ポンヌフ関 2026年7月26日「こころ」

こころ

  ストーリーと絵:ポンヌフ関
     出演:遠藤守哉

Na:その店は坂の途中にあった
先生:「君」 「君、私は君の眼にどう映りますか。
   「強い人に見えますか、弱い人に見えますか」

青年:「中位に見えます」って言えばばいいんでしょ

先生:それが全くの下戸なんです。
青年:そっちですか

先生:「吾輩は下戸である 名前はまだない」
青年:なりきり漱石ごっこですか? 
   確かにおじさん漱石にめっちゃ似てるね
先生:本人なのでね
青年:またまたぁ まあいいや
   もっと知ってますよ 
   「君、恋は罪悪ですよ。」 痺れますねぇ
   あとはですねぇ、、、
先生:「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間じゃないですか」
青年:僕は淋しくなんかありません 呑気なもんです
先生:「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、
    どこか悲しい音がする 」
(先生が青年の頭を叩く音)ぺしっ 
青年:そこアタマだし
青年:漱石は、めっちゃ読んでます。
   でも、『こころ』の先生、辛気臭いんですよ 特に後半
先生:酒の力を借りて言いたいこと言いましたね 
   酒の上だから許されると思ってますね

先生:いいですねあなたは 酒が飲めて
青年:ただの酔いどれですよ
先生:「酔いどれ」かっこいい、もてそうですねぇ
先生:「呑むべしや、今夜は、死ぬほど呑むべしや」(太宰の一節)
    私も太宰くんのように無頼に生きたかった
    文豪なんかより酒豪になりたかった!
先生:酒が飲める奴が心底 羨ましい
   とういか 恨めしい
   だからこうして幽霊となって 彷徨っておるのです
青年:幽霊? それで時代がめちゃくちゃなんだ
   でもね先生、下戸だからできたってこともあるんじゃないですか?
   飲み会のあとだってシラフなんだから朝まで書いてたんでしょ
   めっちゃ頑張ったんですよ漱石は。
   僕は断然文豪を選びます

先生:それは君、飲めるから言えることですよ。
青年:いや、僕はそんな漱石が人間として、めっちゃ好きなんです
先生:酔った勢いで 恥ずかしいことも言えましたね
先生:(トイレで)「めっちゃ好き」か 泣かせよって

先生:お、いいですね  「痛飲」とか「へべれけ」とか 私の憧れです
   さてそろそろ 四軒目に行かねば 梯子は呑んべえの醍醐味ですからな

先生:君は、、、太宰で行きたまえ
   今夜は心ゆくまで泥酔してください

先生:じゃ、失敬
青年:あ、おじさん 先生ー!お勘定

青年:何だよジジイ 結構つまみ頼んでたよな

先生:坂道を登りながらこう考えた 素面で話せば角が立つ 飲んで話せば流される
   それでも私は酒のみになりたかった
先生:下戸のこころは下戸にしかわかるまい
   酒なくて
   詩なくて
   月の静かさよ

Na:享年49歳活動期間10年。
  その創作は酒も飲まずに真面目を追及した男の孤独な戦いであった 
  かもしれない

先生:坂の上にもう一軒いい店があったはずだが

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)


shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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ポンヌフ関 2025年8月24日「明暗」

明暗

  ストーリーと絵 ポンヌフ関
     出演 遠藤守哉

私は舟をこいでいた

「舟を漕ぐ」にはふたつの意味がある。
一つは、文字通り、船を漕ぎ進めること、
もう一つは、比喩的な意味で、座ったまま身体を前後に揺らして
居眠りをする様子を表す

そのように居眠りをしていた私だが
気がつくと 霧深い池に舟をこぎ出していた

このまま教師を続けながら小説も書いてゆくか
それとも教師を辞めて小説一本で食っていくか
私は決めかねていた

その時 突然 若い娘が私の目の前に降ってきた

「漱石先生 はじめまして
ここは1907年 明治四十年ですね
わたし、先生の大ファンで作品全部読み進めてきたんですけど
困ります「明暗」途中で絶筆なんて」

「明暗」? 絶筆?
何のことやらさっぱり
一体あなたは誰なんですか

「「時をかける少女」
なんて呼ばれてます。
明治の4コ先の令和からきました」

ならば 私の未来を知っておるというのか?

