ストーリー

安藤隆 2017年9月17日

ando1709

9月の芋虫

  ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

中原中吉( なかきち) はかなりの老人であ
るが機嫌はすこぶる良い。なぜなら仕事に行
かなくなったかわりに毎日よく歩いているか
ら、と人には説明している。きょうもキチ外
( キチソト) 公園のまわりを老人の足取りで
ヨボヨボ歩いていた。
 大きなスズカケノキの枝葉が歩道に低く垂
れている下を歩いていると足元を鮮やかな草
色の、薄皮がはちきれんばかりの芋虫が、歩
道を横断すべく勇んで這っていた。中吉は地
面に近い小男だからよく観察できるのだが、
それは顔の模様のある芋虫で大きさは1 5 セ
ンチほどもある。そうしてツノをたてて中吉
を威嚇する。
 九月のこんな時期まで芋虫でいつづけた結
果、芋虫としての美学が高まりすぎてチョウ
チョに変身できなくなるものが毎年でると聞
く。緑便の大きさでもある芋虫にわずかでも
触れないように中吉はおおきく迂回して避け
た。柔らかいものを踏んだときの「あっ」と
いう感触や、靴底に汁が付着するような恐ろ
しい関わりを恐れた。
 しかしおおいにのろい芋虫が、この散歩者
と自転車の多い歩道を横断しきるのは不可能
と思えた。かれが無事渡り終えるかを観察し
とおす勇気はとてもない。いっそこの場で水
袋の可憐な身体を一気呵成に踏みつぶしたい
誘惑に駆られるのは、希望を持つ苦痛から逃
れるためか。
 それならばわが両手でみずみずしい芋虫を
掬いあげ、かれの目指す道路脇の植え込みの
根方にそっと置く方法を選ぶべきと想像する
が、老いて堕落した中吉の手指は芋虫の湿っ
た皮膚の感触を1 ミリたりとも受け容れず
気味悪がるのだ。それに植え込みの根方に置
いたとて、いつなんどきまた歩道を引き返さ
ぬとも、また車道にさえ乗り出さぬとも限ら
ぬ。であれば完全な解決はいっさいの想像を
閉じること、つまりやっぱり殺すしかないで
はないか。
 中原中吉はとりあえず逃げるが勝ちとばか
り老人得意のヨイヨイ走り( ばしり) で犯罪
現場に居合わす災難から逃げた。ヨイヨイ走
りしながらヒマラヤ杉の角をめがけて走った。
そこを曲がれば振り返っても現場はみえない。
みえなければ無いことになる‥ 。
 するとふいに後ろから黒人ランナーがきて
追い抜いていった。中吉はとっさに靴底を盗
みみようとしたがたちまち視界を塞がれた。
というのはつぎなるランナーたちが続々やっ
てきたから。日本人たちがきた。老人たちが
きた。いちいちの靴底をみとどけることはで
きない数、きた。車椅子もきた。がんばって、
がんばってー。それは公園一周市民マラソン
であった。
 これでは芋虫の命はひとたまりもないだろ
う。中吉も集団に巻き込まれて動く歩道のよ
うに滑走したのだ。それなのにいつもみんな
みんなどこへ掻き消えるのか。気がつけば人
生のように一人ぼっちでヒマラヤ杉のふもと
にいる。
 安心は安心だった。ヒマラヤ杉からすっか
り顔をだして元の歩道を指で遠眼鏡して覗か
ぬかぎりスズカケノキもみえない。安心した
ら中吉は思った、ああ、やっぱりおいらが踏
み殺すべきだったんだ。もどって芋虫のあわ
れな残り滓を見てあげるべきなんだ。こうな
ったらもう触ってもいいや!
 中原中吉は高ぶった。それでなにをしたか
というとヒマラヤ杉に抱きついた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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公庄仁 2017年9月10日

1709kujyo

「9月の転校生」

      ストーリー 公庄仁(くじょう ひとし)
         出演 地曳豪

2学期の始まりと同時に、東京からの転校生がやってきた。
都会からきた女子というだけで、中学2年の男子たちは皆そわそわした。  
「白石すみれです。よろしくお願いします」
それは、久(ひさし)が生で耳にする初めての標準語であった。
テレビの中の芸能人と同じ話し方だった。
だいたい「白石すみれ」という名前自体、
この村にはいない洗練された名前であると思った。
しかし、何より久が驚いたのはすみれの顔である。
すみれの顔は、猫であった。猫のような、ではない。
猫そのものであった。顔中フワフワした白い毛で覆われており、
ヒゲのピンと伸びた口元は、可愛らしいふぐふぐであった。

