波間千良子 2024年2月25日「桃」

   ストーリー 波間知良子
      出演 久世星佳

遠くの左から流れてきたわたしは
そのまま右へと流れて行きました
あのひとの手が滑ったのかもしれないし
わたしがするんとかわしたのかもしれない
ほら、ふいに手を繋がれたって事実を
ただ手が触れただけって上書きするみたいに
大事なのは流れを止めないこと
止まらない限り何も決まってしまわないから
ちびちびした産毛の感触だけ残して
わたしもうちょっと先に行きたい

上手に流れるコツは体の力を抜くことです
学校ではそう教わりました
いっしょうけんめい練習しました              
あらかじめ決められた物語に乗るために
でもわたし本当は泳ぎ方を教わりたかった
指先まで力をいれてバタバタと水しぶきをあげて
行きたい方へと勇敢に進む方法を
みんないったいいつ誰に教わったんだろう

となりをあれが追い越していきました
あれっていうのはそうそう、iPhone
iPhoneって泳げるんですよ
『「設定」をひらいて、「泳ぐ」をオンにしてください』
そういえばむかしおばあちゃんが言ってた
この先のずっと先のどこかに彼らの大群がいて
水族館のイワシショーみたいにギラギラとうねってるって
さっきのあの子はフィフティーンだから
ずいぶん早くにここへ来たのね
もしかしてもしかすると
自分で飛び込んだのかもしれないね

波がどんどん高くなってきました
真っ暗で何も見えないけれど
これまでよりもずっとずっと広い場所に来たことはわかります
お尻の傷に海の水がしみて
いま生きていることがわかります
どんぶらこ、どんぶらこ、
わたしはわたしの鬼を退治に
大事なのは流れを止めないこと
まだ何も決まってはいないから



出演者情報:久世星佳  https://seika-kuze.com/

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久世星佳「憂いなる左手」

憂いなる左手

     作・出演:久世星佳

友人たちとの食事中
私はお箸の扱いが下手だという話になった。
「そうそう、この間書き物をしてる時にも
 不思議なペンの持ち方するなーって思って見てたんだよね。」
友人の一人に言われる。

そうなのだ。
祖母や母から
「お箸の持ち方が下手だと恥ずかしい思いをする」
と幼い頃から結構厳しく言われてきた。

が、なんとも右手が不器用で
どんなに頑張っても俗に綺麗と言われる扱いができない。
平たいお皿に乗った春雨の最後の数本や
ぺたんと張り付いた薄切りの野菜など
手で摘んだ方が早いんじゃないか
と思う程 もたつく。
きちんとした和食屋さんのカウンターに座る時など
予めお店の人に
「私、お箸の持ち方が下手なんです。ごめんなさい。」
と白旗を振っておく。
ペンや鉛筆も然り
ものすごい垂直持ちで文字を連ねる。
どうかすると垂直の向こう側にペンが倒れる勢いだ。

そんなことを思いながら
「そうなんだよねー、昔左手で試しに書いたりお箸使ったりしたんだけど
 そっちの方がなんだか上手だったんだよね。
 本当は左利きだったのかも。靴履くのも左、荷物持つのも左だし・・」
それを聞いたもう一人が
「それってもしや、天才型ってこと?
 最近言われてるよ、左利きに天才が多いって。」
そうなのか、天才なのか私は・・。
なんとも心くすぐられる天才という響き。
いや、ちょっと待て。

以前、母に
「ごめんね、私、やっぱりお箸ちゃんと持てずに大きくなっちゃった」
と詫びたら
「あら、私も本当はちゃんと持ててないわよ。実はパパも持ててないの。
 上手い事、誤魔化してるのよー」
きちんとお箸を操っているように見えた姉まで
「私もちゃんと持ててないよ」
たった四人家族でこれなのだ。
この勢いで行くと
世の中天才で溢れ返ってしまう。

