佐藤充 2026年1月18日「寝台バスは昆明へ向かう」

寝台バスは昆明へ向かう

   ストーリー 佐藤充
      出演 地曵豪

時間はある。お金はない。
ラオスのルアンパバーンから中国の昆明へ、
25時間かけて寝台バスで行くことにした。

飛行機の半分の金額で移動ができて、
寝ることもできるから宿泊費も浮く。

Wi-Fiはない。
不便に思えるが、デジタルデトックスだと思えばいい。
読みかけのバルザックの『ゴリオ爺さん』に集中できる。

こんなことなら何度も挫折してきたドストエフスキーの
『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を持ってきたらよかった。
いつも登場人物の名前が覚えられないのだ。

疲れたら流れる景色を
ぼーっと眺めて過ごせばいい。

窓の外を流れる街並み。
一軒一軒に生活がある。

もしもここで生まれたらと考える。
高校生だったら放課後にあそこに見える屋台で
友達と買い食いしたら楽しそうだなとか考える。
そんな想像をして過ごすのも悪くない。

心配なのはトイレくらいか。
トイレのない寝台バスらしい。
それも水やビールの飲み過ぎに
気をつけていたら調整できる。

考えれば考えるほど、
快適で有意義な時間が待っている気がして、
寝台バスは魅力的に見えてきた。

そう思って乗車した。
考えが甘かった。

バスは真ん中に通路があり、
通路を挟む形で両端に2段ベッドが並んでいた。

2段ベッドの上だとバスの揺れで落ちたりするかもと思い、
僕はバスの1番奥の2段ベッドの下に陣取ることにした。

靴を脱いでベッドの上に座る。
ここから全乗客の様子を見ることができる。
乗客はほぼ中国人しかいない。

ふと鼻腔を突き刺すにおいで、
高校時代の剣道部の部室を思い出す。

もしかして自分の足からだろうかと思ったけど、ちがった。
バスのなかが、剣道部の部室と同じにおいだった。

たぶんシーツなど洗っていないうえに換気もしていないのだろう。
小樽商科大学へ行った剣道部のシノハラは元気だろうか。

上のベッドからナッツの殻が落ちてくる。
嫌がらせだろうかと思ったら、ちがった。
みんな床にゴミや食べカスを落としている。

中国はバスのなかであろうと関係ないらしい。
まだまだ知らない文化だらけだなと思っていたら、
カーーーーーーッ!ペッ!と空気を切り裂くような音とともに
おじさんが床にツバを吐いた。

嘘だろ?と思っていたら、
他の中国人の方がそれには注意をしていた。

通路に脱いでいた靴を念のため
移動しようとベッドの下を覗いたときだった。

ガサガサと動く黒い生き物がいた。

もしかしてと思い、
ベッドシーツをめくってみる。
いた。やっぱりいた。けっこういる。
ゴキブリだった。

見なければよかった。

これは快適な寝台バス旅ではなく、
悪夢のゴキブリ寝台バス旅だった。

こうなっては本を読む気にもなれない。
内容が入ってこない。

出してくれ。
ここからはやく出してくれ。

窓の外の流れる景色を
助けを求めるような気持ちで眺めてしまう。

25時間、
悪夢だった。
数時間に1度のトイレ休憩や、
食事休憩だけが唯一の気持ちの休まる時間だった。

沢木耕太郎はこう言っていた。

旅は人を変える。
人が変わる機会というのは人生のうちにそう何度もあるわけではない。
だからやはり、旅に出て行ったほうがいい。
危険はいっぱいあるけれど、困難はいっぱいあるけれど、
やはり出て行ったほうがいい。
いろいろなところへ行き、いろいろなことを経験したほうがいい。

