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直川隆久 2013年1月20日

負ける男

         ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

高原。あえて言葉を選ばずに言おう。
俺はおまえに死んでほしい。
娘の愛美が、“会わせたい人がいる”と俺に言ってきたときから
いやな予感はしていたんだ。
年が離れてるとはきいてたが、
まさか自分の同い年の男が来るとは思わないじゃないか。
正月早々、とんだご挨拶だ。
さらに、あろうことか、おまえだなんて。
なんでおまえなんだ。
忘れたとは言わせんよ。
30…32年前か。
山岳部のアイドルだった平岡祥子をかっさらって行ったのは、
おまえじゃないか。

就職活動の時期が来ても、
七大陸最高峰無酸素登頂の夢を語るおまえを、おれは疎ましい思いで見ていた。
就職活動に駆けずり回っている俺を、バカにされているような気がしていたんだ。
だから最大手都銀から内定をもらったとき、俺は、勝ったと思ったよ。
だからその日におれは、平岡に告白した。
で、手痛くふられたよ。好きなのは、高原君ですってな。

平岡は、そのことは言っていたか。なかったか。
まあ、そうだろうな。
おまえがどういうつもりかしらんがな。
その時点で、おまえは俺に借りがあるんだよ。
借りだろう?借りだよ、そんなものは。
卒業後もおまえは結局就職せず、
個人的にスポンサーを集めながら冒険旅行を繰り返してたな。
熊みたいなお前の容貌は安心感を与えるんだろう、
スポンサーにも人気があった。
おまえ達夫婦がときおりテレビ番組で取り上げられるたび、
俺は見ないふりをするのに必死だったよ。
なぜって? 
おまえは俺をみじめにさせるんだよ。
冒険ができない俺を、人生にせよ山にせよ、
確実なルートでしか登攀できない俺を。
 
そうやって、前途洋々のおまえだったじゃないか。いつの間に別れたんだ。
平岡祥子と。

…癌?

それは知らなかった。
苦しんだのか。
…そうか。
しかし、それにしても…おまえはどこまでも主人公だな。

愛美とはどこで知り合ったんだ。
環境保護NPOの事務局で…?
ライチョウの写真を見せて話しているあいだに意気投合、だと?
ふん。紋切り型だな。まったくもって紋切り型だ。
だから、そんな団体に出入りさせたくなかったんだ。
おまえ達のそういうところが、俺は嫌いなんだ。
その、自分の純粋さを疑わない感じが。
のほほんとしたおまえらのとばっちりを受けるこっちの身にもなれ。
なにがライチョウだ。
なんだ。不満か?
おまえのストーリーの中では、俺は悪役だろうな。
や、誰が考えてもそうさ。
年の差を愛で乗り越えようとしている二人の前に立ちふさがる
保守的な親父という構図だ。
自分の無粋さも自覚できない、イタい男さ。
だがな、俺の人生は映画じゃない。
客のものじゃない、俺のものだ。俺が主人公だ!
ものわかりのいいふりをする気はないんだ。

ああ…。

…なんで、愛美はおまえみたいなくだらないのにつかまったんだ。
と言えればラクだろうさ。
2年のとき――槍ヶ岳で高山病にかかってふらつく俺を、
おぶって下山して、俺を責めるような目をただの一瞬もしなかった――
おまえがそういう男でさえなけりゃ、ラクだろうさ。

なんで、そうやって何度も俺に負けを味わわせるんだ。
ちくしょう、大きな声をださせやがって。愛美にきこえるだろう。
おい。そんなふうに、困った顔で、頭をかかえるんじゃない。
泣きたいのは、こっちなんだよ。
 

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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薄景子 2013年1月14日