そんなことを思いながら
右手に比べ
おとなしそうにしている
左手を
マジマジと見つめるのであった。
.
出演者情報:久世星佳

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久世星佳「ようなしのおはなし」



ようなしのおはなし

   作・出演:久世星佳

深夜2時を過ぎた頃
机の上にあった黄色い物体をぼーっと見つめる。
上が細く下はぼってりとして
まるで起き上がりこぼしのようなシルエットだ。

「洋梨か・・」
と呟く。

洋梨・・
なんだかちょっと気の毒な呼び名だな、
と思う。

すると

「失礼ね。私はル・レクチェって呼ばれてるのよ。
 もしも名前がわからないんだったら
 洋梨じゃなく、西洋梨って呼んでくださる?」

「西洋梨?」

「そうよ。ラ・フランスっていう名前、聞いたことない?
 私たち西洋梨のドンのような存在なんだけど、名前のとおり
 原産国はフランスなの。他にもイギリスやベルギー生まれもいるのよ。
 あとは親戚筋にアメリカ生まれや、そうそう日本生まれだっているの。
 ちなみにル・レクチェも元はフランス生まれ。
 まぁ私は海を渡ってきた先祖の末裔だから、日本育ちだけどね。」

「へーっ。」

「ねえ、私たちを口に運ぶとどんな感じ?」
「いや、なんだか可憐な香りが口の中に広がって幸せな気分になります。」

「可憐だなんて嬉しいな。ねえ、知ってる? 私たち、バラ科なのよ。」

「バラ?」

「そう、百万本のバラのバラ。」

「あー、お花のバラですか。」

「そうなの。」

「へー。」

「へーって、それしか言えないの?」

「いやいや、なんか梨の木ってバラに比べるとだいぶ大きいような気がして。
 ちょっとピンと来ないっていうか」

「まあね、確かにバラは低木だもんね。
 でもね、私たちってお花の形が似ているの。
 わかりやすいところでは花びらとガクが5枚ずつ。
 そこからいくと、梅や桃、リンゴにさくらんぼ、イチゴもバラ科なのよ。」

「へーっ。」

「また、へーって。」

「いやいや、バラと果物がそんなに近い存在とは思わなかったもんで。」

「そうなの?」

「いや、ほら、バラってお花の中の女王様っぽいっていうか、
 香り高く咲き誇ってる イメージで・・」

「・・・・。」

「すみません・・なんか気を悪くされましたか?」

「別に。」

それだけ言うと黙ってしまった。

黙りこくったままの黄色い物体。
さっきまでのお喋りが嘘のようだ。
そんな姿を見つめたまま

「高貴なバラにはトゲもあって、下手すると血を見るけど
あなたは物腰がどことなく柔らかで
見ているとほっこりしますよ。」

そう言うと
黄色い物体がコロンと転がった。

「もう寝たら?」

「・・・確かに。」

時刻は午前4時を回ろうとしていた。
二度と起き上がろうとはしない起き上がりこぼし。
数時間後に目覚めたら
私はあなたの鎧を剥いて
現れた白い果実を頬張り
口の中いっぱいに広がる可憐な香りに癒されながら
始まる1日の幸せに感謝をするよ

きっと、ね。


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小野田隆雄 2024年1月14日「思い出コスモス」

思い出コスモス

   ストーリー 小野田隆雄
      出演 久世星佳

 八枚の花びらを持つコスモスの
 いつでも「きらい」で終わる占い

俵万智の「風の手のひら」に出てくる歌である。
コスモスのふるさとはメキシコ。
18世紀後半に、この国を植民地にしていたスペイン人が、
高原地帯で風にゆれながら咲いているコスモスを見つけ、
花の種をマドリードの植物園に送った。
その種は植物園で芽を出し、花を咲かせ、
やがてヨーロッパに広まった。

コスモスという名前は、植物園の園長がつけた。
この言葉はギリシア語で、秩序よく構成された世界や宇宙、
という意味である。
この花を見て植物園の園長さんは、
きれいに丸く並んでいる八枚の花びらから、
美しく秩序のある宇宙を思い浮かべたのだろうか。
コスモスをメキシコ人が何と呼んでいたのか、
そのことは不明である。

