Tomorrow is tomorrow

Tomorrow is tomorrow

久世星佳

あなたの中には
一本の木が生えてるのを知ってる?

日々の出来事に思いを巡らせ
思わずため息をついた時。
ぼんやりと ただ地面を見つめてる時。
自分に向かって話されてるはずの言葉が
嘘のように右から左に抜けていく時。
ああ、なんて自分はダメなんだ・・
と思った時。

けれどいつか
明日こそは・・
と思えた時。

あなたの中に生えてる木が
嬉しそうに枝葉を伸ばし出す。

明日なろう
明日なろう

明日こそは・・。
.
出演者情報:久世星佳

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ただ踏みしめた

☆ただ踏みしめた

   文・声:久世星佳

天気の良い日。

ひたすら歩きたくなって
スニーカーを履いて街に繰り出した。

こういう日は
大きく両腕も振って歩きたい。
だから、お供は控えめな斜めがけバッグ。
うん。いいね。

両手が塞がってないというだけで
こんなに自由な気がするんだ。

時折吹く風を受け止めたり、軽く押されたりしながら
普段通らない道を進む。

へー、こんなところに公園があったんだ。

ちょっとした緑道を抜け、
日の光をいっぱいに受けた広場に出た。
いいねー。ブランコもある、乗っちゃおうかな・・
そう思い一歩を踏み出した。

あ・・。

踏み出した先に広がるのは
舗装された地面ではなく、むき身の地面。
ああ、今 大地の上に立っている。

やけに嬉しくなり、
ニンマリしながら佇んだ。
.
出演者情報:久世星佳

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波間千良子 2024年2月25日「桃」

   ストーリー 波間知良子
      出演 久世星佳

遠くの左から流れてきたわたしは
そのまま右へと流れて行きました
あのひとの手が滑ったのかもしれないし
わたしがするんとかわしたのかもしれない
ほら、ふいに手を繋がれたって事実を
ただ手が触れただけって上書きするみたいに
大事なのは流れを止めないこと
止まらない限り何も決まってしまわないから
ちびちびした産毛の感触だけ残して
わたしもうちょっと先に行きたい

上手に流れるコツは体の力を抜くことです
学校ではそう教わりました
いっしょうけんめい練習しました              
あらかじめ決められた物語に乗るために
でもわたし本当は泳ぎ方を教わりたかった
指先まで力をいれてバタバタと水しぶきをあげて
行きたい方へと勇敢に進む方法を
みんないったいいつ誰に教わったんだろう

となりをあれが追い越していきました
あれっていうのはそうそう、iPhone
iPhoneって泳げるんですよ
『「設定」をひらいて、「泳ぐ」をオンにしてください』
そういえばむかしおばあちゃんが言ってた
この先のずっと先のどこかに彼らの大群がいて
水族館のイワシショーみたいにギラギラとうねってるって
さっきのあの子はフィフティーンだから
ずいぶん早くにここへ来たのね
もしかしてもしかすると
自分で飛び込んだのかもしれないね

波がどんどん高くなってきました
真っ暗で何も見えないけれど
これまでよりもずっとずっと広い場所に来たことはわかります
お尻の傷に海の水がしみて
いま生きていることがわかります
どんぶらこ、どんぶらこ、
わたしはわたしの鬼を退治に
大事なのは流れを止めないこと
まだ何も決まってはいないから



出演者情報:久世星佳  https://seika-kuze.com/

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久世星佳「憂いなる左手」

憂いなる左手

     作・出演:久世星佳

友人たちとの食事中
私はお箸の扱いが下手だという話になった。
「そうそう、この間書き物をしてる時にも
 不思議なペンの持ち方するなーって思って見てたんだよね。」
友人の一人に言われる。

そうなのだ。
祖母や母から
「お箸の持ち方が下手だと恥ずかしい思いをする」
と幼い頃から結構厳しく言われてきた。

が、なんとも右手が不器用で
どんなに頑張っても俗に綺麗と言われる扱いができない。
平たいお皿に乗った春雨の最後の数本や
ぺたんと張り付いた薄切りの野菜など
手で摘んだ方が早いんじゃないか
と思う程 もたつく。
きちんとした和食屋さんのカウンターに座る時など
予めお店の人に
「私、お箸の持ち方が下手なんです。ごめんなさい。」
と白旗を振っておく。
ペンや鉛筆も然り
ものすごい垂直持ちで文字を連ねる。
どうかすると垂直の向こう側にペンが倒れる勢いだ。

