坂本和加 2023年12月17日「作詞のつくりかた」

作詞のつくりかた

    ストーリー 坂本和加
       出演 久世星佳

えーと作詞? 
ってどうやってやるのか?

そうね

まずアタマをからっぽにして
想いを 浮かべるの

悲しかったこと うれしかったこと
好きな人のこと いとおしいと思うモノやコト
たくさん浮かべるの

それが浮かんだら
じっと想いを見つめるんだよ

そうするとね 
強い想いだけが 光を放つの
そうでもなかった想いは どこかへいってしまうの
それは欲だから 光を放てない

その 輝きは
想いの放つエネルギーのようなものなの
絶対になくてはならない
それがないと 詞は生まれない

私の場合はね

そのエネルギーは
形而上のものだから有機的にするの
もっとわかりやすく言うと
エネルギーの形而下にあるのが
ロゴスということになる

想いのエネルギーは ロゴス 言葉をもっている
あとはそれを紙に移していくだけだよ
ことばが順番にそれをしたがるんだよ

エネルギーというのは
質量があるのは 知っているよね

いー いこーる えむしーじじょう だよ
E=mc2

質量の大きなモノは
小さなモノを引きよせる

万有引力のことだよ

詞は メロディを引きよせて
歌になって放たれる
どんどん大きなエネルギーになる
つまり 引きよせる力も大きくなる
そして残っていくことになる

そこにあるのは愛だよ

難しいことではないはずだから
やってみてください

いい詞が生まれたら 見せてください
.


出演者情報:久世星佳

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小野田隆雄 2010年9月12日



九月のありがとう

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

立原(たちはら)さん、あなたに
九月のありがとうを
ささげたいと思います。
「夏の死」、という題名の
美しく、いとおしく、
秋の訪れを歌った十数行の詩を
残してくださったあなたに。

「夏は慌(あわただ)しく遠く立ち去った。
また新しい旅に。

私らはのこりすくない日数(ひかず)をかぞえて
火の山にかかる雲(くも)・霧(きり)を眺(なが)め
うすら寒い宿(やど)の部屋にいた。
それも多くは何気(なにげ)ない草花の物語や
町の人たちの噂(うわさ)に時を過ごして。

或る霧雨(きりさめ)の日に私は
停車場(ていしゃば)にその人を見送った。

村の入口では、つめたい風に細(こま)かい
落葉松(からまつ)が落葉(おちば)していた。
しきりなしに……
部屋数(へやかず)のあまった宿(やど)に、私ひとりが
所在(しょざい)ないあかりの下(した)に、その夜から
いつも便(たよ)りを書いていた。

立原(たちはら)道造(みちぞう)さん、あなたは
一九一四年の七月に東京に生れ、
一九三九年の三月に東京で病没(びょうぼつ)しました。
二十四歳と八ヵ月の
あまりにも短かったその一生は、
あなたの愛した信濃(しなの)追分(おいわけ)の高原から、
あおぎ見る浅間山の煙のように
永遠に空のかなたへ
消えてしまったけれど、
透きとおって弾(はじ)ける言葉が織(お)りなす、
命のささやきのような詩の数々は、
いまも、私たちに、
かけがえのないやすらぎと、
やさしい祈りのレクイエムを
もたらしてくれるのです。
あなたは、「のちのおもいに」という
詩の中で、次のようにうたいました。

「なにもかも、忘れ果てようと思い、
忘れつくしたことさえ、
忘れてしまったときには、
夢は、真冬の追憶のうちに
凍るだろう。
そして、戸をあけて寂寥(せきりょう)のなかに
星くずにてらされた道を
過ぎ去るだろう。」

二十五年にも満たない人生を
走るでもなく、なげくでもなく
従容(しょうよう)として、星明(ほしあか)りの道を
あゆみ去っていった立原(たちはら)さん。
ある霧雨(きりさめ)の日に、あなたが
高原の駅の停車場(ていしゃば)で、
見送ったのは誰でしょうか。
あなたの短かすぎた日々に、
恋の炎があざやかに燃えたことは
あったのでしょうか。
私は、あったと思います。
あった、
必ずあったと、信じています。
恋もないままに終ってしまったなんて、
かわいそうだと、俗っぽい私は
考えてしまうのです。
かなうことなら、私の手で、
この胸に抱きしめてあげたかったと。

