蛭田瑞穂 2026年3月15日「夜桜」

夜桜

ストーリー 蛭田瑞穂
   出演 遠藤守哉

四月だというのに、妙に肌寒い夜であった。

鎌倉雪ノ下の、人影の絶えた裏路地を、
川端康成と少女が連れ立って歩いていた。

突き当たりの角を曲がると、一木(いちぼく)の桜が、
まばゆいばかりに咲き誇っていた。

「見て先生、こんなに綺麗な桜が」

少女は小走りに近寄り、仰ぎ見た。
枝という枝に、隙間もなく白い花弁が重なり合っている。

そこに、一陣の春疾風(はるはやて)が吹いた。
枝を大きく揺らすと、無数の白片が雪のように舞った。

「あら、もったいないこと。
 こんなに急いで散らなくてもよいのに」

少女は花びらに手を伸ばした。
その透き通るように白い指先を見つめながら、
川端は語りかけた。

「古来、日本人は儚さの中に、
 真の美しさを見出してきたものです。
 形あるものが消えたあとに、余韻が宿る。
 そう考えれば、散る桜もまた、鮮やかに見えましょう」

少女は花びらを追う手を止め、
はにかみを隠すように笑みを浮かべた。

「儚さ、ですか。
 でも私はやっぱり、満開のほうが好きですわ。
 こうして元気に咲いているほうが」

川端はふと、少女の、そのいたいけな感情を
弄(もてあそ)んでみたい誘惑に駆られた。

「しかし、生気(せいき)に満ちた姿というのは、
 時に品性を欠くものです。
 満開の賑やかさは、どこか生(せい)の奢りも感じさせて、
 私には少し、目に余ります」

「奢りだなんて……。私はただ、
 一生懸命に咲いている桜を愛でたいだけです」

「だがそれでは、桜を見ながら、見ていないことになりますよ」

川端はなおも執拗に言葉を重ねた。

「真実というものは、
 余計なものを削ぎ落とした果ての、無にあるのです。
 形も色も捨て、虚空へ溶けてゆく。
 その潔さこそが、何よりも充足した美なのです。
 目に見える美しさなど、仮初の像に過ぎません。
 君はまだ、お若い。
 いつか、その奥に潜む深淵に触れる時がくるでしょう」

気がつくと、少女は黙り込んでいた。
手のひらにこぼれたひとひらを
うつむいたままじっと見つめている。

「でも先生、それなら……」

少女は不意に、射抜くような視線を彼に投げた。
その瞳の中で、夜桜が怪しく揺れている。

「それなら、私が死んで、いなくなってしまったら、
 先生は嬉しいのですか。
 この花びらのように、儚く散ってしまったら。
 それでも先生は私を愛でてくださるの?」

川端は、言葉に詰まった。
己(おのれ)が弄ぼうとした純真が、
逃れようのない刃(やいば)となって、
彼の高慢な自尊を切り裂こうとしていた。

風が、再び吹き荒れた。
闇を背景に、狂おしいほどの花びらが舞い、
二人の間を分かつように通り過ぎていく。

風が凪ぐと、傍らから少女の姿は消えていた。
あとには、冷えびえとした夜の気配が沈んでいる。

川端は、知らぬ間(ま)に固く結んでいた右手を
ゆっくりと開いた。

そこには、ひとひらの桜が、
まるで行き場を失った遺品のように貼りついていた。

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福里真一 2026年1月11日「人気教師の夢」

人気教師の夢  

   ストーリー 福里真一
      出演 遠藤守哉

その30年以上にわたる教師生活を通して、
彼はずっと人気教師だった。

いつも明るく楽しい冗談で、
生徒たちを笑わせた。
若い頃は爽やかでなくもないルックスで、
女生徒からもモテたらしい。

悩みや問題を抱えた生徒には、
見放すことなくきちんと向き合った。
時には生徒の側に立って、
頑固すぎる校長や学年主任と、
戦うことも辞さなかったらしい。

彼のわかりやすい物理の授業の影響で、
多くの生徒が理系の大学を目指すことになった。
バレーボール部の顧問として、
チームを全国大会出場に導いたこともあった。

そんな人気教師が、
定年を前に退職することになった。
卒業生有志が企画した送別会には、
数多くの元生徒たちが集まった。

感謝のこもった目で見つめる元生徒たちの前で、
彼が語ったのは、
しかし、少し意外な話しだった。

「オレは若い頃から、
ずっと長距離トラックのドライバーに憧れていた。
子供の頃、
『トラック野郎』という映画で、
デコトラで旅する菅原文太さんに出会って以来、
ずっとトラックドライバーになるのが夢だった。
教師をやりながらも、いつかはトラック野郎になりたいと、
思い続けていた。
いま、60歳を前にして、年齢的に最後のチャンスだと思い、
履歴書をもって、運送会社を回った。
そして、ようやく採用してくれる会社が見つかった。
この年末から、いよいよオレの長年の夢がかなうんだ」

