平石洋介 2012年4月15日

戦場にかかった橋

        ストーリー 平石洋介
           出演 坂東工

ニューヨークのダウンタウンに、
エンジェルシェアというバーがある。

バーテンダーのシンゴは、その名の通り日本人。
ボクサーのような精悍な風貌、野心的な顔つきの若者だが、
ちょっと話せばわかる誠実で真面目な人柄、そんな彼目当ての客も多い。

銀座のバーで働いていたころ、腕を見込まれてスカウトされ、
世界で勝負してやろうとこの街へやってきた。

6年後、彼はついにチャンスをつかむ。
世界カクテルコンテストのアメリカ代表の座を勝ち取り、
26カ国の代表が競う本大会に出場することになったのだ。
そして各国を代表する強者バーテンダーたちを相手に準決勝を勝ち抜き、
8人で争う決勝に進出した。

決勝当日。戦いのルールはシンプルだ。1人の持ち時間は10分。
ステージにあがり、まず自己紹介、そして準備をはじめ、
カクテルをつくり、審査委員へサーブ、
さらに片付けを完了して、ステージを降りる。
10分を超えると大幅に減点され、その時点で優勝はなくなる。

シンゴの順番は、最後の8番目。
優勝候補のイギリス代表やオランダ代表をはじめ、
ライバル達の華麗なパフォーマンスを見ているうちに、
とてつもない緊張が襲ってくる。

ついに出番が来た。ステージにあがり、自己紹介を始める。
英語は得意ではない。それでも、自分が日本人であること、
渡米してからしばらくはビザの問題で日本に帰る事ができず、
家族に会えなかったこと。そしてあの大震災のこと。
必死に話しているうちに感情が高ぶり、
シンゴは不覚にも泣いてしまう。

気がつくと、もう5分以上が過ぎていた。
あわててカクテルを作り始める。
片付けを考えると、もう間に合わないかもしれない。
必死に作り続け、シェーカーを振り始めた時、
アナウンスが残り1分を告げた。

もうダメだ。でも最後までいいパフォーマンスを見せよう。
カクテルが完成した時、残りは30秒。
ステージを駆け降りて審査員にカクテルを配るシンゴの視界に入ったのは、
他の出場者たちが一斉にステージにあがっていく姿。
ちくしょう、時間切れか。。。

それでも審査員にサーブを続け、最後のユズの皮を絞り、
ステージに戻ったシンゴは、おもわず自分の目を疑った。
他の7人の出場者達が、
シンゴのために片付けを終わらせてくれていたのだ。
電光掲示版は残り15秒で止まっている。間に合った。
彼はただ立ち尽くしていた。涙が止まらなかった。
観客の多くも泣いている。
大歓声と鳴り止まぬ拍手。

何より勝つことにこだわっていたシンゴだったが、
もう勝ち負けはどうでもよかった。ニューヨークの予選、
アメリカ大会、そしてこの世界大会の最後の最後で、
こんな幸せな体験ができた。もう満足だ。

あれから数ヶ月。
ダウンタンのバー、エンジェルシェアで、
今夜もシンゴはシェーカーを振っている。
忙しく立ち働く彼とは、なかなか言葉を交わせないかもしれない。
英語が得意じゃないから、というわけではなく、
世界一に輝いたバーテンダーのカクテルを目当てにくる客が増えたからだ。
優勝おめでとう、と彼に声をかけたら、シンゴはちょっとはにかんで、
こう答えてくれるだろう。

「ありがとうございます。でも僕はチャンピオンなんかじゃなくて、
 良い仲間に囲まれたラッキーボーイなんですよ。」

出演者情報:坂東工 BIRD LABEL所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

バンド〜の写真を撮りそこなった(収録記2012.3.24-3)

この日の二番めの収録はバンド〜こと坂東工くんだったのですが
うかうかと写真を撮りそこねてしまいました。
かわりと言っちゃナンですが、門田陽さん(右)です。
ご自分の原稿の収録の立ち会いに見えました。
門田さんの原稿はすでに掲載済みです。
最後の選択」という、ちょっと皮肉なスパイスの効いた
面白いストーリーでした。

さて、バンド〜が読んだストーリーは
現在ニューヨーク在住の平石洋介くんが書いたもので
あるバーのバーテンダーのお話です。
東京から腕を見込まれてニューヨークへ
そしてバカルディのカクテルコンテストにアメリカ代表として出場。
そこで何が起こったかが語られています。