立原さん、私はいま
信濃(しなの)追分(おいわけ)の草原に立って、
浅間山を見あげています。
ススキがゆれ動き、
ヒヨドリバナが乱れて咲き、
落葉松(からまつ)の林が続く、その向こうに、
浅間山が、大きな牛のように
うづくまっています。
夕焼けに、煙を赤く染めながら。
私は、高原の風の冷たさに、
首筋に両手をあてています。
そして、小鳥のように
空腹です。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2010年8月22日



ニューヨークの金魚

ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

私の母は、みやもとさゆり、である。
秋吉敏子に魅せられて
ジャズピアニストになり、
いま、ニューヨークにいる。
父は、おかやまはちろう、である。
神楽坂でちいさなアトリエを経営している。
ふたりは三年前に離婚し、
高校二年生の私、おかやまゆきこは
父と一緒に暮らしている。

我が家では、ずっと昔から
父が台所仕事を引き受けていた。
なつかしい母の味が、父の得意だった。
ガンモドキとアブラアゲの煮物とか、
キューリの酢のものとか。
母は、普段から演奏活動で、
家にいないことが多かった。
いつだったか、私は父に聞いた。
「どうして別れちゃったの?」
父は、世間話をするように言った。
「おたがい、四十(しじゅう)の坂も超えたんだし、  
 そろそろ、ひとりずつもいいかねえ、  
 なんて、ふたりで話しあってね」
私は、あれから、 恋愛とか結婚とか、わからなくなった。

このあいだ、六月二十日の午前二時に、
母のみやもとさゆりから
私のモバイルに電話がかかってきた。
「会おうよ、MOMA(モマ)で。  
えーっと、今度はね、  
ゴッホの『オリーブの木』の前、  
七月の二日か三日、午後三時。  
暑いよ、ニューヨークは」
みやもとさゆりは、
私が高校生であるとか、
十二時間のひとり旅であるとか、
そういうことは、まったく気にしない。
すべて彼女の都合で、
電話してくるように思えた。
これが三回目である。
会う場所は、いつも、MOMA(モマ)。
ニューヨーク近代美術館、
その五階である。
そのフロアには、十九世紀後半から 二十世紀前半までの、
ほんとうに沢山の 油絵が展示されている。
二度目に行ったのは去年の晩秋で、
ダリの「〈柔かい時計〉あるいは〈流れ去る時間〉」の前で、母と会った。
一度目はおととしの八月で、
モンドリアンの絵、
「ブロードウェイ・ブギウギ」の前だった。
それが私の、初めてのニューヨークだった。
出かける日に、父がニコニコしながら
私に言った。
「ああ、いいねえ、MOMA。
 ゆっくりしておいで」
それだけだった。
そして私は、ふわふわした気分で、
デルタ航空の古びたジャンボに乗り、
初めての海外旅行に出かけたのである。

七月二日、ニューヨーク午後三時。
ゴッホの「オリーブの木」の前で、
まるでピカソが描く女のような
たくましい母の両腕の中に
私は抱きしめられていた。
母が低く、つぶやく。
「ああ、元気そうだね。
 このあいだの夜、シカゴでね。
 ピアノの鍵盤(けんばん)の上に、
 おまえの後姿(うしろすがた)が見えたんだ」

陽気なギャラリーたちの間を、
みやもとさゆりと、おかやまゆきこが、
腕を組んで歩く。
アンリ・マチスの絵の前で、
母が立ち止り、思い出したように言った。
「はちろうはね、金魚が好きなんだよ」
緑色の壁がある明るい部屋に
金魚鉢が描(えが)かれていて、
金魚が一匹、 ボーッと浮かんでいる。
「ほら、似ているでしょ。ボーッとして」
母の声が、とてもやさしかった。
私は父と向いあっている時の、
あの、ここちよい退屈について
ぼんやり考えていた。
そうか、金魚だったんだ、あのひとは。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2010年7月11日

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ホタルブクロ

 
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

 「いらっしゃいませ。
 まあまあ、みなさん、
 ずいぶんお濡れになって。
 まだ、梅雨明(つゆあ)けにならないのかしら。
 はいはい、とりあえずのビールですね」

三軒茶屋にある「小町(こまち)」という名前の
小さなスナックのママが、
ゆっくりビールを注(つ)いでくれた。

それは七月上旬の夕暮で、
私たち仕事仲間が、おけいこの帰りに
いつものように顔を出した。
「小町」は古くからあるお店で
ママも、かなりの年齢である。
和服姿がよく似合う。
カウンターには季節ごとの
野に咲く花がいけてある。
その日は、竹の花瓶(かびん)に
ほそ長い釣鐘(つりがね)の形をした
うすむらさきの花が
ひっそりと、咲いていた。