ミャーミャーミャーコ

       ストーリー 薄景子
          出演 石橋けい

さかみちくだった かどっこの
ちいさなちいさな たばこやに
ミャーコという名の ネコがいた

いねむりだいすき ヤンばあさんの おとなりで 
ミャーコはいつも おみせばん

まいあさとおる ペペじいさんは
まいあさミャーコに ごあいさつ

おはようさんさん ミャーコさん
きょうのてんきは さんざんじゃ

ミャーコはどんな おてんきだって
ミャーミャーミャーと ごあいさつ

となりとなりの ロロちゃんも
がっこうがえりに ごあいさつ

ミャーコちわちわ こんにちわ
きょうのおうたは ロンルラロン

ミャーコもまねして ミャンミャミャミャン
うたえなくっても ミャンミャミャミャン

せっかちロードの ググさんは
いつもいそいそ ごあいさつ

ハロハロハロー グッバイバイ
ミャーコとしゃべる じかんはないよ

ミャーコはちょっぴり はやくちで
ミャロミャロミャローと ごあいさつ

みんなのあいさつ きいてるうちに
ミャーコはミャーミャー かんがえた

せかいでいちばん あいさつを
しっているのは このあたし 

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

ミャーコはたばこや とびだして
さかみちあがって おかのうえ
デブネコ ドンに 声かけた

ミャーミャーミャーミャー 
ミャーミャミャミャー

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

デブネコ ドンは ムクッとおきて
こわ~いかおして こういった

ひとをジャマする ときはなぁ
おジャマしますと いうんだぜ
ミャーミャーいってる あいさつじゃ
ジャマジャマジャマで しかたねぇ

ミャーコはせなかを まあるくちぢめて
そろそろそろっと にげてった

もりにはいると カーカーカー
まっくろカラスの がっしょうだん
ミャーコもうたって ごあいさつ

ミャーミャーミャーミャー 
ミャンミャミャミャン

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

まっくろカラスは カーカーカー
ミャーミャーおまえは うるさいぞ
カーカーきいたら かえれよカー

ミャーコはすりすり あとずさり
もりをぬけだし やまのなか

おおきなやまで ただひとり
やまにむかって さけんださ

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

おんなじことばが こだまして
あるかし あるかし ららららら

そらはまっかな ゆうやけで
やまにひびくは こだまだけ

ミャーコはちょっぴり こわくなり
たばこやむかって いちもくさん

やまおり もりぬけ さかくだり
やっとついたよ たばこやさん

いねむりだいすき ヤンばあさん
おやおやムックリ おきている

ミャーコがいなくて たいへんと
おやおやねないで おきている

ヤンばあ ヤンばあ ヤンばあさん
あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

ちいさなミャーコを ぎゅっとして
ヤンばあさんは めをとじた

ドックン ドックン ドックンクン
きこえてくるのは むねのおと

ドックン ドックン ドックンクン
きこえてくるのは ヤンばあさんの むねのおと

ミャーコや よおく おぼえておいで

いちばんだいじな あいさつは
ココロのおくに あるんだよ

いちばんだいじな あいさつは
ココロのみみで きくんだよ

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

 

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福里真一 2013年1月13日

カムチャッカの若者

        ストーリー 福里真一
           出演 大川泰樹

まさか2013年の新年早々、こんな奇跡的な出来事が、
しかも日本で起こるとは思わなかった。

あの、カムチャッカの若者と、メキシコの娘が、
日本のとある神社の境内で、すれちがったのだ。

そう聞いて、
ぴんとこない人には、解説が必要だろう。

ふたりは、谷川俊太郎さんの、
「朝のリレー」という詩の中の登場人物だ。

詩の中で、きりんの夢を見ていたカムチャッカの若者は、
いまは動物園につとめていて、
現実のきりんに、ほとほとうんざりさせられているという。

詩の中で、朝もやの中でバスを待っていたメキシコの娘は、
その後、お金もちと結婚したおかげで、
もうバスを待つ必要はなくなった。
基本的に、移動はタクシーの場合が多いらしい。

このふたりが、
それぞれの事情で今年のお正月を日本で迎えることになり、
それぞれが泊まっているホテルに近い、
山王神社に初詣にやってきて、
そこで奇跡的に、すれ違うことになったのだ。

しかし、
残念ながら、そこで劇的なことは何も起こらなかった。
ふたりは、何らあいさつを交わすこともなく、ただすれ違っただけだった。
お互いが、同じ詩の中の登場人物であることを知らなかったので、
これは仕方がないことだ。