そう言っていた。
だけど、ここに注釈を付け加えたい。
ゴキブリ寝台バスで行くのだけはやめたほうがいいと。

25時間後、
僕は悪夢を消し去るように昆明で青島ビールを浴びるように飲み、
人生ではじめて海外でお酒を飲みすぎて記憶をなくしたのだった。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤充 2025年12月14日「イスタンブールの孤独」

イスタンブールの孤独

   ストーリー 佐藤充
      出演 地曵豪

トルコのイスタンブールにいる。
時刻は25時。
場所はブルーモスクと呼ばれているスルタンアフメトモスク前の広場。
さっきまで観光客で賑わっていたのが嘘みたいに誰もいない。

18歳。1人旅。
なにも怖いものがなかった。
好奇心しかなかった。

それがいけなかった。
東京からイスタンブールに到着して、
5時間で10万円を失った。

イスタンブールをスタート地点に
1ヶ月かけて中東をまわる予定だった。

残り9万円。
ギリいけるのか。いけないのか。
クレジットカードは持っていない。
スマホも持っていない。日本へ連絡手段もない。
手持ちのお金だけで生き抜かなければならない。

何がいけなかったのか。
足りない頭で考える。
いくつか分岐点があった気がする。

20時。ブルーモスク前の広場で
1人イスタンブール名物のサバサンドを食べていた。

そこにキプロス人の2人組がやってきた。
「一緒にケバブを食わないか?」

焼いたサバだけだと味気がないと思っていたので、
一緒にケバブを食べにいくことにした。

まずここが1つ目の分岐点だった。
知らないキプロス人2人組についていってはいけない。

北海道の母にも上京するときに、
知らない人についていってはいけないと言われていた。
きっと僕の性格を理解したうえで言ってくれていたのだ。
忘れていた。

イスタンブール市街の飲食店でケバブを食べ終わったときだった。
またキプロス人の2人組は言う。
「ケバブも食べたし、一緒に踊らないか?」

食後の運動がダンス。
オシャレだなと思った。
悪くない。一緒に踊ることにした。

たぶんここが2つ目の分岐点だった。
まだ引き返すことができた。

「ダンスフロアが近くにある」と、
キプロス人2人組がいうのでついていく。

路地をどんどん薄暗いほうへ進んでいく。
街灯などない。キプロス人は笑う。
暗闇のなか白い歯だけがやけに目につく。

「ここだ」と連れてこられたお店のなかに入る。
お客さんはいない。代わりにボブサップのような男が5人くらいいる。

もしかしたらこれが最後の分岐点だったかもしれない。
走って逃げればよかった。
入店してしまった。

「ここに座れ」と言われ、席につく。
テーブルにはシャンパンやビールの空いた瓶やグラスが置いてある。
「これはお前が飲んだ」と言われる。

いやいやいや、飲んでいないのだけど、と答える。
というか帰らせてもらいます、と立ち上がる。

そんなかたいこと言わずに踊ろうぜ、と
キプロス人2人組とボブサップ5人に囲まれる。

身体をまさぐられる。
身ぐるみをはがされる。
財布を奪われる。
そこには1ヶ月の全予算19万円が入っている。

キプロス人がその19万円を掴む。
これがなくなったら全てが終わる。
僕もつかみかかる。

19万円が空中に舞う。
スローモーションに見える。

ダンスフロアに舞い散る19万円。
それに群がるキプロス人2人とボブサップ5人。
そして自分。

どうにか拾い集めた9万円を握りしめ、店を飛び出す。
深夜のイスタンブールの街を駆け抜ける。

どうやって帰ったかもわからない。

入国してからここまで数時間。
スタート地点のブルーモスクに戻ってきた。

そういう競技があればオリンピックに出られるくらいの
スピードでお金を失った。

ケバブを経て、
ダンスを経たという芸術点も加点対象になるかもしれない。

モスクから点数の書かれたフリップを持った審査員たちが出てくる。