そんなことを思いながら
「そうなんだよねー、昔左手で試しに書いたりお箸使ったりしたんだけど
 そっちの方がなんだか上手だったんだよね。
 本当は左利きだったのかも。靴履くのも左、荷物持つのも左だし・・」
それを聞いたもう一人が
「それってもしや、天才型ってこと?
 最近言われてるよ、左利きに天才が多いって。」
そうなのか、天才なのか私は・・。
なんとも心くすぐられる天才という響き。
いや、ちょっと待て。

以前、母に
「ごめんね、私、やっぱりお箸ちゃんと持てずに大きくなっちゃった」
と詫びたら
「あら、私も本当はちゃんと持ててないわよ。実はパパも持ててないの。
 上手い事、誤魔化してるのよー」
きちんとお箸を操っているように見えた姉まで
「私もちゃんと持ててないよ」
たった四人家族でこれなのだ。
この勢いで行くと
世の中天才で溢れ返ってしまう。

そんなことを思いながら
右手に比べ
おとなしそうにしている
左手を
マジマジと見つめるのであった。
.
出演者情報:久世星佳

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久世星佳「ようなしのおはなし」



ようなしのおはなし

   作・出演:久世星佳

深夜2時を過ぎた頃
机の上にあった黄色い物体をぼーっと見つめる。
上が細く下はぼってりとして
まるで起き上がりこぼしのようなシルエットだ。

「洋梨か・・」
と呟く。

洋梨・・
なんだかちょっと気の毒な呼び名だな、
と思う。

すると

「失礼ね。私はル・レクチェって呼ばれてるのよ。
 もしも名前がわからないんだったら
 洋梨じゃなく、西洋梨って呼んでくださる?」

「西洋梨?」

「そうよ。ラ・フランスっていう名前、聞いたことない?
 私たち西洋梨のドンのような存在なんだけど、名前のとおり
 原産国はフランスなの。他にもイギリスやベルギー生まれもいるのよ。
 あとは親戚筋にアメリカ生まれや、そうそう日本生まれだっているの。
 ちなみにル・レクチェも元はフランス生まれ。
 まぁ私は海を渡ってきた先祖の末裔だから、日本育ちだけどね。」

「へーっ。」

「ねえ、私たちを口に運ぶとどんな感じ?」
「いや、なんだか可憐な香りが口の中に広がって幸せな気分になります。」

「可憐だなんて嬉しいな。ねえ、知ってる? 私たち、バラ科なのよ。」

「バラ?」

「そう、百万本のバラのバラ。」

「あー、お花のバラですか。」

「そうなの。」

「へー。」

「へーって、それしか言えないの?」

「いやいや、なんか梨の木ってバラに比べるとだいぶ大きいような気がして。
 ちょっとピンと来ないっていうか」

「まあね、確かにバラは低木だもんね。
 でもね、私たちってお花の形が似ているの。
 わかりやすいところでは花びらとガクが5枚ずつ。
 そこからいくと、梅や桃、リンゴにさくらんぼ、イチゴもバラ科なのよ。」

「へーっ。」

「また、へーって。」

「いやいや、バラと果物がそんなに近い存在とは思わなかったもんで。」

「そうなの?」

「いや、ほら、バラってお花の中の女王様っぽいっていうか、
 香り高く咲き誇ってる イメージで・・」

「・・・・。」

「すみません・・なんか気を悪くされましたか?」

「別に。」

それだけ言うと黙ってしまった。

黙りこくったままの黄色い物体。
さっきまでのお喋りが嘘のようだ。
そんな姿を見つめたまま

「高貴なバラにはトゲもあって、下手すると血を見るけど
あなたは物腰がどことなく柔らかで
見ているとほっこりしますよ。」

そう言うと
黄色い物体がコロンと転がった。

「もう寝たら?」

「・・・確かに。」

時刻は午前4時を回ろうとしていた。
二度と起き上がろうとはしない起き上がりこぼし。
数時間後に目覚めたら
私はあなたの鎧を剥いて
現れた白い果実を頬張り
口の中いっぱいに広がる可憐な香りに癒されながら
始まる1日の幸せに感謝をするよ