「あなたは100年以上読み継がれる文豪として文学史に
君臨します そこから先もずっと たぶん永久不滅」

はっはっは
またまたぁ

「ただぁ
このままいくと五十を前にして胃病で亡くなってしまうんです」

なんと!
聞かねばよかった

「大丈夫、未来では胃病はピロリ菌除去で予防できるんです
お願いですからこの薬を一週間飲み続けてください」

少女は未来の薬を私に渡すために来たのだという  
(一行先に「娘は」が来るのでここは「少女は」にしました)

「とにかく約束ね パシャッ」

娘はスマホという未来の写真機で私の写真を撮った

「あ、そろそろ行かないと
さよなら 先生」

待ってくれ! 
森鴎外はどうなる? あいつも文豪か?

「あと「こころ」の先生、自殺させるのやめませんか?」

娘はわけのわからぬことを言い残して消えてしまった

文豪かぁ 悪くないのう
して、この薬は?

パシッ こら! ちゃぽん
猫が叩き落してしもうた
まあ、よし。どうせ夢の中よ

霧は晴れて水面(みなも)は一面、
蓮の花が咲いていた

やってみるか、、、

ほのぼのと
舟押し出すや
蓮の中

夏目漱石は一大決心の上 教師を辞めて作家となり文豪となった.
彼がこの時が押したのは自分の背中だったのかもしれない。
ただぁ 作家としての活動期間は十年、享年は四十九歳であった。

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)


shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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ポンヌフ関 2023年5月21日「猫の墓」

猫の墓

  ストーリーと絵 ポンヌフ関
     出演 遠藤守哉

散歩の途中夕立にあって急いで帰宅したとき
引き出しがあいて、妙な物が出てきた
お、おまえは?
「吾輩は 猫   型ロボットである
名前はまだない」
猫が、、、しゃべった!
私はその頃大学の教師をしていたが
教師というものがほとほといやになっていた
「気晴らしに
小説なんか書いてみたら どうかな?」

いや私もね、
英国に留学して英文学を研究したんだが
いざ自分で書こうとすると全然ダメなんじゃ
猫は腹にカンガルーのような袋を持っていて
そこから何かを取りだした

「なりきり文豪ペン!
これを使えば100年後にも残るような素敵な文章が書けるんだ」

私はその晩一気に書き上げた
この不思議な猫を主人公にした話を
友人の正岡子規に褒められて 世に問うと 大喝采を受けた
このペン最高だね
かくして彼は流行作家となった
小説の最後ではビールにおぼれさせて猫を殺してしまったが
その後も猫とペンと私は快進撃
しかし、三四郎を書いているときであった

「諸般の事情でもう帰らなきゃいけなくなったんだ
このペンも返してもらうよ」
それは困る

バキッ

な、なんということを

「大丈夫、これはただのおもちゃのペン
あんたは最初から自分で書いたんだよ
もう一人でやっていけるさ」
待ってくれ ね、ねこー!猫型ロボットー

名前を 
付けておけばよかった

私は偽の猫の死亡通知を知り合いに送り
庭に墓を作った

この下に
稲妻起こる  
宵あらん

夏目漱石が猫の死に添えた句といわれている
散歩の途中夕立にあうと あやつ どうしておるかと 思い出す
夏目漱石享年49歳
猫との出会いが無かりせば
名もなき英語教師で終わっていたであろう

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)


shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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ポンヌフ関 2022年5月22日「草枕」

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草枕

   ストーリー ポンヌフ関
      出演 遠藤守哉

私は行き詰まっていた
頬杖をついて外を見ている

綺麗でしょ

私、桜や紅葉の頃より新緑が好き

と宿の娘が言う
窓の外は一面の緑
こういうのを俳句の季語で
山笑うと言うんじゃ

おー笑ってる笑ってる

おじさん俳句好きなの?
私も好き
なにか作ってよ

菫ほどな
小さき人に
生まれたし

それ夏目漱石じゃん
何故私の名前を知っておる?
でも、ちょっと似てるね漱石に
せっかくこんなところに来たんだから
先生も、草枕みたいなの書いたら?
草枕?

智に働けば角が立つ
情に棹させば流される

お、いいね
それ、いただき!