10点、10点、10点、10点。ワールドレコードです。
ブルーモスクから特大の花火が打ち上がる。

なんてことは、もちろんない。逃避するのをやめた。
気づくとまばらだが人が歩き始めている。

街中に礼拝時間の呼びかけであるアザーンが大きな音で流れ、
モスクで礼拝がはじまった。

夜明け前のやわらかい光に包まれたブルーモスクと
礼拝をする人を眺めていたら、
もう少し旅をしていたい気持ちにもなってきた。

あれだけ痛い目にあったのにすぐに忘れる。
たぶんこんなんだから何度も痛い目を見るのだろう。

1ヶ月後、エジプトのカイロでアラブの春という革命に巻き込まれて、
パスポートも全て盗まれて帰国できなくなることを
僕はまだ知らない。

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中山佐知子 2025年11月16日「蒼き狼は湖を渡って」2025版

蒼き狼は湖を渡って
             
ストーリー 中山佐知子
出演  地曵豪

蒼き狼は湖を渡ってやってきた。
平原を流れる川がはじまる場所で白い牝鹿をしたがえ
一粒の遺伝子を残した。

その平原で生まれた少年はよく母にたずねた。
どうして蒼いオオカミと白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか。
若い母はそのたびに沈んだ顔で答えた。
私がおまえを生んだように。

母は昔、結婚式を挙げて花婿の家に向う途中で
少年の父にさらわれた花嫁だったので
少年には出生の秘密がつきまとっていた。

少年の父が敵対する部族に殺されてから
母は顔を上げ
長い髪をきりきりと結い上げて働くようになった。
どうして蒼いオオカミと白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか
母はもうそのことを悲しむ暇もなかった。
少年は母に養われて成人し
母に似た賢い娘を花嫁に迎えた。

そして、その花嫁をさらったのもまた
少年の父に恨みをもつ部族だった。

ボルテ、ボルテ
少年は花嫁の名を呼びながら馬を走らせていた。
従う2万の兵はまだ少年のものではなく
同盟する部族から借りた援軍だったが
敵の部族すべてを灰にするほどよく戦っていた。
敵の族長はすでに身ひとつで逃れ
置き去りにされて逃げまどい
川を渡ってさらに逃げようとする人々を
少年の軍勢は執拗に襲った。

ボルテ、ボルテ
少年は川を渡り花嫁の名を呼びながら
馬を走らせていた。
ボルテ、ボルテ
逃げる人々の中から小さな影が飛び出して
少年が乗る馬の手綱を掴んだ。
ボルテ、ボルテ
少年はやっと自分の花嫁を
月明かりのなかで抱きしめた。

花嫁は少年のもとに戻って男の子を生んだ。
どうして蒼い狼と白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか
どうして敵対する部族の血が混ざり合うのか
少年は、それが湖の意思なのだと思うことにした。

どうして蒼い狼と白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか
その問いを発する少年も
その花嫁が生んだ最初の息子も
湖の意思によって生まれた狼の末裔なのだ。

少年はやがて4の字がふたつ並ぶ年齢のときに
平原の部族をひとつにして
ユーラシアの支配者になったが
チンギス・ハーンのチンギスには
湖という隠された意味があり
チンギス・ハーンから広まった湖の遺伝子は
いま、この世界の1600万人の男子の染色体の中に
潜在している。

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佐藤充 2025年8月10日「ダウ船」

ダウ船

      ストーリー 佐藤充
         出演 地曵豪

金曜の夜に営業からteamsで連絡がくる。

先日提案した企画の戻しがクライアントから来ました。
月曜日に再提案できますか?