きっと、ね。


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小野田隆雄 2024年1月14日「思い出コスモス」

思い出コスモス

   ストーリー 小野田隆雄
      出演 久世星佳

 八枚の花びらを持つコスモスの
 いつでも「きらい」で終わる占い

俵万智の「風の手のひら」に出てくる歌である。
コスモスのふるさとはメキシコ。
18世紀後半に、この国を植民地にしていたスペイン人が、
高原地帯で風にゆれながら咲いているコスモスを見つけ、
花の種をマドリードの植物園に送った。
その種は植物園で芽を出し、花を咲かせ、
やがてヨーロッパに広まった。

コスモスという名前は、植物園の園長がつけた。
この言葉はギリシア語で、秩序よく構成された世界や宇宙、
という意味である。
この花を見て植物園の園長さんは、
きれいに丸く並んでいる八枚の花びらから、
美しく秩序のある宇宙を思い浮かべたのだろうか。
コスモスをメキシコ人が何と呼んでいたのか、
そのことは不明である。

コスモスが日本にやってきたのは、明治12年頃だったという。
その頃、上野の美術学校にイタリア人の先生がいて、彫刻を教えていた。
彼はおたまさんという、美しい日本の女性と結婚していたのだが、
彼女は油絵の画家でもあった。
彼女が日本で初めて、コスモスの絵を描いていたのである。

そのコスモスは彫刻家のイタリア人が、ひそかに祖国から種を持ち込み、
日本で咲かせたのではないか、と考えられている。

やがてコスモスの花が日本に広まってくると、
人々に親しまれ、秋桜と呼ばれるようになった。
明治42年のこと、文部省はコスモスの種を全国の小学校に、
花の育てかたも添えて送り届けている。
この花が持っている、かざらない雰囲気が、
少年や少女たちにふさわしいと、文部省は考えたのだろうか。

今でもコスモスが、この国のほとんどの場所で見られるのは
このことと無関係ではないかもしれない。

まるで昔からそうだったみたいに、この花は町のどこかに咲いている。
特別に大切にもされず、かといって忘れられることもなく、
人の生活の風景を色取る花として、存在していたように思う。

コスモスが花屋さんの店先を飾るようになったのは、
いつ頃だったろうか。
そのコスモスには「早咲き」とか「大輪咲き」とか書かれた
ステッカーが付いていたように記憶する。

あの頃からコスモスの栽培品種が、登場したのかもしれない。
隣のお姉さんみたいに親しみやすかった花が、スポットライトをあびて
スターの花に変身し始めた。
すると全国各地に、「コスモス高原」や「コスモス街道」が誕生し、
観光スポットにもなった。

このような場所に咲くコスモスたちの、白や淡いピンク
そして濃い紅色の花々は、
野の花だった昔からの花よりも、ずっとあざやかな色になっている。
花も大きくなり、花びらもふっくらとしている。
そして早く咲かせるためか、背丈もそれほど高くはならない。
130センチ前後だろうか。

軽やかなワルツが流れるような、高原のレストハウスで、
あざやかなコスモスの花盛りを見つめていたとき、思い出したこと。

野に咲いていた頃のコスモスは、
150センチから200センチ近くまで伸び、
小さな樹木のように枝を伸ばした。
花はそれほど大きくなく、花びらは細長く丸く、
その先端にはV字型の切り込みが、あったような記憶がある。

スリムな花びらなので、花をかざして空を見ると、
花びらの透き間から、細く秋の青空が見えるのだった。

この花を一輪、茎の部分から切り取るのである。
そして花占いのように、一枚置きに花びらを取ってしまうと、
コスモスは花びらの風車みたいになる。
それを空へ、そっと投げあげる。
すると花びらの風車は、くるくると回転しながら少し飛んで、
ふんわりと落ちてくるのだった。

私たちの少年時代、
ふるさとの小さな町で、少女たちは秋になると、この遊びに夢中になった。
少年たちも、ときおり参加した。
赤とんぼが、気まぐれに花びらの風車を追いかける。
素朴な遊びだった。

この遊びを40代を過ぎた頃に、
改良品種のコスモスで、やってみたことがあった。
9月中旬の札幌の郊外だった。
あざやかな色の大きな花びらの風車を、高く投げた。
けれど、くるくる回転することもなく、まっすぐ地面に落ちた。
花びらが大きくて、重すぎたのだろう。
一輪の花だけで、止めた。
少し肌寒い北の風が吹いていた。


出演者情報:久世星佳 http://www.kuze-seika.com/

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