上の写真はそのバーです。
平石くんが送ってくれました。
来週の掲載をお楽しみにね(なかやま)

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

津波に勝ったクジラ

津波に勝ったクジラ

           ストーリー 岡村雅子
              出演 坂東工

岩手県盛岡から
緑の山の中をクルマで駆け抜けると、
海沿いに山田町が見えてくる。
波もなくひたすら静かな湾を背にすると、
目にとびこんでくるのは、だだっ広い土地と、
家があったはずの四角い区画。

地面に落ちている茶碗の破片を見ると、
ここは人々が普通に食卓を囲んでいたんだと思いだす。
3月11日。津波はみんなの生活を
文字通り跡形もなく流してしまった。

そんななか、ぽつんと残った白い建物がある。
「鯨と海の科学館」だ。
足を踏み入れると巨大な白い物体が見える。
17.6メートル。世界最大級のマッコウクジラの骨の標本が、
天井から5メートルの高さにつるされたまま残っているのだ。

山田町はかつて鯨の町だった。
その標本は、1987年商業捕鯨の最後に捕獲された鯨の骨格を
3年間砂浜に埋めて油を抜き、
地元の子供たちが掘り返して復元したものだ。
十数年前にオカに上がった鯨は、
今回10メートル超えたと言われる津波を見事に泳ぎ切ったのだ。

津波を乗り越えた鯨は山田町の復興のシンボルになり
その強さと生命力でみんなを勇気づけている。

岩手県山田町HPhttp://www.town.yamada.iwate.jp/

岩手県山田町観光協会HPhttp://yamada-kankou.jp/

鯨と海の科学館http://www.town.yamada.iwate.jp/kujirakan/

鯨と海の科学館公式ブログhttp://yamada-kujira.seesaa.net/

山田名物かき小屋再開中http://yamada-kankou.jp/info/2011-10_kakigoya.html


*「東北へ行こう」は
自分のとっておきの東北を紹介し、
あなたを東北におさそいする企画です
下のバナーもクリックしてみてください

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2012年1月8日

銀座の柳

          ストーリー 小野田隆雄
             出演 坂東工

花札という日本で生まれたカルタがある。
1月から12月までを、12種類の植物で表現し、
それぞれ4枚ずつ、合計48枚でひと組となっている。
1月が松、2月が梅、3月が桜、4月が藤。
5月かきつばた、6月ぼたん、7月萩(はぎ)、8月すすき。
9月は菊、10月はもみじ、11月は柳、
そして、おわりの12月は桐(きり)である。
ピンからキリまで、といって、
ものの最初をピンといい、おしまいをキリという。
だから12月は桐となった。
つまり江戸っ子のしゃれである。
花札は文化文政の頃に誕生した遊びである。

江戸の日本橋から始まる東海道の
京橋から新橋までの区間は、その昔から
銀座通りと呼ばれることも多かった。
現在の銀座2丁目あたりに
銀貨(ぎんか)を作る銀座という役所があったからである。
この通りは明治時代を迎えると、
西洋風の赤レンガ通りに変り、
文明開化のシンボルになった。
広い道路も出来た。道路には並木も植えられた。
植えられたのは、松と桜ともみじである。
やがてハイカラな銀座は評判を呼んで、
訪れる人もふえ、見物客を乗せる馬車もふえた。
すると、並木の木々が枯れ始めた。
松も桜も、そしてもみじも、美しい樹木だが、
人混みを嫌う。根元を踏まれるのも嫌う。
そこで銀座の人たちは、代りに柳を植え始めた。
汐留川、京橋川、三十間(さんじゅつけん)堀川(ぼりがわ)、そしてお濠(ほり)など、
もともと銀座は運河の多い街だった。
水に柳はつきものである。そして柳は強い木である。
時代が進むにつれて、銀座の柳は名物になった。

ところが大正時代が終る頃に、
お役人たちが不思議なことを言い出した。
銀座通りの柳を、イチョウに変えると言うのである。
銀座通りの商店のご主人たちは猛反対をした。
いまや日本中に知れわたった銀座の柳、
それを捨てるとは何故(なにゆえ)ですか。
お役人は、柳の落葉(おちば)がよくないと言った。
しかし、イチョウだって落葉樹(らくようじゅ)である。
おおもめにもめたが、役人のヤボには勝てず、
すべて柳は抜き取られ、イチョウが植えられた。
それが大正11年、1922年だった。
そして次の年、大正12年、関東大震災に襲われた。
植え変えたばかりのイチョウは全滅したのである。