ただ、この事実を知っている我々だけが、
この奇跡に、新年早々何やら幸先のよいものを感じ、
心ひそかに、喜ぶことができるのだ。

ちなみに、
カムチャッカの若者は、自分が詩の中で、
カムチャッカの若者と呼ばれたことに、不満を抱いているらしい。
カムチャッカという言葉の響きが何となくおもしろいからというだけで、
カムチャッカの若者などと呼ばれたのではないか、という疑いを、
いまだに捨てきれないでいるのだ。
別に普通に、ロシアの若者、でもよかったのではないかと…。

もし彼が、神社の境内で、メキシコの娘に気づくことができていたら、
彼女とその話題で、ひとしきり盛りあがれたかもしれない。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

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小野田隆雄 2013年1月6日

別れる言葉

          ストーリー 小野田隆雄
             出演 長野里美

ひとは別れるとき、
誰かに何かを言い残す。
黙って別れてしまって
もしも、自分がいなくなったことに
気づいてくれるひとがいなかったら
それは、とても寂しいことかもしれない。
けれど誰かが自分のことを、いつまでも
きちんと憶えていてくれたら
それは、とてもうれしいと思う。
次の文章は、もうはるかな昔、
私が美術大学の学生だった頃に、
後輩からもらった手紙である。

白いコスモスの花を
青い花瓶にいけて
もう、10日がたちました。
花びらは畳に落ちて
ひからびてしまいました。
コスモスを見つめて
どこにも出かけないで
黒いセーターを着て
日本茶ばかり飲んでいました。
フランス語の勉強は止めて
古いプレーヤーで、
シューベルトの「冬の旅」を、
ぼんやり聴き続けていました。
ある雨あがりの日、空を見て
南の町へ引っ越そうと思いました。
どこか、岬の見える南の町へ。
室戸(むろと)岬、足摺(あしずり)岬、都井(とい)岬、
佐多(さた)岬、枕崎(まくらざき)。
中学時代の学習日本地図を、
昨夜は、ずっと眺めていました。
旅立つ日、あなたに、
この手紙を出します。
短かった。けれど、とてもすてきだった日々。
でも、別れます。あなたは、まぶしすぎるんです。
すばらしい青春の思い出を、ありがとう。
大丈夫、大丈夫。私は働いて、
ときおり絵を書いて、生きていきます。
いつか、長い歳月のあとで、
お会いする日がくるかもしれません。
私のことを忘れないでください。
あなたが憶えていてくれると思うと、
そのことが強い支えになるのです。
いつも、わがままばかり言っていた私の、
これが最後のわがままです。
さようなら。

……2歳年下の彼女は、秋に咲く花のように
せつない感じの少女だった。けれど、
雨や風には折れないような、
しなやかな強さがあった。
私は、そんな彼女が好きだった。
ほかの友人たちは、それを恋と呼んでいた。
女性同士の恋であると。
けれど 私は友情だと思っていた。

思えば、彼女の手に触れたこともなかった。
ある秋の終りに、
彼女が突然に私の前から消えて、
そのまま、なんの音沙汰も無しに
数十年が過ぎてしまった。
私は結婚し、専業主婦となり、
すでに私の娘が、あの頃の
彼女の年齢になってしまった。
けれど、私は彼女を忘れていない。
そして彼女も、私のことを
憶えていると信じている。
思い出は、すべて現実から離れていく。
だから、人の心を支えてくれるのだと思う。