ω

すみれは、久の隣の席に座った。
久は、すみれから目を離すことができなかった。
担任の先生が、「こら久、ジロジロ見んでねえ。
東京の女子がそんなに珍しいのがぁ?」
と冗談を言い、クラス中がどっと笑った。
すみれが猫であることに関しては、誰も関心を持っていないようだった。
まだこの学校の教科書を持っていないとのことで、
久は机をぴたりとつけ、教科書を見せてやった。
すみれは「落書きばっかりだね」と笑った。
猫が笑うのを久は初めてみた。

ω

その日以来、久はすみれのことが頭から離れなくなった。
勉強は元からできなかったが、サッカー部の練習さえ、
ろくに集中できなくなった。
家にあった分厚い百科事典をいくら眺めても、
二足歩行で学校に通う猫のことは書いていなかった。
友達にすみれのことをいくら話してみても、
芳しい答えは返ってこないどころか、
「おめ、白石のこと好きなんでねのが?」などと濡れ衣を
着せられるところであったため、話題は封印した。
久は独自に調査を開始した。
家から持参した鰹節を給食に大量に散らしては、すみれの様子を伺ったり、
通学途中のあぜ道で引っこ抜いた猫じゃらしを、
授業中、机の上でパタパタさせてみたりした。
しかし先生に叱られるばかりで、すみれは一向に反応せず、
「何バカなことやってんの」と東京弁で言い、また笑った。

ω

すみれは、顔ばかりか腕も足も猫であった。
肉球が邪魔をして持ちづらいのか、
いつも机の下に鉛筆やら消しゴムやらを落とした。
ふと、セーラー服の下はどうなっているんだろう、と久は思った。
ある日、3時間目の国語の授業中に、すみれがまた鉛筆を床に落とし、
拾おうと体を屈めたとき、胸元を見るチャンスがあった。
けれど久はなんだかいけないことであるような気がして、
咄嗟に目をそらしてしまった。
すみれは「見たでしょ」といたずらっぽく笑ったが、
久は慌ててぶんぶんと首を横に振った。

ω

久が半袖シャツから詰襟の学生服に袖を通す頃には、
もはやすみれが猫であることはどうでもよくなった。
その代わり、すみれは休日には何をしているんだろうとか、
どんなマンガが好きなんだろうとか、
そんなことばかりが気になるようになった。
両親が離婚して母の故郷であるこの村へやってきた、
というもっともらしい噂があったが、
真偽を聞くことはもちろんできなかった。
百科事典で「猫」を調べるかわりに、
いつしか「恋」という項目を調べるようになった。
外ではいつのまにか金木犀の香りがした。

ω

「白石すみれです。よろしくおねがいします」
まだ蝉の鳴く9月。転校初日のすみれは思った。
「なんでこの学校の生徒は、誰も疑問に思わないんだろう。
どう見てもこの男子は……犬だ」
すみれを見つめる久の、ふさふさの尻尾がブンブンと振れていた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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波間知良子 2017年9月3日

1709namima

8月32日

    ストーリー 波間知良子(ちよこ)
       出演 石橋けい

9月が消えた。突然だった。
もしかしたらもっとずっと前にいなくなっていたのかもしれないけれど
8月が終わるまで誰も気づかなかった。

実を言うと僕はときどき9月の悩みを聞いてやっていた。
8月の次という順番のせいでいかにみじめな思いをしているか
というのがそのおもな主張だった。

9月はいつも、美人でスタイルもいい同級生の隣に
引き立て役として並ばされているような居心地の悪さを感じていたようだ。

8月はあまりにも特別だ。
海。プール。花火。スイカ割り。入道雲。セミの声。
甲子園。キャンプ。盆踊り。アイスクリームにかき氷。
長い夏休みのなくなって久しい大人も
8月と聞けばときめきや解放感を感じるし、
そうでなくてもまぶしい夏の思い出のひとつくらいは
誰もが持っているだろう。

