小松洋支 2009年6月18日



そのひとのこと
                   

ストーリー 小松洋支
出演 坂東工

ぼくがそのひとを初めて見たのは、
10月のよく晴れた日のことだった。

午後まだ早い時間だというのに、
陽の光には斜光のようなセピアがまじっていた。

ぼくはクリーニング屋とコンビニの間の細い路地を抜け、
遅い昼食をとるために、顔なじみの喫茶店に向かっているのだった。

その喫茶店のウインドウの前に、そのひとは立っていた。

何を注文するか、あらかじめ心づもりをしておくんだろうな。
そう考えて、気にもとめなかった。

ちょっと驚いたのは、
食事を終えてぼくが店の裏手から戻ってきたとき、
そのひとがまだそこに立っていたことだ。

さっきと同じ姿勢で身動きひとつせず、
もの想わしげな表情で、ピザやホットケーキやナポリタンが陳列された
ウインドウを見つめている。

やせた小柄なひとで、まっすぐな黒い髪をうしろで束ね、
化粧気のない顔は白いというより青白く、
頬骨のあたりにうすいそばかすがある。
手には少し汚れた布製のバッグを提げていて、
中からなにかのパンフレットがはみだしている。

ぼくは気がかりなものを感じて、
何度もふりかえりながらその場をあとにした。

次にぼくがそのひとを見たのは、
1週間ほどたってからのことだった。

ぼくは商店街が川と交差するあたりを歩いていた。
アーケードがそこだけ切れて、空とひくい丘が見えるのが好きだった。

ふと見ると、橋を渡ったところにある古い洋食屋の前に
誰かが立っていた。

喫茶店の前にいたひとだった。

わずかに腰をかがめ、ウインドウを一心にのぞきこんでいる。
右手の人さし指と中指を下くちびるにあてている。

近寄っていってそっと視線をたどってみると、
どうやら目玉焼きののったハンバーグを見つめているらしかった。

ぼくはなんだか胸がくるしくなった。

そのひとはぼくの気配に気づいたのか、
ちらっとこちらを見て、真剣な表情をほんの少しゆるめ、
それからまた目をウインドウに戻した。

「あの、ぼくにできることはありませんか」
そう声をかけたかったけれど、もちろんできない相談だった。

3度目にそのひとを見たとき、
そのひとは区役所のそばの建物に入っていくところだった。
白いシャツを着て、ダンボールの箱を抱えていた。

その建物には看板が出ていた。
でもぼくにはそれが読めなかった。

ずっとあとになって、公園に住んでいる長老の虎猫が
あそこでは人間たちが食品模型というものをこしらえているのだと
教えてくれた。

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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三井明子 2009年5月16日ライブ



5月の花嫁
         ストーリー 三井明子
            出演 坂東工

えっちゃんは、「えっちゃんメガネ」をかけている。
メガネといっても、目に見えないメガネだ。
えっちゃんは、
「あのサッカー選手、あの俳優と似てない?」といった
「似てる話」が好きで、よく話題にするのだけれど、
それが、いつも、ぜんぜん、似てないので
「きっと、えっちゃんメガネをかけたら、似てみえるんだね」
とみんなで笑っているのだ。
そんな私たちの反応を気にもせず、えっちゃんは、
「あの店員さん、あのモデルと似てない?」と、
理解しにくい新ネタを次々披露する。

そんなえっちゃんが、この5月に結婚する。
えっちゃんによると、お相手は
「オダギリジョーそっくり」なのだという。
披露宴で、新郎と対面するのがちょっと心配で、
でも、やっぱり楽しみにしてしまっている、
不謹慎な私である。

*音楽著作権の関係で音声をお聴かせできず、ごめんなさい。

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上田浩和 2009年5月16日ライブ


飛行機雲

ストーリー 上田浩和
出演 坂東工

飛行機の中でコカ・コーラをもらうと、ぼくは想像します。

  ぼくは飛行機の窓ガラスを叩き割る。
  窓から外へ手を伸ばし、
  缶を雲の上に傾けると、
  空にコカ・コーラがそそがれます。
  大きな水滴は、いろいろに形を変えながら、
  雲を抜け、風に流されて、
  次第にばらばらになりながら落ちていきます。
  そのうちの一滴には、
  次第に高層ビル群が見えてきました。
  そして地面にぶつかりそうになったとき、
  その一滴は、
  街を急ぎ足に歩く男のおでこのあたりに落ちるのです。

  雨か、と男は思い、おでこに右手で触れ、その場で立ち止まる。
  そして空を見上げます。
  
  男は多忙を極めていました。
  いよいよ明日は、三ヶ月も時間を費やしたプレゼンの日。
  最近は、パソコンの画面と手帳と
  妻と子供の寝顔しか見ていませんでした。