土日は千葉県の山で撮影している。
スタジオ撮影ならどうにか作業する時間はあるけれど、
どうしようかとなかなか返事をできずにいると今度は電話がくる。
それにも折り返さずにいると次はショートメッセージがくる。

そんなとき、ザンジバル島へ想いを馳せる。

アフリカ東海岸のインド洋上にある島。
国でいうとタンザニアに属している。

10年前、ザンジバル島にいた。
成田から乗り換え3回、
24時間を超える搭乗時間の末に到着した。

空港からはダラダラと呼ばれる乗り合いバスで、
ザンジバルで最も栄えた街ストーンタウンへ向かう。
そこからさらに乗り合いバスを乗り継いで、
海岸沿いの街パジェへ。

移動に次ぐ移動で疲労困憊だった。
ようやくゲストハウスに到着する。

そこでゲストハウスのスタッフの
ボブマーリーそっくりなお兄さんに
「ワッツアップメーン」と陽気に話しかけられる。

「あ、グッドです」と陰気くさく答える。

バイブスが合わないと思われたのか、
そこから1週間の滞在でボブマーリーお兄さんに
話しかけられることはほぼなかった。

前にインドで会った日本人に聞いた、
長くバックパッカーをやっている人に
関西出身者が多いという話を思い出す。

関西出身者は海外のコミュニケーションのノリに
怖気付くことがないのだという。
確かにテレビ番組で現地の人と関西弁だけでやりとりする
千原せいじさんみたいな
バックパッカーの人を今まで何人か見たことがある。

県民性ってあるんだなぁ、
不思議だなぁ、などと翌朝パジェの浜辺を歩きながら考える。

暑くなってきたので涼しそうな場所を探す。
目の前に自分と不釣り合いな高級リゾートホテルが現れる。
ロビーが新宿御苑の温室植物園のようだった。
カラフルな植物に溢れるロビーを抜けると
インド洋を眺望できるプールがあった。

プールデッキにはいくつも日よけのパラソルがあり、
その下にはテーブルとチェアが置いてある。

そのひとつに腰をおろす。
インド洋がキラキラと輝いている。
気持ちのいい風が吹いている。

もうこの時点で100点だった。

僕が旅する理由。
それは風が気持ちいい、眺めのいい場所を探すこと。
そしてそこで朝はコーヒーを、昼以降はビールを飲む。
そのために旅をしているのではないかと錯覚させるほど完璧だった。

スタッフがメニューを持ってくる。
一応ここの宿泊者じゃないことを伝えるが問題ないと言う。

メニューを見る。
コーヒーが2ドル。
ビールが4ドル。

見つけた。ここだ。と思った。
それから毎日通った。

朝はコーヒーを飲みながら文庫本を読み、
昼はビールを飲みながら
三角帆のダウ船がインド洋を進むのをボーッと眺める。
ああ、これがしたかったんだ。

ピンポーン。

家のチャイムの音で現実に戻される。

営業からの月曜再提案のメールも電話も
ショートメッセージも反応せず放置していたのを思い出す。

目を閉じる。
もう一度、ザンジバル島へ想いを馳せる。
三角帆が風に膨らむ。ダウ船が見えなくなっていく。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤充 2025年7月13日「ホーリー」

ホーリー

  ストーリー 佐藤充
     出演 地曵豪

「キッキッキッキ、キィキィキィ」
枕元で猿が鉄格子を揺らしながら鳴いている。

インドのバラナシ。
ガンジス川まで徒歩5分のゲストハウス。
その屋上に乾季限定でトタン屋根に鉄格子で囲われて
ベットがびっしり置かれているドミトリーの相部屋がつくられる。

トタン屋根に鉄格子。
吹き抜ける風。騒音。スパイスのにおい。
部屋というより出入りが自由にできる牢屋。
動物園の動物たちの気持ちを体験できるオリ。
と言ったほうがいいかもしれない。

