小野田隆雄 2009年8月13日



果樹園のひと
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

軽井沢の西、信濃追分駅から
十キロほど北へ入った高原地帯に、
少年の母の果樹園があった。
果樹園から、さらに北の空をみると
くつろいだ牛のように
おおらかな姿をした浅間山が、
いつも白い煙を
たなびかせている。

少年の母は、十九歳のときに
彼女のいとこでもある、銀行づとめの
青年と、東京で結婚した。
少年は、母と父のふるさとである
信濃追分が大好きだった。
それは、小学六年生の、
夏休みのことだった。
もう、来年からは中学生なのだから、
今年は、ちゃんと勉強もしなさいよ。
母にそういわれて、学習帳も
いっぱいかかえて、少年は
信濃追分の駅におりた。
バスの停留所で、
母の果樹園にゆくバスを待っていると、
ひとりの少女に、声をかけられた。
「オオタリンゴ園にいくのは、
 どのバスに、乗るのですか」
少年は、そのリンゴ園が、
彼のゆく村にあることを知っていた。
なぜなら、母の果樹園の隣だから。

少女の家は、横浜にある。
少女のおじさんが、
果樹園の経営をしている。
この夏、両親と
軽井沢まで、避暑にきている。
明日、両親もこちらにくるけれど、
ひとりになりたいので、先に電車で来た。
そういうことを、ガラガラにすいた
バスのなかで、少女が話した。
少年は少女に聞いてみた。
なぜ、彼に道を尋ねたのか、と。
地元の子に見えたから、と少女はいった。
少年は、自分が信濃の少年に
みえたのかと、妙な気持になった。
村に続く道はひどくゆれて、
少女の淡いピンクのワンピースの肩が、
ときおり、少年の半袖のシャツに触れた。

いつもの少年の夏休みは、
川遊びや山遊び中心だったけれど
その夏は、それに、
小さなデートがプラスされた。
果樹園のなかで、少女と会うのである。
彼女は中学一年生だった。
そのことを知ってから、少年には
彼女がずいぶん大人にみえた。
横浜のこと、東京のこと、
中学生のこと。ふたりは、
果樹園のなかを、歩いたり、
セミを追ったりしながら、
そのような話をした。

その日は、風の強い日で
浅間山の上を、ちぎれ雲が
飛び去っていくのが見えた。
ふと、少女は立ちどまり、
果樹園に咲いていた黄色い花を、
茎ごと折って、摘み取った。
「この草は、クサノオーという名前、
 胃ガンの痛み止めになるんだって」
果樹園のおじさんに、教わったと、
少女は、花を見ながら、つぶやく。
それから、ふいに、その花を
少年の白いシャツに押しつける。
茎や葉から、そのエキスが流れて
白いシャツに、しみが出来る。
かすかに、アルカロイドの匂い。
また、風が激しく吹いてくる。
リンゴの木は強くゆれ、
まだ青い果実たちは、葉と触れあって
ガラス細工のような音をたてる。
「ゴメンネ」、と少女がいう。
そのほおを、ひと筋の、涙が流れた。

なぜだか、わからなかった。
次の日から、少女は、いなかった。
少年の記憶も、そこで終った。
遠い昔の、夏の思い出。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年7月9日



影踏み遊び

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

「影踏み」という遊びが、
明治時代の初めまで、あったそうです。
月の明るい夜に集まって、
ジャンケンをして鬼を決め、
鬼になった子供が
ほかの子供たちを追いかける。
そして、影を踏まれたら、
新しい鬼になる。
この遊びでは、ひとりの影は、
ひとつしか出来ないことが、
大切な条件になります。
ガス燈も電気もなかった時代、
ほんとうの闇(やみ)が、まだ、生活のなかにあった頃、
夜の月の光にクッキリと見える影が
子供たちの心を、謎めいた興奮につつみ、
ドキドキさせたのかも知れません。

私が月明かりだけで、初めて
自分の影を見たのは、十九の夏でした。
場所は長野県の、白馬(はくば)の山の奥にある
小さな小学校の、夜の校庭でした。
いまから、もう、四十数年も、
昔のことです。当時、私は、
池袋にある私立大学の仏文科の一年生で、
人形劇のサークルに入っていました。
この人形劇サークルは、
夏休みになると、
全国に巡回公演に出かけます。
そしてその年は、長野県の白馬(はくば)の奥の
小学校に、泊りがけで行ったのでした。