それに他の季節とは違って、夏は終わりの日が決まっている。
どんなに暑さが続いても、台風がいくつ来ても、
夏は8月31日で終わり。9月1日からは秋だ。
暦の上での立秋とは違うもっと感覚的なものとして
それは日本人の中に刷り込まれている。

冷酷に振り下ろされる夏の終わりは
むしろ人々の心をうっとりとさせる効果を持つ。
現実の日々に急に放り出された人々は
8月への郷愁を抱きながら9月をやり過ごそうとする。
9月1日を、8月32日などと呼んで。

9月はいつも、自分とデートしているのにもかかわらず
美人でスタイルのいい同級生の話ばかり聞かされているような気持ちがしていた。

近頃の異常な夏の暑さで8月の人気が下がると期待したが、
当然9月も暑くなった。
「もう9月なのに夏みたいに暑い、勘弁してくれ」などと言われ、
いよいよ自分が何者なのかわからなくなった。
人々は夏が続いていて欲しいのか。秋を求めているのか。
自分はいったい夏なのか。秋なのか。どこを目指せばいいのか。
アイデンティティの喪失。

9月はいちどゆっくりと自分を探しに行きたいと言った。
僕は9月には9月のいいところがあるじゃないか、
もっと自分に自信を持って、と励ましたが、9月の決意は固かった。

8月と9月の間について、
つまりは夏と秋の間について考えるとき、
いつも思い浮かべるものがあるの、と9月は言った。
地球が球体であると証明される前に
この世界の想像図として描かれていた円盤状の地球。
円盤の淵からは海水がこぼれ落ちている。
こぼれ落ちた先は描かれない。
もうそこは地球ではないから。
8月31日の淵からは夏がこぼれ落ちてくる。
でももうそこは夏ではないのよ。

そうして9月はどこかへ行ってしまった。
政府は応急処置として8月を1カ月延長することに決めた。
8月32日が、本当にやってきた。

石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

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中山佐知子 2017年8月27日

nakayama1708

天の川

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

むかし天武天皇が壬申の乱の戦に勝利したことを感謝し、
吉野の奥の山の麓に社を建てた。
社には伊勢の荒祭宮の瀬織津姫を祀り
その社の名を天安河(あまのやすのかわ)の宮と申し上げた。
すると付近を流れる熊野川の源流は天ノ川(てんのかわ)と呼ばれ、
ここに地上の天の川が出現したのである。

天ノ川(てんのかわ)は深い谷を穿って蛇行し、
地表に湧く泉の水、崖から落ちる滝の水を集めて流れた。
人が住まない秘境であり、聖地であるゆえに
水は一度も人の手が触れたことがなく
これ以上ない清浄な水だった。
天安河の宮の瀬織津姫は水の神であり、
穢れを祓い浄める神だったのである。

吉野から熊野に至る大峰山脈の稜線を
龍の背中を渡るようにして歩く修行者たちは
この土地に来ては
夏冬変わらぬ水温10°Cの湧き水で身を浄めた。

やがて修行者のための宿ができ、村になった。
空海が籠り、道長が参詣し、西行は歌を詠み、
南朝の帝が隠れ住んだ。
たどり着くだけでも容易ではない山奥のそのまた奥の天ノ川は、
不思議とそのときどきの権力宗教と結びつく。

なぜだろうと考えたことがある。
天武天皇は再起をはかってこの地へ来た。
道長は政権争いの渦中にあった。
西行は世を捨てて生まれ変わった。
もしかして、この水はリセットの水なのか。

夜空を横切る天の川を盥の水に映して眺めれば
盥の大きさの宇宙ができる。
地上の天の川、天ノ川(てんのかわ)は盥に映した宇宙、
縮小された宇宙。
だから人はその川の水で禊ぎをおこないリセットをしたのか。

それを思うとき、1000年の昔の科学の暗がりの
美しさと心地よさに触れた気がする。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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玉山貴康 2017年8月20日

tamayama1708

「天の川に平和を願って」

       ストーリー 玉山貴康
          出演 遠藤守哉

 ケチャへロイ、
キビビンナレキョンタロ、
イイタンカチョコチョンサエ、
ホクソモクスミダ、

ボージャナチレンゼリー、
トーナプンチョン、
ピンナルンリョクチャタレカ、
マチワレピーサガビカゴワ、
ヨリチョチンサーイル、
ニッポンダイスキ、
ケントリーシイテチュゲソー、
ニソーシキスミダ、
 