いつかある日、誰でもみんな
愛する人たちに別れのあいさつをする。
「もう、私のことは忘れておくれ、
ありがとう、楽しい人生だった。
さようなら」、と。

出演者情報:長野里美 株式会社 融合事務所所属:http://www.yougooffice.com/

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一倉宏 2012年1月1日

 なかなかうまくいかない

       ストーリー 一倉宏
          出演 地曵豪

それでどうなの さいきん 
と きいたら
それが やっぱり
と きみはこたえた

なかなか 
うまくいかないものですね

そうだね
なかなかうまくいかないよね

で なにがうまくいかないの
って きいたら

いろいろと

そうだ
そのとおりだ

けさも しんぶんをひらいたら
せかいは
なかなかうまくいかない
ことだらけだったし

だれかさんの めんせつも
だれかさんの プレゼンも
だれかさんの こいも

ほんやのいりぐちにならぶ
なんでもうまくいくほうほう
なんて よむなよ
  
そんなほんばかりが 
うれるこのごろ
なかなかうまくいかない と
こころある へんしゅうしゃも
なげいていた

おそらく
せかいは
なかなかうまくいかない
ことで できているのだろう
かくごしよう
あきらめずに

それでも

きみは
なかなかうまいカレーだったら
つくることができるし
なかなかうまいうただったら
うたうことができる

おやすみ

みんな
なかなかうまくいかない
いちにちをだいて
ねむれ

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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古居利康 2012年12月31日

虹を見下ろして    

       ストーリー 古居 利康
          出演 西尾まり

まんまるの虹を見たことがある。

いまはもう滅びてしまった
ソヴィエト連邦という国は、
他国の飛行機が自国の領空を飛ぶのを
ひどく好まなかった。
それで、日本からヨーロッパに向かう
飛行機は、アラスカのアンカレッジまで
迂回しなければならなかった。

いったん地面に下りた飛行機が
給油しているあいだ、乗客たちは、
空港内のうどん屋に駆け込む。
乗客のひとりだったわたしも、
つられてうどんをすすり込む。
やがて飛行機は、すこしばかり気合いを
入れて、北極圏上空をめざす。

飛行機の窓にちいさな雪の結晶が
はりつくのをぼんやり見ていたわたしは、
ふと、眼下に広がる風景がくっきり
見えるのに気がついた。
低空飛行しているわけでもないのに、
地面が妙に近かった。地面と言っても、
氷に覆われたほぼ白一色の世界だったから、
遠近感が狂っていたのかもしれない。

その白い地面の上に、
なにかまぁるい白っぽいものが
浮かんでいたのだ。雲かと思ったら、
よく見るとそれは白ではなくて
淡くうっすら色がついており、
数えようによっては、七色に見えなくも
なかったし、なにより、ドーナツみたいに
まんなかに穴があいている。

虹だ。
そう思った。あれは雲じゃない。
どう見ても、虹。

だけどこれ、どこかで見たことある。
これとおなじもの。確かに、どこかで、
見たことがある。って、すぐ思った。

そうだ、こどものころ、
うちの物干し台の上から見たあれって、
まあるい虹だったのかも。
まだちっちゃかったから、真下に見える
地面がすごく遠かったけど、
こわいもの見たさでわたしはよく
物干し台に昇って地面を見下ろしていた。
道を通るひとはわたしが見ていることに
ぜんぜん気がつかないまま歩いてる。
ひとのひみつを覗きこんでいるみたいな、
ほんの少しの罪悪感を覚えながら、
わたしは地面を見下ろしていたんだ。

そのときは、向かいの家のおじさんが、
鉢植えに水をやっていた。
あかるい陽の光がおじさんの頭の
てっぺんに反射して光っていた。
水に濡れた鉢植えの緑もキラキラしていて、
道の真ん中へんに、なにかまぁるいものが
浮かんでた。七色のちいさな円を描いて、
それはぼーっと浮かんでた。
狭い道幅にちょうどおさまるような
サイズだったし、まんまるだったから、
それを虹と結びつける知恵は、
ちいさなわたしにはまだなかった。

路地の奥にあった二階建ての家。
車一台通れるか通れないかくらいの
狭い通りに向き合って、おんなじつくりの
おうちがひしめきあっていて、
玄関先の道にはみでるように置かれた
鉢植えの色や大きさや数が、
それぞれの家の個性になっていた。
狭い土地なので庭も何もなく、洗濯ものは
屋根の上に張り出した物干し台に干す。
玄関の目と鼻の先にお向かいさんがあって、
その反対側の裏手はまた路地がつづいていた。

あのとき見たあれは、虹だったんだ。
北極海の上を飛ぶ飛行機の中でそう思って、
なにか得した気持ちになった。
上空から覗かれるのをひどく嫌う国の
おかげで、迂回しなければならないけれど、
遠回りには遠回りのおまけがついてくる。

スパシーバ、ソヴィエトれんぽう。
わたしはそっとつぶやいた。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

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