人気教師は、
生徒に冗談を言い、女生徒から憧れられ、
悩みや問題がある生徒に向き合い、
校長や学年主任と戦っている間も、
ずっと心の中では、
長距離トラックのドライバーを夢見ていた。

物理を丁寧に教え、
バレーボールで生徒たちを鍛えあげている間も、
ずっとずっと、トラック野郎になりたかった。

そのことを、元生徒たちが知ったとき、
それまであたたかみにあふれていた送別会の会場に、
一瞬、シラーッとした空気が流れたのは、
間違いがないことだった…。

2026年がやってきた。
物流に正月休みはない。
人気教師が運転するトラックは、
今ごろ、
海沿いのまっすぐな道を走っているのか、
曲がりくねった山道を登っているのか、
あるいは、吹雪の中を疾走しているのかもしれない。

「夢」という名の「思いこみ」が、
今年も多くの人の人生を動かしていくことだろう。

そんなことを考えながら、私はいま、
おそらく長距離トラックによって運ばれたであろう、
おせちのかずのこを、たべている。(おわり)

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出演者情報:遠藤守哉

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上田浩和 2025年12月7日「トントン」

トントン

  ストーリー 上田浩和
     出演 遠藤守哉

夜。布団に入ると、
7歳になる娘の胸のあたりをトントンと叩く。
小さな鼓動に合わせて、トン、トン、トン、トン。
しばらくすると、娘はすうっと眠りに落ちる。
けれど、10歳の息子のほうはそうはいかない。
真っ暗な中で、いつまでもゴソゴソしている。
トントンしてもなかなか寝つかず、
僕の右手はだんだん疲れてしまう。
僕は、孤独を知らない。
浪人が決まった高3の春、途方に暮れたことはある。
上京して初めての夜は怖かった。
別れを味わったときは、たしかに寂しかった。
飲み会や打ち合わせで話題についていけず、
一人を痛感したことも何度もある。
それでも、それは「孤独」ではなかった気がする。
その証拠に、いつも少し経てば誰かと笑っていた。
結婚し、子どもが生まれ、孤独はますます遠のいた。
人は「孤独に押しつぶされそうになる」と言う。
けれど孤独に、ほんとうに重さはあるのだろうか。
「孤独は心の隙間から入り込む」とも言う。
それなら、孤独は空気のようなものなのだろうか。
やはり僕には、孤独というものがよく分からない。
でもそれは、きっと幸せなことなのだと思う。
子どもたちをトントンしながら思い出す。
僕にも、母にトントンされた夜があった。
たしか小学4年のころ。
その夜も寝つきが悪く、僕は暗い中でゴソゴソしていた。
隣で眠る妹の寝息がうらやましかった。
「もう小4なのに」と思いながらも、
「眠れん」と母に言うと、
「はいはい」と笑って、やさしくトントンしてくれた。
すると、それまでが嘘みたいに、すうっと眠れた。
あの夜、僕ははじめて「愛されている」という実感を得たのだと思う。
僕は愛されている。大丈夫だ。
その思いは、はっきりと胸の中に刻まれた。
硬い石に深く彫られた石板の文字のように。
きっと一生消えることはない。
その記憶のおかげで、
孤独に苛まれることもなく、押しつぶされることもなく、
世界とつながれたまま、僕は生きてこられたのだと思う。
あの夜のトントンが、僕を孤独から守ってくれた。
だから今夜も、子どもたちをトントンする。
「愛してるぞ、愛してるぞ」と思いを刻むように右手で胸を叩く。
もっとも、僕のほうが先に寝てしまうことも多い。
そんな夜は、たいてい息ができなくなって目が覚める。
苦しさにはっとして目を開けると、そこには息子の顔がある。
息子が、僕の鼻を指でつまんでいる。
苦しかったのは、そのせいだった。
「どうした!」と驚いて聞くと、「うるさい」と息子は迷惑そうに言う。
息子の寝つきが悪いのは、
どうやら僕のいびきのせいでもあるらしい。

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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遠藤守哉 2025年11月23日「街灯の下に」

街灯の下に

     ストーリー 中山佐知子
        出演 遠藤守哉

街灯の下に占い師が店を出している。
店といっても箱型の小さな机をはさんで
占い師とお客が向き合って座る椅子が2脚あるだけで
机の上にはこれといった道具もなかった。