チョソンゲンイオンソンバランチョンセー、
チョサンガンイーサランドンケンデン、
チェグンスンダラミダ、
ハットキーミンテーキンシミダー、
ソワジデケビンソッコイナー、
スシダイスキー、
トーハルハヨ、
チョンセゲーチッコリヌルン
ハンセンジゲーイルンスミダ、

チナンパグルサイリ、
オンジョンセジョーキナンサグルパジョー、
ラーメンダイスキ、
イルンカッダルキ、
チョットーバルンハンギリミダ
イービルグリンイワンチョッカダワヨー、
マンガダイスキー、
マウンチリンサングリョー、
ケーコクチンジアゴ、
アニメ、ゲームダイスキ、
チャンダミヤンモンキムサンダルン、
カラオケダイスキー、
トゥチエーホカングルドッビルミン
ハナミダイスキ、
イービンキミー、
(OLしていきながら)
オンセンダイスキ、
ニホンシュダイスキー
フジサンダイスキー、
テンプラダイスキー

Na 人類に必要なのは、
   ミサイルよりも、スマイルだ。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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ポンヌフ関 2017年8月13日

amanogawa

天の川  

     ストーリー ポンヌフ関
        出演 原金太郎

頬杖をついてソファーに座っていると、女は
「天の川って七夕の夜だけに見えるの?」と聞いてきた。
「流星群ではないから空気が澄んでいれば年中見える」と教えてやると
「織姫と彦星って、年に一度しか会えなかったら、その夜は凄そう」
などと云う。
「その年が雨だったらキャリーオーバーね、
 我慢できなくて浮気とかしちゃうよね」
と続けてきた。

私は、その手の話は嫌いだが
ぺちゃくちゃとしゃべりながら、ちょっと首をかしげて人を見る癖は、
昔飼っていた文鳥を思い出し愛らしい。

「おまえは文鳥のようにかわいいところがあるのう」と云うと

「アタシ、文鳥より猫が好き」と云う。

「猫なら私も飼っておる。しゃべるんじゃ」

「わかった!おかえり、とかいうんでしょ」「ンニャエリ」「オニャエリ」
と声色(こわいろ)を使って繰り返す。

「いや、吾輩は猫である、なんて云うんじゃ」
「やだ、夏目漱石でしょ、それくらいアタシだって知ってる」
「おや、なぜ私の名前を知っておる?」
「もー、あ、おじさん夏目漱石を意識してるんだぁ、その髭似合ってるよ」
と、私の髭に触ってきた。

「おっと、いかんいかん、こんなことをしてる場合ではない」
「私は今日大量の血を吐いて死ぬかもしれんところなんじゃ」
「えー、なんで来たの?帰った方がいいよ」と急に私を出口へといざなう。

「お金?もう財布から抜いてあるから大丈夫」

「さようなら、先生」

「さようなら、もう会うことも無かろうが楽しかった」と告げると

女は目尻と口元に笑みをたたえて
「また会えるよ」と云う
「また来年織姫と彦星みたいに会えばいいじゃない、・・・待ってるよ」と
殊勝なことを云う。

思いがけず私の頬に涙が一筋流れるのを認めた。
会ったばかりのろくでもない女にこんな感情が湧くとは。

「じゃあ、また来年」と云って指切りをした。

「ところでここは何処なんじゃ?」
「バカねえ、キャバクラに決まってるじゃない」
「おー、鎌倉か!修善寺までは遠いのう」

女と別れて歩き出すと満天の星空に気づく。

別るるは 夢一筋の 天の川

こんな句が口をついて出た。

と同時に、目が覚めた。
私は死の淵から生き返ったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

別るるは 夢一筋の 天の川
夏目漱石四十三の年、修善寺の大患で生死の境をさまよった時に
詠まれた句と云われている。

出演者情報:原金太郎 03-3460-5858 ダックスープ所属
動画の絵:ポンヌフ関

 

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