ホーリー
「キッキッキッキ、キィキィキィ」
枕元で猿が鉄格子を揺らしながら鳴いている。
インドのバラナシ。
ガンジス川まで徒歩5分のゲストハウス。
その屋上に乾季限定でトタン屋根に鉄格子で囲われて
ベットがびっしり置かれているドミトリーの相部屋がつくられる。
トタン屋根に鉄格子。
吹き抜ける風。騒音。スパイスのにおい。
部屋というより出入りが自由にできる牢屋。
動物園の動物たちの気持ちを体験できるオリ。
と言ったほうがいいかもしれない。
一泊100円。ほぼ外。
一番手前に置かれたベッドが僕のスペースで、
そこに服や本など荷物を置いておく。
セキュリティという概念はない。
自己責任と信頼関係のうえに成り立っている。
盗まれたら困るパスポートやお金は、
ウエストポーチの中に入れて寝るときも、
シャワーを浴びるときも肌身離さず持っておく。
20くらいあるベッドは
人種や性別様々なバックパッカーたちで埋まっている。
朝になると猿に起こされる。
鉄格子を激しく揺らす。
お母さん人間が寝ているよ。
そうだね、馬鹿みたいな顔して寝ているね。
起こしてやろう。
ほら、寝るな寝るな。
起きろ起きろ。
なんかやってみろ。
毎朝、
猿はオリのなかで寝ている人間たちにちょっかいをだす。
バラナシの猿は狂犬病をもっている。
噛まれないように気をつけろ。
先輩バックパッカーが教えてくれた。
誰かが入り口を開けっぱなしだったときなど、
そこから猿が僕たちのオリの中に入ってきたので、
全員で猿を威嚇して追い出したりもした。
猿に怯えて暮らす日が来るとは思わなかった。
そして、脅威は猿だけではなかった。
オリのなかでの生活の初日。
なにも知らずに寝て起きたら、
全身を蚊に70箇所以上刺されていた。
ほぼ外で寝ているのと一緒なのを忘れていた。
蚊帳が必要なことを知らなかった。
バラナシの蚊はマラリアに感染する。
刺されないように気をつけろ。
先輩バックパッカーが教えてくれた。
刺される前に知りたかった。
マラリアに感染したかもと怯えながら、
インドの強烈な薬を飲んだり塗ったりして対処した。
そんなオリでの生活も1週間がすぎた。
暑さによる寝苦しさや睡眠不足は否めないが、
夜になると耳元を飛ぶ蚊にも、
朝になると騒ぐ猿にも少しずつ慣れていった。
別に慣れる必要などない。
もっと快適な環境に移動しなさい。
そう思うだろう。
貧乏バックパッカーだということもあるが、
今回のバラナシにはある目的があってやってきた。
インドのホーリーという祭りに参加するためにやってきたのだ。
ホーリーとは春の訪れを祝う祭りで、
インドやネパールの各地の町中で極彩色の色粉や色水をかけ合う。
その日だけはカーストや男女貴賤など関係なく、
誰彼かまわず「ハッピーホーリー」と言いあい
全身を色まみれにしあう。
特にバラナシはインドの中でも
もっとも過激なホーリーが行われるのだと聞いた。
身も心も準備万端。いつでもハッピーホーリーだ。
バラナシのホーリーは死人がでる。
去年はバックパッカーが2人死んだ。
先輩バックパッカーが教えてくれた。
死ぬ?ホーリーで?ぜんぜんハッピーじゃない。
先輩バックパッカーの話の真偽はわからないが、
僕は素直なので基本的に先輩の言葉は信じる。
そこまで過激だと思ってはいなかった。
ゲストハウスのスタッフたちも
ホーリーの日は外出すると危険だと言う。
急遽、ゲストハウスの屋上で実施することになった。
ホーリーは一切トラブルもなく、とても安全に行われた。
その翌朝だった。
「キィキィキィキィ」
また猿たちが起こしにやってきた。
「キッキッキッキィィィイ!!」
明らかにいつもと様子が違う。
怒りの感情がこもっている。
目があけると我々のオリを囲んでいたのは
歯をむき出しの赤青黄色紫など極彩色な猿たちだった。
起きろ。
ふざけるなよ。
なんだこれは。
どうしてくれるのだ。
どんな顔料を使っているのだ。
ガンジス川で洗っても落ちないだろ。
オリの外で訴えかけてくる極彩色な猿たちを
オリのなかからジーっと眺める。
色が違うだけでいつもの猿と変わらない。
そう気づくと飽きてきて眠くなってきた。
横になり、二度寝する。
ここでの生活も悪くない。
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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html