その夜は、人形劇の公演が終った日の
最後の夜でした。
小学校の先生や村の助役(じょやく)さんたちに
村役場の会議室で、お別れの
パーティーをやっていただいて、
村はずれにある小学校まで、
夜(よ)も更ける頃に、帰ってきたのでした。
私たちのメンバーは、
女性が私も含めて五名、男性が七名。
この小学校の教室に昨日(きのう)の夜も、
ふとんをしいて眠りました。
そして、明日は東京に帰るのです。
最後の夜、私たちは草の茂る校庭に出て、
手をつないで円陣をつくりました。
サークルの会長が、あいさつをして、
それからみんなで歌いながら、
フォークダンスを踊りました。
なにも明かりのない校庭で、
十五夜に近い月の光を浴びながら。
強い風が吹いています。
小学校の後(うしろ)の山で、クヌギや
ヤマザクラの木がゴウゴウと
音をたてて、揺れています。
フォークダンスを踊りながら
私は地面にうつる自分の影を
みつめました。影は私と同じように、
脚をあげ、手を振り、踊っています。
そのときでした。
いつも道化役の人形を使う
二年のK君が
フォークダンスの輪を離れて、走りながら、
みんなの影を踏み始めました。
そして逃げました。誰かが彼を追いかけ、
その影を踏み返しました。
それから、フォークダンスの輪は乱れて
私たちは、おたがいの影を踏む遊びに
夢中になってしまいました。
私は、ひそかに、三年生のMさんを
追いかけました。建築学科の男性です。
でも、なかなか、その影を踏むまで、
追いつくことが出来ません。
それでも彼は、やっと私に気づいて、
走るスピードをゆるめてくれました。
私は、そっとMさんの影の、
胸のあたりを踏みました。
オー、痛イ。と彼が笑いました。

ええ、おっしゃるとおりです。
私は卒業するとすぐに、
Mと結婚しました。
それから、ずーっと、一緒です。
私が彼の影になったのか、
彼が私の影になったのか。
いまでも、月のある夜に、
ふたりで歩くこともあります。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年6月11日



わたしはネコです。

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

わたしはネコです。

名前は、まだありません。

銀座八丁目、並木通りの裏通りの、

一階がお寿司屋さんで、二階から上に

バーと居酒屋さんが、

十五軒入っているゲンマンビルと

一階がイタリアンレストランで、

二階から上に、クラブと小料理屋さんが、

十一軒入っているアオイビル、そのあいだの、

せまい露地に住んでいます。


わたしは、たぶん、一歳とちょっと。

黒い毛色の女の子です。

どこかで生れて、ここに捨てられたのか、

この近所の露地に生れて、

ふらふらと道に迷って、ここに来たのか、

そのへんのことは、わかりません。

いちばん初めの記憶は、

去年の五月下旬の夜遅く、

ここの露地で、ミーミー、

鳴いていたときのことでした。

「おい、どうした、コネコ」
声をかけてくれたのは、

ゲンマンビル一階の

青葉寿司のタケさんでした。

「まあ、黒ちゃん」

そう、話しかけてくれたのは、

アオイビル三階のクラブ、
スキャンダルのナオコさんでした。

「ハラがへってるのか?
 
 よしよし、魚のホネでも、
 
 持ってきてやるからな」と、タケさん。

「バカだねぇ。こんなコネコに
 
 魚のホネなんて。ちょっとお待ち。
 
 ミルクを持ってきてあげる」
と、ナオコさん。

しばらくして、タケさんが、

マスクメロンの入っていた

空(から)の木箱を、持ってきてくれました。

ナオコさんは、すこし欠けた深めのお皿に
ミルクを持ってきてくれました。


ナオコさんは、タケさんの木箱を見て

いいました。

「バカだねぇ、あんた。
 
 そんな硬い木の箱、

 黒ちゃんが痛いじゃないか。

 ちょっとお待ち」

ナオコさんは、またお店に戻り、

中味のアンコを抜き取った、

古いちいさなクッションを

持ってきました。

それから、タケさんが木箱のなかに

古いクッションをしいて、

腕をのばして、露地の奥に、

その木箱を置きました。すると今度は、

ナオコさんが手をのばし、

ミルク入りのかけたお皿を、

木箱の前に置きました。そしてわたしが、

夢中になって、ミルクを飲み始めました。

そんなわたしを見ながら

ふたりが、話しているのが聞えました。
「ナオコ、今夜は、もう、あがりかい?」

「バカだねぇ、タケは。あったりまえよ」

「六本木でも、ちょっといくか?」

「いいよ。おごってあげるよ」

「ついでに、とめてくんねぇかな」

「バカだねぇ。いいよ、タケシ」

それから、わたしはこの露地に住み、

タケさんとナオコさんに

かわいがられて、とてものんきに

暮らしています。

銀座の夜は、色んなひとがいて、

わたしのことを、色んな名前で

呼んでくれます。でも、わたしは、

タケさんとナオコさんに

コネコとか、黒ちゃんとか、

呼ばれない限り、ぜったいに

返事をしません。わたしは、

ノラネコではありません。

あのおふたりに、飼われているのです。

いつか、お礼をしたいと思っています。

ドブネズミのチュウスケをつかまえて、

青葉寿司のタケさんに

プレゼントしたいと考えています。

きっと、よろこんでくれると思います。

それでは、みなさん、お元気で。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年5月14日



   波

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
陽の照らないこの入江(いりえ)に。
波はよせ。
波はかへし。」