占い師が得意なのは
小さな不幸のストーリーを考えることだった。

あなたの才能があなた自身をいじめている。
あなたは自分の幸運を他人に分け与える人だ。

占い師はお客の顔をじっと見ながら
口当たりのいい不幸のストーリーを組み立てる。
本気で未来を知りたい人などどこにもいるはずがない。
みんなが欲しがるのは、手軽に持ち運びが出来て
友だちに話してきかせることのできる自分のストーリーだった。

ある晩、占い師のところに奇妙なお客がやってきた。
男か女かも定かでない老人だった。
老人は、自分はトカゲだと名乗った。

自分はこの冬を越せない年寄りのトカゲだ。
だから自分に未来はいらない。
自分が欲しいのは過去だ。
食べて寝て、獲物を追って
天敵から逃げた記憶しかない自分はどんな存在だったのだろうか。
老人のトカゲはそう言うとじっと占い師を見つめた。

占い師はしばらく目を閉じ、やがて口を開いた。
私が捨てられたばかりの子猫だったとき、
おまえはやっぱりトカゲだった。
私は飢えてひと晩草むらで鳴きつづけ、
もう声も出なくなったときにおまえを見つけた。
本能が私の前足を動かし、爪がおまえの腹に食い込んだ。
おまえの肉を食べたとき
私は自分が生きるために獲物を殺す存在であることを知ったのだ。

それでは、と、トカゲは言った。
おまえは私と変わらない。
占い師は話をつづけた。
私はトカゲを殺し、蛙を殺し、バッタを殺した。
それでも長くは生きられなかった。
私は未熟で自分を養うだけの獲物を殺せなかったが、
それでも私は自分が何ものであるかを知り
その生きざまを全うすることができた。
私はおまえに感謝しているし
おまえは自分がどんな存在なのかをとっくに知っている。

それからしばらくして
街灯の灯りも凍てつくような寒い晩に
占い師がいつもの場所に来てみると
トカゲが自分のストーリーを大事そうに抱えて死んでいた。

占い師はというと
いまでも毎晩お客のために不幸のストーリーを作り出している。
未来のある人に幸福なストーリーはいらない。
それはみせびらかすものではないからだ。

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出演者情報:遠藤守哉

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遠藤守哉のご挨拶 2025年11月

遠藤守哉のご挨拶

秋になりました。
というか、秋を通り過ぎ冬に突っ込みそうな勢いです。
秋ってこんなに駿足で勢いよかったでしたっけ。
枯れ葉に涙する、とか
赤く色づいた木の実を掌に乗せてじっと眺める、とか
肌寒い夜に一匹だけ鳴くコオロギに寂寥を感じながら
燗酒を飲む、とか。
そういう季節はどこへ行ったのでしょう。
あれもこれも吹っ飛ばして
半袖をしまう暇もなくセーターを引っ張り出しています。

秋って忙しい。
オリオン座流星群も見損ないました。
それではまた。

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蛭田瑞穂 2025年10月12日「夕刻」

夕刻

ストーリー:蛭田瑞穂
    出演:遠藤守哉

「ワインをお注ぎしましょうか」

ミシマは頷き、グラスを差し出した。
カフェ・ド・フロールのテラスで、
冷えたシャブリが注がれる。
その透明な液体は、夕陽を受けて黄金の輝きを宿した。

パリの空は燃えていた。

沈みゆく太陽が空一面に敷き詰められた無数の鱗雲を、
朱から紅へ、紅から茜へと染め上げ、
巨大な龍が天を覆うかの如き壮観を呈していた。

夕陽は何故かくも美しいのか。
朝陽は希望という名の幻想に彩られているが、
夕陽は何も約束しない。
ただ終焉を、漆黒の闇をもって宣告する。

美とは喪失であり、喪失こそが美の源泉である。
薔薇が永遠に咲き誇るならば、誰がその花弁に陶酔しようか。
恋も青春も、終焉という名の断崖を前にしてこそ、
最も激しく燃え上がる。

この夕陽と共に、すべてが幕を閉じるならば、
—— ミシマはシャブリを一口含んだ。
それは完璧な終幕ではないか。

世界が最も美しく輝く瞬間に、最も美しい形で完結する。
夕陽という巨大な幕が降りて、その幕は永遠に上がらない。

コクトーは言った。
「詩人は永遠の眠りについてから生き始める」

何という逆説。
何という真実。
生きている詩人は、詩人の仮面を被った俗人に過ぎぬ。
詩人の真の誕生を告げるのは、
墓石にその名が刻まれた時である。

喪失の刹那にこそ、美は絶頂に至る。
散る桜も、流星の煌めきも、沈みゆく夕陽も、
すべては失われる瞬間に、
その存在の極致を最も純粋な輝きとして顕現させる。

故に、私は死を恐れぬ。
死とは、美の究極の完成、否、その唯一の実在である。

私はそれを、生まれる前から知っていた。

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出演者情報:遠藤守哉

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