コスモスが日本にやってきたのは、明治12年頃だったという。
その頃、上野の美術学校にイタリア人の先生がいて、彫刻を教えていた。
彼はおたまさんという、美しい日本の女性と結婚していたのだが、
彼女は油絵の画家でもあった。
彼女が日本で初めて、コスモスの絵を描いていたのである。

そのコスモスは彫刻家のイタリア人が、ひそかに祖国から種を持ち込み、
日本で咲かせたのではないか、と考えられている。

やがてコスモスの花が日本に広まってくると、
人々に親しまれ、秋桜と呼ばれるようになった。
明治42年のこと、文部省はコスモスの種を全国の小学校に、
花の育てかたも添えて送り届けている。
この花が持っている、かざらない雰囲気が、
少年や少女たちにふさわしいと、文部省は考えたのだろうか。

今でもコスモスが、この国のほとんどの場所で見られるのは
このことと無関係ではないかもしれない。

まるで昔からそうだったみたいに、この花は町のどこかに咲いている。
特別に大切にもされず、かといって忘れられることもなく、
人の生活の風景を色取る花として、存在していたように思う。

コスモスが花屋さんの店先を飾るようになったのは、
いつ頃だったろうか。
そのコスモスには「早咲き」とか「大輪咲き」とか書かれた
ステッカーが付いていたように記憶する。

あの頃からコスモスの栽培品種が、登場したのかもしれない。
隣のお姉さんみたいに親しみやすかった花が、スポットライトをあびて
スターの花に変身し始めた。
すると全国各地に、「コスモス高原」や「コスモス街道」が誕生し、
観光スポットにもなった。

このような場所に咲くコスモスたちの、白や淡いピンク
そして濃い紅色の花々は、
野の花だった昔からの花よりも、ずっとあざやかな色になっている。
花も大きくなり、花びらもふっくらとしている。
そして早く咲かせるためか、背丈もそれほど高くはならない。
130センチ前後だろうか。

軽やかなワルツが流れるような、高原のレストハウスで、
あざやかなコスモスの花盛りを見つめていたとき、思い出したこと。

野に咲いていた頃のコスモスは、
150センチから200センチ近くまで伸び、
小さな樹木のように枝を伸ばした。
花はそれほど大きくなく、花びらは細長く丸く、
その先端にはV字型の切り込みが、あったような記憶がある。

スリムな花びらなので、花をかざして空を見ると、
花びらの透き間から、細く秋の青空が見えるのだった。

この花を一輪、茎の部分から切り取るのである。
そして花占いのように、一枚置きに花びらを取ってしまうと、
コスモスは花びらの風車みたいになる。
それを空へ、そっと投げあげる。
すると花びらの風車は、くるくると回転しながら少し飛んで、
ふんわりと落ちてくるのだった。

私たちの少年時代、
ふるさとの小さな町で、少女たちは秋になると、この遊びに夢中になった。
少年たちも、ときおり参加した。
赤とんぼが、気まぐれに花びらの風車を追いかける。
素朴な遊びだった。

この遊びを40代を過ぎた頃に、
改良品種のコスモスで、やってみたことがあった。
9月中旬の札幌の郊外だった。
あざやかな色の大きな花びらの風車を、高く投げた。
けれど、くるくる回転することもなく、まっすぐ地面に落ちた。
花びらが大きくて、重すぎたのだろう。
一輪の花だけで、止めた。
少し肌寒い北の風が吹いていた。


出演者情報:久世星佳 http://www.kuze-seika.com/

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坂本和加 2023年12月17日「作詞のつくりかた」

作詞のつくりかた

    ストーリー 坂本和加
       出演 久世星佳

えーと作詞? 
ってどうやってやるのか?