「花札の遊びもしらない田舎者が、
よけいなことをするから、こんなことになった」
などと震災後の居酒屋で、焼酎(しょうちゅう)を飲みながら、
江戸っ子の生き残りたちが、いっていたそうである。
せめてイチョウのかわりに、
梅か桐(きり)でも、植えればよかったのかもしれない。

関東大震災のあと、昭和時代になると、
いつのまにか、銀座通りには柳が戻ってきた。
そしてそのまま、柳は全盛になっていった。
太平洋戦争で一時、焼野原になったが、
また、柳は復活した。
けれど、なぜだろう。お役人たちは、
東京オリンピックの前になると、
銀座通りから、柳と都電を取り払ってしまった。
「銀座の中央通りはね、国道だからね。
商店街の意見なんて、あなた、
お役人は聞きませんよ」
銀座7丁目のバーで、
そんな話を聞いたことがある。

21世紀のいま、銀座通りには、モミの木が植わっている。
いつか、このモミの木が大きくなったら、
クリスマスの飾りでもつくろうと、
花札(はなふだ)を知らないお役人が、考えているのだろうか。

出演者情報:坂東工 BIRD LABEL所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2011年7月10日



ぼくのちいさなロケット ~MY LITTLE ROCKET~

           ストーリー 一倉宏
              出演 坂東工

おとこの子はだれだって 
ロケットをもっている 生まれたときから

このからだはぜんぶ 親からもらったもの
だけど このちいさなロケットだけは なぜか
じぶん自身のもの そんな気がしてた
だから そのロケットのひみつを 親にはいわない

♪ どこにゆく ぼくのせつないロケット
  あの宇宙夢みて 飛び立て ぼくのロケット
  いつの日か ぼくのひみつのロケット
  未来の役に立つ 立つんだ ぼくのロケット 

おとこの子のたいせつなもの
それは ちいさな誇りと ちいさなロケット
そのくせ うつむいて歩く いつも下を向いてたくせに
ときどき 空を見上げるようになる ふしぎなロケット

♪ どうしたの ぼくのちいさなロケット
  もやもやの夢みて ふくらむ ぼくのロケット
  いつの日か ぼくのかがやくロケット
  愛の星めざして 発射だ ぼくのロケット 

ロケットの行き先というなら
それはもちろん 宇宙 あるいは どこかの星
だけど なんとおぞましいことだ おとなになることは
そのロケットは じつは 宇宙行きじゃなかったんだ

さらにいうならば ロケットの行き先は
ある意味で 宇宙とは対極にあるどこか だという
やがて知るだろう おとこの子は 残酷なことに
なんてことだ おとなになるということは

しかし それが暗い洞穴のような未来 だとしても
ある意味で 宇宙と対極にある もうひとつの宇宙
かもしれない・・・
なんて 感じたりもするだろう
そうでなければ そうでなければ
ロケットが こんなにも熱く かぎりなく高く
こんなにも空をめざして 飛び立とうとするものか

♪ どこにゆく ぼくのせつないロケット
  あの宇宙夢みて 飛び立て ぼくのロケット
  いつの日か ぼくのひみつのロケット
  未来の役に立つ 立つんだ ぼくのロケット 

♪ どうしたの ぼくのちいさなロケット
  もやもやの夢みて ふくらむ ぼくのロケット
  いつの日か ぼくのかがやくロケット
  愛の星めざして 発射だ ぼくのロケット 

MY LITTLE ROCKET MY LITTLE ROCKET
ぼくのちいさなロケットに 愛をいっぱいつめこんで

出演者情報:坂東工 http://www.takumibando.com/


動画制作:庄司輝秋

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

坂東工から「ひと言」


先日、家の近くの交番で職質を受ける。
「クリスマスの日、缶コーヒーを届けたものです」
と告げると、無罪放免。
酔っ払ってやった行動とはいえ、触れ合いは大事ですね。(坂東工)

補記:写真は本人撮影

* 坂東工オフィシャルサイト:http://www.takumibando.com/

Tagged: ,   |  コメントを書く ページトップへ