「この花の名前は、
ホタルブクロといいます。
この釣鐘型(つりがねがた)の花の中に、
ホタルを入れましてね、
薄紙で蓋をして、
昔、子供たちが遊びました。
それで、ホタルブクロなんです。
私は、多摩川の上流にある
五日市(いつかいち)という町で、
少女の頃まで育ちました。
あの頃、昭和十年代の初め頃は、
まだまだ、自然がいっぱい
残っていました。私の家の近所に
私をかわいがってくれる
お姉さんがおりました。
いまで言えば、中学校の三年生、
くらいだったのだと思います。背の高い
美しいひとでした。
そのひとが、私を、ホタル狩りに
連れていってくれたのです」

そこまで話すと、ママは私たちのために、
ケンタッキーバーボンの、
ハイボールをつくってくれた。
それからレコードをかけた。
この店にCDはない。クラッシックな
ジャズが流れ始めた。
そして、ママもゆっくり話し始めた。

「暗い田んぼ道を、お姉さんと、
多摩川に注(そそ)ぐ小さな川の川岸(かわぎし)まで
ホタル狩りに行くのですが、
ときおり、大きな赤くひかるホタルが、
二匹、並んでひかっているのです。
これはね、カエルを追いかける
ヘビの眼なのです。
それがすーっと近づいてきたりして、
ほんとうにもう、びっくりします。
それから、捕ってきたホタルを
ホタルブクロの花に入れましてね。
ふたりで蚊帳を吊って、その中に入り、
電燈も消して、息をひそめて、その花を
見つめるのです。すると、
ふたりの呼吸のように、ホタルブクロが、
ひかったり、消えたり、ひかったり、
消えたり。こわくなるほど、きれいでした。
それから、しばらく、遊んだあとに、
ふたりで庭に出ましてね、しっとりと
夜露に濡れた草の上に、ホタルを全部
逃がしてやるのです。その理由(わけ)を
お姉さんが話してくれました。
『ホタルはね、ときおり、
 死んでしまった恋人の魂になって
 生きている恋人の所に、
 飛んできてくれるんだって。
 だから、大切にしないとね』」

そこまで話すと、ママは自分用に
ハイボールをつくり、そのグラスを
「カンパイ」という感じに差し出し、
ホタルブクロの花に、ちょっと触れた。
それを見ていて、私は、ふと、思った。
あの後(あと)、お姉さんはどうしたのだろう、と。
なんとなく、ホタルの灯(ともしび)のような、
恋の匂いがしたように思った。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2010年5月9日