一泊100円。ほぼ外。

一番手前に置かれたベッドが僕のスペースで、
そこに服や本など荷物を置いておく。

セキュリティという概念はない。
自己責任と信頼関係のうえに成り立っている。

盗まれたら困るパスポートやお金は、
ウエストポーチの中に入れて寝るときも、
シャワーを浴びるときも肌身離さず持っておく。

20くらいあるベッドは
人種や性別様々なバックパッカーたちで埋まっている。

朝になると猿に起こされる。
鉄格子を激しく揺らす。

お母さん人間が寝ているよ。
そうだね、馬鹿みたいな顔して寝ているね。
起こしてやろう。
ほら、寝るな寝るな。
起きろ起きろ。
なんかやってみろ。

毎朝、
猿はオリのなかで寝ている人間たちにちょっかいをだす。

バラナシの猿は狂犬病をもっている。
噛まれないように気をつけろ。
先輩バックパッカーが教えてくれた。

誰かが入り口を開けっぱなしだったときなど、
そこから猿が僕たちのオリの中に入ってきたので、
全員で猿を威嚇して追い出したりもした。

猿に怯えて暮らす日が来るとは思わなかった。
そして、脅威は猿だけではなかった。

オリのなかでの生活の初日。
なにも知らずに寝て起きたら、
全身を蚊に70箇所以上刺されていた。

ほぼ外で寝ているのと一緒なのを忘れていた。
蚊帳が必要なことを知らなかった。

バラナシの蚊はマラリアに感染する。
刺されないように気をつけろ。
先輩バックパッカーが教えてくれた。

刺される前に知りたかった。

マラリアに感染したかもと怯えながら、
インドの強烈な薬を飲んだり塗ったりして対処した。

そんなオリでの生活も1週間がすぎた。
暑さによる寝苦しさや睡眠不足は否めないが、
夜になると耳元を飛ぶ蚊にも、
朝になると騒ぐ猿にも少しずつ慣れていった。

別に慣れる必要などない。
もっと快適な環境に移動しなさい。
そう思うだろう。

貧乏バックパッカーだということもあるが、
今回のバラナシにはある目的があってやってきた。

インドのホーリーという祭りに参加するためにやってきたのだ。

ホーリーとは春の訪れを祝う祭りで、
インドやネパールの各地の町中で極彩色の色粉や色水をかけ合う。

その日だけはカーストや男女貴賤など関係なく、
誰彼かまわず「ハッピーホーリー」と言いあい
全身を色まみれにしあう。

特にバラナシはインドの中でも
もっとも過激なホーリーが行われるのだと聞いた。
身も心も準備万端。いつでもハッピーホーリーだ。

バラナシのホーリーは死人がでる。
去年はバックパッカーが2人死んだ。
先輩バックパッカーが教えてくれた。

死ぬ?ホーリーで?ぜんぜんハッピーじゃない。
先輩バックパッカーの話の真偽はわからないが、
僕は素直なので基本的に先輩の言葉は信じる。
そこまで過激だと思ってはいなかった。

ゲストハウスのスタッフたちも
ホーリーの日は外出すると危険だと言う。

急遽、ゲストハウスの屋上で実施することになった。
ホーリーは一切トラブルもなく、とても安全に行われた。

その翌朝だった。
「キィキィキィキィ」
また猿たちが起こしにやってきた。

「キッキッキッキィィィイ!!」

明らかにいつもと様子が違う。
怒りの感情がこもっている。

目があけると我々のオリを囲んでいたのは
歯をむき出しの赤青黄色紫など極彩色な猿たちだった。

起きろ。
ふざけるなよ。
なんだこれは。
どうしてくれるのだ。
どんな顔料を使っているのだ。
ガンジス川で洗っても落ちないだろ。

オリの外で訴えかけてくる極彩色な猿たちを
オリのなかからジーっと眺める。

色が違うだけでいつもの猿と変わらない。
そう気づくと飽きてきて眠くなってきた。
横になり、二度寝する。

ここでの生活も悪くない。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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宗形英作 「初雪が降ったら(2025年版)」

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 地曵豪

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、
手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、
そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。
その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。
すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。

そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に
仕舞ったはずの言葉が浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、
一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。

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出演者情報:地曵豪  https://orante-tokyo.com/profile/地曵豪


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