  男が見上げた空は、ぱきっと青く、
  大きな雲がひとつ浮かんでいます。
  男は、自分が久しぶりに空を見たことに気がつきました。
  男の気持ちにやわらかな風が吹きました。
  男は、少し笑うでしょう。
  唇をわずかに動かして笑うでしょう。

  ぼくが雲についだコカ・コーラで、
  誰かがこのきれいな空に気がつくなんて、
  なんて素敵なことだろうとぼくは思うのです。
  ぼくとその男は、まっしろな雲越しに目が合います。
  そして男は、ぼくが乗った飛行機が空につくった
  まっすぐな飛行機雲に、
  明日のプレゼンがうまくいきそうな気になる。

 飛行機のなかで、コカ・コーラを前にしてぼくが想像したことです。

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中村直史 2009年5月16日ライブ



   
隣人を愛そう

             
ストーリー 中村直史
出演 大川泰樹坂東工西尾まり 

  
隣人を愛そう

ニンジンを愛そう

ニンジャを愛そう

大蛇を愛そう

大ちゃんを愛そう

大ちゃんならああ言いそう

第3者機関ならこう言いそう

第3舞台ならそれやりそう

退散するのは難しそう

解散するのは予算成立後

発散するのは与謝野晶子

ハッサンはアブドルの弟

母さんはアイドルの卵

愛がどこに消えてしまおうと
まずは愛してみよう

隣人を愛そう
思いがけない世界のために

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一倉宏 2009年5月16日ライブ



ハローとグッバイの間に
             

ストーリー 一倉宏
出演  坂東工

あなたと僕がはじめて出会ったのは 僕の誕生日でしたね

ほんとうのことをいえば 僕は よく憶えていないのだけれど
あなたは くりかえし 話してくれた
その朝の 空の青さ 風の匂い 緑の眩しさまで

その日から 僕には なにもかもはじめてのことばかり

あなたとの出会いは 人生でいちばん大きな 運命だと思う
ほかの誰でもありえなかった この世界でただひとり
絶対の運命 といえる女性は ほかにいない

あなたが僕を見つめるたびに 僕はしあわせを憶えた

あのころの僕は わがままなほど あなたを独占しましたね
それを許して 厭いもせず いつも笑顔で
あなたを なにかに喩えるなら 太陽というほかにない

あなたが僕にくれたのは 生きるよろこび そのもの

僕はいつも 叫びたいほどの気持ちだった
目覚めればそこに あなたがいるしあわせ
いない夜のかなしみ そして その肌のぬくもりも

あなたなしでは生きてゆけない 僕だったから

それはなんの大袈裟でもなく あなたについて思ったこと
いつか 壊れるほどに泣いた日を 憶えています
その胸に委ねた この僕の小ささ 悲しそうなあなたの顔

あなたの教えてくれたこと 僕はいつまでも忘れない

美しい歌 心をこめたことば この世界の歩き方
ごはんのおいしさも 読書のたのしさも
そして 誰かを傷つけること 自分の弱さと過ちについて 
  
あなたに会えてよかった あなたがいてよかった

あなたとの出会いは 人生でいちばん大きな 運命に違いない
ほかの誰でもありえなかった この世界でただひとり
あなたがいなければ この僕はいなかった

おかあさん

あなたとの別れのときが とうとう来てしまいました
怖くて想像できなかった別れが ついに
想像しても 覚悟をしても 実感できない別れが

あなたとのさよならは 凍るような夜の果て

ながらく むずかしい病と闘っていたあなたは
突然のように力尽き 戻れない橋を渡っていった
搬送する救急隊の 後を追って走るあいだに
あなたの帰りたかった故郷の街が 天の川のように見えました

さようなら おかあさん 

あなたと僕がはじめて出会ったのは 僕の誕生日でしたね

ほんとうのことをいえば 僕は よく憶えていないのだけれど
あなたは くりかえし 話してくれた
その朝の 空の青さ 風の匂い 緑の眩しさ
その愛の はじまりを

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

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名雪祐平 2009年5月16日ライブ



バーならず者   

              
ストーリー 名雪祐平
出演  坂東工

バーならず者は、マンションの一室を改造した、夜の隠れ家。
中年のマスターは、ゲイで、常連からは「ママ」と呼ばれている。

でも、いちばんの特徴は、このバーが
僕の事務所のすぐ隣りにある、ということだ。

ある8月の、湿気がきつい熱帯夜。

ピン、ポーン。
オートロックになっているマンションの入口から、
誰かが、僕の事務所を呼び出した。

壁の受話器を取る。
「はい」

小さなモニター画面を見ると、女が一人、ゆらゆら映っていた。
女の喉頸から顔が、アップになる。

「ならず者? ねえ、ならず者、ですか?」
酔って甘えるような、その声を聞いて、ようやく気づいた。
女は、女優のM.Nだった。

「ママ? あけて、おねがい」
僕は、すこしためらってから、
「大丈夫。いま開けるから」
とだけ言って、ロックをはずすスイッチを、押した。

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

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