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ホライズン

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

地平線のことを英語ではホライズンと言う。

水平線のこともホライズンと言う。
「ですから、ザ・サン・ライジズ・

アバブ・ザ・ホライズン。

という文章は、この一行だけでは、

太陽が地平線に昇ってくるのか、

水平線に昇ってくるのか、

ほんとうはわかりません。」

五月の中旬、よく晴れた風のある日。

月曜日の午後の、英語の授業。

いつも黒いスーツを着て

ちょっと謎めいて美しい人、

英語の松島めぐみ先生が、

よくとおる声で話している。

「でも、ここに書いてあるのは、

スコットランドの草原のお話ですから、

このホライズンは、地平線ですね」

そして、この声を聞きながら、宮下順子は

いつのまにか、眠ってしまった。

太平洋に向かって砂浜が続く、

茨城県の大洗(おおあらい)海岸にほど近い、小さな町で、
順子は、この春、中学二年生になった。

その日、学校が終って、その帰り道、

順子は、ひとり歩いている。
町の北側を、海に向かって流れる川の

土手の上にまっすぐ続く、

ソメイヨシノの桜並木の道である。

桜並木は、すっかり葉桜になって

その葉陰から、風が吹くたび、

パラパラ、パラパラ、

ちいさなソメイヨシノのサクランボが

落ちてくる。でも、このサクランボを

たわむれに口に含んだりすると、

びっくりするほど苦い。

そのことに彼女が気づいたのは、

小学二年生の頃だった。
桜並木を歩きながら、順子は思った。

「水平線と地平線が同じ言葉だなんて

なぜなんだろう。

小さな島に生まれ、一生そこに住む人は、

水平線しか知らないのかな。

大きな大陸の真(ま)ん中(なか)に生まれ、

ずーっと、そこに生きる人は、

地平線しか知らないのかな。

この町では、いつも太陽は、
水平線に昇り、地平線に沈むのに。」

そんなことを、順子は思った。

はるか遠い草原(そうげん)の地平線から

恋する男が裸(はだか)馬(うま)に乗って、走ってくる。

草原のこちら側から、恋する若い女が

やはり裸馬に乗って、

若い男に向かって走っていく。

そして、誰もいない草原で

ふたりは馬の上で抱き合い、

そのまま、抱き合ったまま、草原に落ちる。

そうやって、チンギスハーンの国では、

愛を誓いあったそうだ。

そういう話を、

東京で大学の先生をしている

母の弟にあたるおじさんが、

今年のお正月にお酒に酔って、

大きな声で話してくれた。

「まあ、子供のまえで」、と

母に言われながら。


真紅(まっか)な太陽が地平線に沈む。

その光の中で、抱き合っているふたり。
桜並木が終り、海に近づくあたり、
川には長い橋がかかっている。

橋の向こうに広がる海の色は、

そろそろ深い色に沈み始めて、

カモメが白く飛んでいる。

その橋の上に、海に向かって立っている、

ひとりの女性の姿があった。

黒いスーツの、その後姿に、

もしかしたら、松島先生かなと思った。

海をみつめているのだろうか。それとも、

誰かを待っているのだろうか。

そのとき、順子は、

そこに太陽が沈むはずはないのに、

水平線の空のあたりが、

真紅(まっか)に染まっていくのを見た。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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小野田隆雄 2010年4月11日

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踊子草(おどりこそう)

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

木下淑子(よしこ)は天城湯ヶ島町の

ちいさな旅館に下宿している。

狩野川(かのがわ)に面した二階の、

八畳ほどの部屋で、彼女はそこから

門野原(かどのはら)にある小学校に通っている。

先生になって、この春でちょうど

三年目を迎えた。

いまは四月の中頃で、

伊豆は若葉でうずまるようだ。


淑子の部屋の窓の下から、

絶え間なく狩野川のせせらぎが、

ビバルディの春みたいに聞え、

晴れた日には、空気がぜんぶ、

さわやかな香りに包まれているみたいに

思えるほどである。
ところで、木下淑子は、いつかは

小説家になりたいと思っている。

黙ってひっそりと書き続けている。

ある文芸誌の新人賞で、

最終選考まで残ったこともある。

けれど、そのことは

ほんとうに、少しの友人しか知らない。

世田谷生れの彼女が、

静岡県の小学校の先生になったとき、

実は、だれも驚かなかった。

明るくて、子供が好きで、

どこかいつまでも高校生みたいな、

淑子がそういう女性だったからである。

彼女は、川端康成が好きだった。

「雪国」と「伊豆の踊子」。

だから、湯ヶ島で小学校の先生に

なれたとき、あまりうれしくて

そっと、自分のほおに

触れてみたほどだった。
淑子は、この小学校に赴任してきた年、

三年生のクラスの担任になった。

そしてこの春、そのクラスが

六年生になる。三十五人の生徒みんなと

仲良く、ここまでやってきた。

「弱いものいじめは止そうね。誰でも、
 
 自分が弱いものになることだって、
 
 あるんだよ」

いままで、いつも、一生けん命、

そう言いながら、先生をやってきた。

初めて学校に来た日、

近所の小川で、彼女は初めて

メダカを見た。きれいな水の中を、

メダカがいっぱい泳いでいた。

「メダカの学校は 川の中、
 
 誰が生徒か先生か、誰が生徒か先生か」

そうか、と、あのとき彼女は思った。

先生と生徒じゃなくて、人間同士で

やってみようと。

天城峠でバスを降りて、

五キロほどの山道を、八丁池まで歩く。

この頃、晴れた日曜日の、

淑子の習慣になっている。

彼女は、小説のことを考えている。

SKDで踊って、恋をして、くたびれて、

いまは、ひっそり生きている、

ひとりの女性の話である。

淑子が「伊豆の踊子」を初めて読んだのは

中学三年の頃だったけれど、

恋のときめきよりも、なぜか、

女性であることの透明な悲しみの色が

心に広がるのを感じた。

それから、いつのまにか、淑子の胸に

ひとりの踊子が生き続けている。

その彼女へのレクイエムを書きたいと、

思うようになっていた。

「書けるの、淑子?まだ、恋もしてないよ。
 
 それとも、書くのを止めて
 
 ずっと、先生のままでいる?」

八丁池への道を、ゆっくり歩きながら、

今日も淑子はひとりつぶやく。
道端のヤマザクラの根本に、

白いかわいい花が、

淑子を迎えるように咲いて

ゆっくり風にゆれている。

けれど、淑子は気づかないで通り過ぎる。

咲く花の形が踊る少女に似ている春の花、

踊子草の花だった。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904 シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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