私は三十年前、十九歳のときに、
ヨシノリを、タエコから奪い取った。
タエコの母が亡くなって
九州の実家に帰っているとき、
ふたりが同棲している
アパートの部屋で
私はヨシノリをタエコから奪い取った。
東京に戻ってきたタエコは
涙ひとつ見せずに出ていった。
けれど、ひとこと、私にいった。
「トモコ、おまえ、バカだね」
ヨシノリは大田区役所につとめ、
売れない詩を書いていた。二十五歳だった。
タエコは大森駅前のバーで働いていた。
あの頃、三十歳くらいだった。
私は、あの頃も、いまも、
大井競馬場の、馬券売り場で働いている。

「波はよせ。
波はかへし。
下駄(げた)や藁屑(わらくず)や。
油のすぢ。
波は古びた石垣をなめ。
波はよせ。
波はかへし。」

草野心平の、「窓」という題名の詩が
原稿用紙に万年筆で書かれて、
ヨシノリのアパートの北側の壁に
貼りつけてあった。
「波はよせ。波はかへし。」
私とヨシノリは一年ほど続いたが、
そのうち彼は、鮫洲の居酒屋の女と
暮し始めて、帰ってこなくなった。
私は十日ほど、「窓」という詩と、
にらめっこをしていたが、
その詩を壁からはがし取って、
そのアパートを出た。
それから数年が過ぎた。
馬券売り場で、ひとりの男が
私を好きになった。すこし交際して
結婚した。まじめな男だった。
京浜急行の青物(あおもの)横丁(よこちょう)の駅員だった。
きちんと結婚式もあげた。
けれど、六、七年すぎた頃、
彼の職場が、横浜の黄金(こがね)町(ちょう)の駅に変り、
一月(ひとつき)もしないうちに、
チンピラのケンカを止めようとして、
ナイフに刺されて、死んでしまった。

「波はよせ。
波はかへし。
波は涯(はて)知らぬ外海(そとうみ)にもどり。
雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。
億(おく)萬(まん)の年をつかれもなく。
波はよせ。
波はかへし。」

 私は、いつもひとりだった。
羽田空港に近い、
穴(あな)守(もり)稲荷(いなり)のある町で生れ育ち、
ひとりっこだった。父と母は、
小さな町工場(まちこうば)で、朝から晩(ばん)まで
働いていた。
私が高校に入る頃に父が死に、
高校を卒業する頃に母が死んだ。
私たちの家は、小さなマンションの
十一階にあり、
南の窓から海が見えた。
沖のほうから、白い波が走ってきて
消えていく。そして、また、走ってくる。
父は工場で事故で死に、
母は高血圧で死んだ。
どちらのときも、私は海を見つめた。
聞えるはずのない、波の音を聞いていた。
波はよみがえる。ひとは死ぬ。
私は、今日まで、しあわせだった。
さびしかったけど、しあわせだった。
きっと誰かが帰ってくる。
波が、帰ってくるように。

「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。」

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年4月9日



みちくさ、ものがたり

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

十年ほど昔のことである。
四月の初めに、京都で、
お芝居の仕事が終って、
ある日の午後、
嵐山に近いあたりを散歩した。
人力車が誘いかけてくる
渡月橋の付近は避けて
静かなお屋敷町を歩いた。

すこし汗ばむほどによい天気だった。
曲がりくねって、生垣が両側に続く道を、
ぶらりぶらりとゆくと、
一軒の喫茶店に出会った。
古びた木の板の看板(かんばん)に、
かざりけのない、ひらがなで
「みちくさ」と書いてある。
その玄関先の、小さなお花畑に、
白い、目立たない花が咲いている。
「タンポポに似ているけれど、
 白いタンポポって、あったかしら?」
そう思いつつ、私は「みちくさ」の
ドアを押した。ちょっと、
コーヒーブレイクも欲しかったし。
中は、七、八人ほどかけられるカウンター。
ちょうど、お客さまは誰もいなくて。
カウンターの奥に、五十歳前後の、
抑えたウグイス色の和服を着た、
美しい女性が立っている。
女優の藤村志保さんと似ていると思った。