あはは
先生おもしろ〜い

娘に笑われ
山に笑われるうちに
心がほどけてきた

おっと、こうしている場合ではない
明日が新連載の締切なんじゃ

えー、メールじゃだめなの?

ありがとう、世話になった
山路をくだりながらこう考えた

智に働けば
おっとっと
足を滑らせて沢に落っこちた
ドボン
私はミレイの描いたオフィーリアの風流な土左衛門のごとく緑の水辺を流れていた
だから、こうしている場合ではない!
その時、目が覚めた
草枕か、いいかもしれん

若葉して
篭りがちなる
書斎かな

明治39年7月26日夏目漱石『草枕』執筆開始

明治39年のある日 不思議な午睡のあと
夏目漱石は
書斎で草枕を着想した、、、かもしれない



出演者情報:遠藤守哉

 

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直川隆久 2012年12月12日「スバる」

スバる

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

ここ数年、全国で断続的におこってきた失踪事件。
そこに共通する点がある。
みな、SNSへの投稿、書置き、離れた両親への留守番電話、
なんらかの形でメッセージを残す。
抽象的であいまいな言葉遣いながら、大体の内容は似通っていた。
明日から自分は「そちら側」から「見えなく」なること、
でもそれは自分の意志であり、
明日以降も自分は「こちら側」で生きていくつもりであり、
心配は無用であること。そして最後に必ずこの言葉があった。
「すばらしき無のために」。
宗教団体か、テロ組織か。反復される「すばらしき無」という
芝居がかった言葉は、失踪者間のつながりを想像させる。
そして、この言葉を残して失踪する行為を
「スバる」と人々は呼ぶようになった。

 ある社会学者は、こう解説した。
スバった人間たちは「忘れられる権利」を「無」になることで
主張しているのだと。
 われわれの生活の一瞬一瞬はすべてモニターされ、データ化される。
ネット上の検索行為やサイト訪問履歴はいうにおよばず、
ベッドに組み込まれたセンサーからは寝返りの回数と位置、
トイレのセンサーからは尿の量や各種成分、
食器に仕込まれたセンサーからは、食べ残した野菜の量…と、
瞬間ごとに大量のデータが吸い上げられる。
それを監視だ搾取だと非難する人もいるが、データはすべてポイントで買い取られ、
その収入で生きていくことができるのだから、
情報を提供する側は情報の「生産者」として、
資本側と対等の地位にいるともいえる。
われわれは幸福な時代に生きているのだ。
 ただ、そういう生き方をうけつけない人間がいる。
彼らは、データの網に捕捉されることを拒もうとする。
だから彼らは、物理的に消えることにした、
というのがその社会学者の見解だった。
言論ではなく実行で――
なぜなら言論は所詮データの1バリエーションだからだ。
質量はもちながら観測ができないダークマターのように、
この日本のどこかに生息しつづけること――
それが、連中が望むことだというのだ。

だが、はたしてこの時代に、
情報網の一部とならずに生きることが可能なものだろうか?
情報をポイントと交換し、そのポイントをカロリーと交換し、
その交換のしかたを、また情報として提供する。
このサイクルを抜け出す方策は「死」以外ない。
そしてそれは――現実だ。
その現実を、連中は否定することができると本気で考えているのだろうか。
無謀だ。それは火星に移住することよりも難しい冒険だろう。
いや、「冒険」などというポジティブな言葉は使うべきではない。
それは「あってはならないこと」だ。情報の網から進んで脱することは、
命綱を自分で断ち切って暗闇の中に飛び込むことだ。
「スバる」という言葉にあらわれた半笑いの態度が示すもの、
それはとりもなおさず、そんな無謀な行為を進んでやる人間がいる、
ということを信じたくない気持ちーー
それをごまかしたいという僕らの無意識ではないか。
現実はひとつであり、それ以外のありかたなどあってはならないのだ。
…と、僕はそこまでで考えるのを止めた。
そろそろお茶の時間だ。お湯をわかしコーヒーを淹れて、
情報を生産しなければいけない。
すばらしきもの、それは存在であり…情報こそが存在なのだから。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2021年6月20日「蕎麦屋炎上」

蕎麦屋炎上

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

商店街の端っこにある古ぼけた蕎麦屋。
木造の建物は若干傾いでいて、
その外壁を茶色く枯れた蔦がびっしりと覆っている。
店には、八十がらみの頭髪の薄い主人が一人だ。

