.co.jp/#home

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安藝哲朗 2026年4月5日「満たされない水瓶」

「満たされない水瓶」

ストーリー 安藝哲朗
   出演 遠藤守哉

水瓶は今日も満たされない。

デザイン会社で働く水瓶は、
クライアントへの提案帰りに
四谷の小料理屋で仲間と打ち上げ。
ビール、ちくわの磯辺揚げ、苺と蕪の赤酢漬け、
ピーマンの塩炒め、富山の日本酒、
うどとこごみの天ぷら、安納芋のバターのせ、
青森の日本酒、鯨の竜田揚げ、柚子おむすびと赤だし。
水瓶は「おいしすぎてやばい」とか言っているが
実はインフルエンザ明けで嗅覚を失っており
味がよくわかっていない。みんなの盛り上がりに
水を差すのもアレだから、なんとなく調子を合わせてしまう。
満たされたのは、胃袋だけ。

水瓶は今日も満たされない。

水瓶は、ひと月半に一度、
鎌倉の美容室で髪を整えてもらう。
「春も近いし、思い切って
ジーン・セバーグみたいなショートにしようかしら」と、
ここ2年ほど言い出せなかった自分的には思い切った提案を
あたかも今思いついたかのように美容師に告白した。だが、
「この髪質だとモンチッチっぽくなるかもです
やめておいたほうがいいかもです」と真顔で返される。
人が月へ住もうとする時代に、自分には
こんな小さな冒険も許されないのか。水瓶は空しい。
一方、鎌倉の大仏はかなり冒険した頭だな。さすがです。
帰りの電車の窓に映る水瓶は、
ひと月半前と何の変わり映えもない。

水瓶は今日も満たされない。

水瓶は、日頃の満たされなさを
AIに相談してみた。プロットはこんな感じ。
「近頃なんだか満たされない気持ちなんだけど、
どういうこと?」そしてこんな感じの答え。
「満ち足りていると、人は次へ進もうとしなくなる。
満ち足りていないのは、幸せへののびしろが
あるというしるしなのです」つまらない。
励ましてくれているけど、つまらない。
ありがちな一般論。どこか安い占いのような。
キミの優しさはありがたい。けどごめん。
AIは悪くない。悪いのは私。

水瓶は今日も満たされない。

水瓶には微妙な関係の海亀がいる。
海亀にも満たされなさについて問うてみた。
「満たされないということはさ、」海亀は語る。
「幸せになる一歩手前なんじゃないかな」
お前もそんなこと言うか。びっくりした。
あなたAI?そんなに退屈な亀だったっけ。
一万年生きていてそんなもんか。
水瓶は鏡に映る自分を覗き込む。
一滴の水もない。完璧な空っぽだった。
私もうダメかもしれない。
ダメかもしれない。
かもしれない。

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出演者:遠藤守哉

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田中真輝 2026年3月29日「桜と鉄パイプ」

「桜と鉄パイプ」 

   ストーリー 田中真輝
      出演 大川泰樹

桜、と聞くと、思い出す情景がある。
満開の桜の下、ひらひら舞い落ちる花びらの中に、
中学生の男の子が立っているワンカットの映像。
やたらと太いズボンに、異常に短い学ラン。
当時、ボンタンに短ラン、と呼ばれていた、いわゆる変形制服セットアップ。
浅黒い肌に、ツンツンに尖らせた短髪が天を衝いている。
どこを見ているのかわからない、眠たそうな目をいつもしていた。
男の子、と今なら言えるけど、当時は界隈で最も恐れられていた男だった。
今ではあまり聞かなくなったが、
不良品の品をとって、不良、と呼ばれるカテゴリーに属していた。

あだ名は「オクゲ」。
本名が「おくした」だったような気もするが、
とにかく「オクゲ」という名前は
彼自身が発する不吉な雰囲気と相まってわたしたちが住む盆地一体に
どんよりと広がっていた。
そのオクゲが、花散る木の下に立っている。
右手に長さ30センチぐらいの鉄パイプを持って。

オクゲは、わたしと同級生で、わたしと同じくバスケ部に所属していた。
元々はおとなしいやつだったのだが、1年の冬ごろから急速に荒れ始め、
そのうちまったく部活に来なくなった。
どうも顧問の先生とひと悶着あったらしい。
それが原因なのか、わたしたちバスケ部員は、登下校時や部活中、
なにかといちゃもんをつけて絡まれたり、追いかけられたりした。
なんでとばっちりを食わなきゃならないんだ、と、
わたしたちはそのたびに嘆いた。
そうこうしているうちに、オクゲの行状は悪化の一途をたどり、
授業中、とんでもない音を立てるスクーターで校庭を走り回ったり、
誰かの歌みたいに学校中の窓ガラスを割って回ったりするようになった。
近くの公園で他校の不良と喧嘩になり、持っていた鉄パイプで誰かを衝いて、
肺に穴が開いた、などという物騒な噂も広がっていた。
鉄パイプで衝かれて肺に穴が開く、という絶妙に怖いリアリティに、
いわれなく追いかけまわされるバスケ部の面々は深いため息をついた。

夏休みのある日、隣の中学まで練習試合に出かけたその帰り、
わたしたちは、ばったりオクゲに出会ってしまった。
今でも鮮明にその時のことを覚えているが、
草ぼうぼうの斜面の上から、
わたしたちを見下ろすそのシルエットを捉えた誰かが
「あっ」と言った瞬間、顧問の先生が「逃げろ!」と叫んだのだ。
言うに事欠いて「逃げろ」かよ、と今となっては思うが、
そのときはみんな反射的に必死で走り出していた。
そして、逃げるわたしたちを見て、オクゲは斜面を駆け下りてきた。
そのあとのことは、よく覚えていない。
ただ、順番的には「先生の逃げろ」のあとに「追うオクゲ」だったことは
間違いないと思う。

そんなことが日常になっていた中学生活も、いつかは終わる。
たいした成績も残せないまま中学を卒業するバスケ部のメンバーは、
なんとなく、まあ記念写真でも撮っておくか、という話になり、
卒業証書の入った筒を片手に、
体育館前の桜の木の下にゆるゆると移動していた。
その、桜の木の下に、オクゲがいた。
ささくれだった短ランにボンタン。ガムテープで補修されたスリッパ。
焦点を結ばない目は、どこを見ているのかわからない。
そして、その右手に、鉄パイプが握られているのを見たとき、
わたしたちはうんざりしながらも踵を返し、三々五々、逃げ出した。

あれからオクゲには会っていないし、部活の仲間と会うことも
ほとんどなくなってしまった。
でも、桜を見ると、桜の下にいたオクゲを思い出すことがある。
そして、最近、ふと思うのだ。
もしかしたら、あいつが右手に持っていたのは、鉄パイプじゃなくて
卒業証書だったんじゃないか、と。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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