いらっしゃいませ、和服のママさんが
きれいな東京弁で、ほほえんで言った。
私は、コーヒーを注文するまえに
玄関先の白い花について聞いてしまった。
ママさんが、すぐに答えてくれた。
「シロバナタンポポ、というんですよ。
 昔から、日本にあったタンポポです。
 でも、この頃はアメリカうまれの
 黄色いタンポポに押されてしまって、
 だんだん少なくなっています。
 わたし、すこし、同情しているの。
 あっ、そうそう、あなた、
 なぜ、タンポポをタンポポっていうか
 ご存知?」
そういって、すぐに、あわてながら、
和服のママは言いなおした。
「あっ、そうそう、あなた、ご注文は?」
私は、ハワイのコナを注文した。
注文しながら、私は、なんだか自分が
京都の映画スタヂオの、
セットにいるような気分になってきた。
私と和服のママが、喫茶店で出会うシーンを
撮影しているのである。
そして私は、ママに聞く役である。
「なぜ、東京を捨てたの?」……

けれど、現実には、ママは、
私から離れると、カウンターの奥で
ゆっくり、ゆっくり、
コーヒーを入れ始めた。そして、
よく透る声で、話し始めた。
「鼓って、楽器があるでしょう?
あの鼓の、手で打つ丸い革張りの部分、
あの丸い形がね、
タンポポの花の形と似ているって、
昔、京都の子供たちが
思ったのですって。
鼓をタンと打つと、ポポンと鳴る。
そうや、この花、タンポポや。
それから、タンポポはタンポポに
なったのだそうですよ。
すてきな、オトギバナシでしょう?
でも、わたくしは、信じています」

ハワイのコナは、おいしかった。
なんだか、春の昼さがりに、
オトギバナシに出会ったような。……
あのときから、数年たって、
やはり、京都を訪れたとき、ふたたび、
「みちくさ」を訪ねてみた。
けれど、「たしか、このあたり」と、
思った場所は、空地(あきち)になっていて
黄色いタンポポの花が、一面に咲き、
春の光を、ぼんやりと吸っていた。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年3月13日



   約束
            

ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

          
空のどこかで、

ヒバリが鳴いている。

菜の花畑の中の一本道を、

少女が遠ざかっていく。

長い髪に赤いリボンをつけて。

ちょっと少女が立ち停る。

そして、右手を大きく振る。

それから、小鹿(こじか)のワッペンのついた

木綿のカバンを右手に持ち替えると

また、トコトコ歩き始める。

もうすぐ、少女の後姿は、

菜の花にうずもれてしまうだろう。

三浦半島の高台の、

どこまでも畑が続く田園地帯に、

その小学校はあった。

学校の敷地の南のはずれにある、

体育館の壁に寄りかかって、

少年がひとり、

ほとんど菜の花に隠れてしまった

少女の後姿を見送っている。

いまは、小学校の昼休み。

さっき、四時限が終ったとき

少女はクラスメイト全員と

サヨナラの握手をして

早退していった。

明日、横浜の桜木町の小学校へ

転校していくのである。

でも、ほんとうは、少年と少女は

一週間まえに、もう、握手していた。

一週間まえ、

夕暮れに近い小学校の校庭で、

少年と少女は

ドッジボールを使って

キャッチボールをしていた。

しばらくして、ボールを投げながら

少女がいった。

「世界でいちばん寂しい木があるんだよ」

「どこに?」と少年が聞いた。

「えーとね、ずーっと遠い国に」

と少女がいった。そして

ボールを投げるのをやめて、

少年に近づいてきて、いった。

「大きな、大きな、木なんだけど、
 
 その木のまわり、どこまで見渡しても、
 
 ほかに一本も、木はないんだって。
 
 ススキみたいな草原しかなくてね、
 
 夜になると、強い風が吹いてくるの。
 
 そうすると、その木は一生けん命、
 
 葉音をサラサラ立てるのだけれど、
 
 返ってくる音は、なにもなくて、
 
 お星さまばかり、空の遠くで、
 
 じっと、その木を見つめているの」

少女は、そういうと、少年を見ながら

すっと右手を差し出した。

「あのね、わたし、転校するの。
 
 まだ、誰にも内緒だよ。

 転校したら、お手紙ちょうだい。

 まさるくん、
 約束よ、握手して」

ひんやりと小さい、その右手は

かわいい爪がそろっていた。

まさるは、のびたままの自分の爪が

とても恥ずかしいと思った。

握手した手を、上下に振りながら、

少女は、くり返していった。

「約束だよ、お手紙ちょうだい」

図画の時間にスライドで見た

ルノアールの少女みたいな、

ゆりみちゃんの大きな目が

まさるをじっと見つめていた。

春の夕暮れの風が、吹いてきた。


あれから、三十数年が過ぎた。

まさるとゆりみは、

結局、会うこともなかった。

それでも、まさるは、

いまも、ときおり、夢をみる。

いっぱいの菜の花の中で、

まさるとゆりみが握手している。

約束だよ、とゆりみがいう。

けれど、突然、すべてが消える。

そして、闇の中に大きな木がひともと、

誰かを呼ぶように、

風に葉ずれの音を、たてるのだった。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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