俺は、ときどきこの蕎麦屋で昼飯を食う。
行きつけの古本屋から近いからだ。
蕎麦は、正直まずい。
いつもべたべたしていて、ざるの上の二、三本を箸でつまめば、
全部の蕎麦が一斉に持ちあがる。
つゆの量もけちくさくて、蕎麦猪口に二分目ほどしか入っていない。

いちど、ある客がそばつゆのお替りを頼んだときだ。
主人は厨房から出もせず、
「あーあ、蛇口ひねりゃつゆが出てくるとでも思ってんのかね。
あがったりだよ。あがったり」
という、聞えよがしの独り言をよこしてきた。
こんなホスピタリティのかけらもない店を、
なぜこの主人は開け続けているのか。

古本屋が言うには
「昔、この商店街が賑わっていたころは、あの店もそこそこうまかった」
のだそうだ。
――「いや、でも、ご多聞に漏れずここいらも人が来ないようになってさ。
起死回生ってことで、商店街の会長がマンションデベロッパーと組んで、
端っこの何軒かの立ち退きをすすめて。
ほかの店は、ま、従ったんだけど、一軒だけゴネたのが、
あの蕎麦屋だったみたいね」
確かに、蕎麦屋の建物は、通りに向かう面以外の三方を
マンションの敷地にぎっちりと囲まれており、
その境界の壁が不自然に高い様子は、
なにやら異様な圧迫感を放っている。

それを知ると、蕎麦屋の主人が店を閉めない理由もわかる気がした。
意地である。いや、意地といえば聞こえはいいが、
「おまえらの思うようにはならない」という攻撃的な反応が
常態と化した、というべきか。
この社会、この世間は、主人の自尊心を、長年かけて、
やすりでこするように毎日削り取っていったのだろう。
その世間に吠えかかるかわりに、
主人は、来る日も来る日も暖簾を掲げ続けているのだ。
さも、不本意な顔で。

コロナ禍となって、しばらくその商店街から足が遠のいていたのだが、
先日久しぶりに古本屋を覗きに行った。
そして、いつものように蕎麦屋の前までやってくると、
何か異様な熱気に店が包まれているのに気づく。
開け放たれた引き戸から中をうかがうと、
どういうものか、店はすし詰めだった。
そして、客は全員真っ赤な顔をして大声で喋りあっている。
あらゆるテーブルの上に、ビール瓶、日本酒の瓶がならび、
転がっていた。
この緊急事態宣言下、酒をだせば、この蕎麦屋でも超満員になる。
酒の力は恐ろしい。
路上には、スーツ姿の市役所職員らしき一群が
メモやらカメラで記録に忙しく、近所の住人であろう人たちが、
マスクの位置を直しながら警戒心もあらわに店の前を通り過ぎていく。
喧騒の奥、見たことのないようなにこやかな顔で、
主人が酒瓶を手に走り回っていた。
俺は、蕎麦屋の中には入らず、もと来た方向へ引き返した。
笑ってはいながらもやけに遠くに焦点のあったような主人の目の残像が、
頭から離れなかった。

一週間後、新聞で、その蕎麦屋が火事となり全焼したというニュースを読んだ。
何者かがガソリンをまいて火を放ったらしい。
俺はもう一度その記事を読み、死傷者はなく…
店の主人の遺体も未だ発見されていない、ということを確認した。

焼けた蕎麦屋に足を運んでみると、炭になった柱の残骸以外、
そこに建物があったことを示すものはほとんど無くなっていた。
足元に、見覚えのある品書きが、踏みしだかれ、
ずぶ濡れになっているのを見つけた。
周囲には焦げ臭い匂いが濃厚に漂っている。
マンションとの境界の壁は、煤で真っ黒に染まっていた。
ガソリンの命を与えられた炎が、
その壁に執拗に噛みつく様子が目に浮かんだ。

誰の犯行かも、主人の行方も、わからない。
だが…俺は、火を放ったのが、
当のその主人であってほしいと考えずにいられなかった。
不本意に続けた店を、本意から焼いたのであって欲しかった。
長年の鬱屈を反動として、
主人の生命が爆発的アクションを見せたのであって欲しかった。

そう思わずにいられなかった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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