上田浩和 2025年12月7日「トントン」

トントン

  ストーリー 上田浩和
     出演 遠藤守哉

夜。布団に入ると、
7歳になる娘の胸のあたりをトントンと叩く。
小さな鼓動に合わせて、トン、トン、トン、トン。
しばらくすると、娘はすうっと眠りに落ちる。
けれど、10歳の息子のほうはそうはいかない。
真っ暗な中で、いつまでもゴソゴソしている。
トントンしてもなかなか寝つかず、
僕の右手はだんだん疲れてしまう。
僕は、孤独を知らない。
浪人が決まった高3の春、途方に暮れたことはある。
上京して初めての夜は怖かった。
別れを味わったときは、たしかに寂しかった。
飲み会や打ち合わせで話題についていけず、
一人を痛感したことも何度もある。
それでも、それは「孤独」ではなかった気がする。
その証拠に、いつも少し経てば誰かと笑っていた。
結婚し、子どもが生まれ、孤独はますます遠のいた。
人は「孤独に押しつぶされそうになる」と言う。
けれど孤独に、ほんとうに重さはあるのだろうか。
「孤独は心の隙間から入り込む」とも言う。
それなら、孤独は空気のようなものなのだろうか。
やはり僕には、孤独というものがよく分からない。
でもそれは、きっと幸せなことなのだと思う。
子どもたちをトントンしながら思い出す。
僕にも、母にトントンされた夜があった。
たしか小学4年のころ。
その夜も寝つきが悪く、僕は暗い中でゴソゴソしていた。
隣で眠る妹の寝息がうらやましかった。
「もう小4なのに」と思いながらも、
「眠れん」と母に言うと、
「はいはい」と笑って、やさしくトントンしてくれた。
すると、それまでが嘘みたいに、すうっと眠れた。
あの夜、僕ははじめて「愛されている」という実感を得たのだと思う。
僕は愛されている。大丈夫だ。
その思いは、はっきりと胸の中に刻まれた。
硬い石に深く彫られた石板の文字のように。
きっと一生消えることはない。
その記憶のおかげで、
孤独に苛まれることもなく、押しつぶされることもなく、
世界とつながれたまま、僕は生きてこられたのだと思う。
あの夜のトントンが、僕を孤独から守ってくれた。
だから今夜も、子どもたちをトントンする。
「愛してるぞ、愛してるぞ」と思いを刻むように右手で胸を叩く。
もっとも、僕のほうが先に寝てしまうことも多い。
そんな夜は、たいてい息ができなくなって目が覚める。
苦しさにはっとして目を開けると、そこには息子の顔がある。
息子が、僕の鼻を指でつまんでいる。
苦しかったのは、そのせいだった。
「どうした!」と驚いて聞くと、「うるさい」と息子は迷惑そうに言う。
息子の寝つきが悪いのは、
どうやら僕のいびきのせいでもあるらしい。

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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