一倉宏 2023年3月5日「僕のポケットの中の彼女」

僕のポケットの中の彼女(ポエム)

    ストーリー  一倉宏
       出演 大川泰樹

ときどき僕らは部屋を出て
冒険のような旅のような散歩をした
僕の上着の胸ポケットに彼女を入れて

彼女が好きだったのは 
利根川の支流がつくった扇状地の町の
坂道を自転車で駆け降りること
できるだけブレーキを使わず

利根川のただ広いだけの河原で
背中を痛く突く石のベッドに寝転がって 
入道雲の湧きたつ空を見あげること
遥かな北の空のオーロラの話をしながら

その坂をまた駆け登って
八幡さまの上の市民公園の駐車場から 
南に広がる関東平野を見下ろすこと
アリンコのような上り列車を見つめながら

「未来」とは「希望」と
同義語のようなふりをしつつ
僕にとってのそれを思いめぐらせば
「希望」とは「不安」の
体裁のいい言い換えにも思えた

そんなあの頃の
夜のベッドの中で

僕はたずねた
「おとなになったら何になるのだろう」
彼女は笑いながら答えた 
「びんぼうにん」

その答えにどれだけ救われただろうか
僕もまた笑いながら
鼻水で枕を濡らしていた頃

そうして僕らが過ごしたのは
いったいどのくらいの時間だったろうか
彼女が突然やってきた日のことも
突然去っていった日のことも
なぜか思い出すことができない
日付というかたちでは

その日付はわからない
ある日の夕暮れのことだった
僕のポケットの中の彼女は
胸ポケットを抜け出して左肩に立ち
耳もとでこうささやいた

「そろそろいくわ」 
そして消えた
「未来に幸多かれ」と
言い残して

あれから何十年も経って
いまはもう
嘘っぱちの作り話としか思えない
こんなでっちあげの思い出話は
できそこないのポエムのことは
もうとっくに忘れていた

けれどあれからずいぶんと年の経った
いまになって

僕は見たのだ 

杉並の善福寺川沿いの
遊歩道を歩きながら
すれちがう十代の少年が
左胸のポケットを
とっさに覆い隠した

そこに
あの日の僕らの姿を 



出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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