そうね

まずアタマをからっぽにして
想いを 浮かべるの

悲しかったこと うれしかったこと
好きな人のこと いとおしいと思うモノやコト
たくさん浮かべるの

それが浮かんだら
じっと想いを見つめるんだよ

そうするとね 
強い想いだけが 光を放つの
そうでもなかった想いは どこかへいってしまうの
それは欲だから 光を放てない

その 輝きは
想いの放つエネルギーのようなものなの
絶対になくてはならない
それがないと 詞は生まれない

私の場合はね

そのエネルギーは
形而上のものだから有機的にするの
もっとわかりやすく言うと
エネルギーの形而下にあるのが
ロゴスということになる

想いのエネルギーは ロゴス 言葉をもっている
あとはそれを紙に移していくだけだよ
ことばが順番にそれをしたがるんだよ

エネルギーというのは
質量があるのは 知っているよね

いー いこーる えむしーじじょう だよ
E=mc2

質量の大きなモノは
小さなモノを引きよせる

万有引力のことだよ

詞は メロディを引きよせて
歌になって放たれる
どんどん大きなエネルギーになる
つまり 引きよせる力も大きくなる
そして残っていくことになる

そこにあるのは愛だよ

難しいことではないはずだから
やってみてください

いい詞が生まれたら 見せてください
.


出演者情報:久世星佳

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小野田隆雄 2010年9月12日



九月のありがとう

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

立原(たちはら)さん、あなたに
九月のありがとうを
ささげたいと思います。
「夏の死」、という題名の
美しく、いとおしく、
秋の訪れを歌った十数行の詩を
残してくださったあなたに。

「夏は慌(あわただ)しく遠く立ち去った。
また新しい旅に。

私らはのこりすくない日数(ひかず)をかぞえて
火の山にかかる雲(くも)・霧(きり)を眺(なが)め
うすら寒い宿(やど)の部屋にいた。
それも多くは何気(なにげ)ない草花の物語や
町の人たちの噂(うわさ)に時を過ごして。

或る霧雨(きりさめ)の日に私は
停車場(ていしゃば)にその人を見送った。

村の入口では、つめたい風に細(こま)かい
落葉松(からまつ)が落葉(おちば)していた。
しきりなしに……
部屋数(へやかず)のあまった宿(やど)に、私ひとりが
所在(しょざい)ないあかりの下(した)に、その夜から
いつも便(たよ)りを書いていた。

立原(たちはら)道造(みちぞう)さん、あなたは
一九一四年の七月に東京に生れ、
一九三九年の三月に東京で病没(びょうぼつ)しました。
二十四歳と八ヵ月の
あまりにも短かったその一生は、
あなたの愛した信濃(しなの)追分(おいわけ)の高原から、
あおぎ見る浅間山の煙のように
永遠に空のかなたへ
消えてしまったけれど、
透きとおって弾(はじ)ける言葉が織(お)りなす、
命のささやきのような詩の数々は、
いまも、私たちに、
かけがえのないやすらぎと、
やさしい祈りのレクイエムを
もたらしてくれるのです。
あなたは、「のちのおもいに」という
詩の中で、次のようにうたいました。

「なにもかも、忘れ果てようと思い、
忘れつくしたことさえ、
忘れてしまったときには、
夢は、真冬の追憶のうちに
凍るだろう。
そして、戸をあけて寂寥(せきりょう)のなかに
星くずにてらされた道を
過ぎ去るだろう。」

二十五年にも満たない人生を
走るでもなく、なげくでもなく
従容(しょうよう)として、星明(ほしあか)りの道を
あゆみ去っていった立原(たちはら)さん。
ある霧雨(きりさめ)の日に、あなたが
高原の駅の停車場(ていしゃば)で、
見送ったのは誰でしょうか。
あなたの短かすぎた日々に、
恋の炎があざやかに燃えたことは
あったのでしょうか。
私は、あったと思います。
あった、
必ずあったと、信じています。
恋もないままに終ってしまったなんて、
かわいそうだと、俗っぽい私は
考えてしまうのです。
かなうことなら、私の手で、
この胸に抱きしめてあげたかったと。

立原さん、私はいま
信濃(しなの)追分(おいわけ)の草原に立って、
浅間山を見あげています。
ススキがゆれ動き、
ヒヨドリバナが乱れて咲き、
落葉松(からまつ)の林が続く、その向こうに、
浅間山が、大きな牛のように
うづくまっています。
夕焼けに、煙を赤く染めながら。
私は、高原の風の冷たさに、
首筋に両手をあてています。
そして、小鳥のように
空腹です。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋


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