「りんご飴」
暗い川沿いの道を、虫の声に包まれながら歩いていると、
遠くにぼんやり赤い光が見えてきた。
かすかに、太鼓の音も聞こえるようだ。
白縫(しらぬい)神社。かつては、古くから伝わる祭り装束を
この神社で縫っていたのだと、母から聞かされた気がする。
光と音に引き寄せられるように歩みを進める人影が
暗がりのなかにゆらゆらとゆれる。
あれから何年経ったかな、と浩一(こういち)はふと考えて、
あれからって何から?と自問する。
幼いころは、地元の祭りが楽しみで、母に、
よく連れてきてもらったけれど、いつのまにか行かなくなった。
県外の高校に通うようになって、地元の友達と
遊ばなくなったせいかもしれない。そのまま大学に進学し、
そしてほとんど地元には戻らなくなった。
てかてかと赤く光るりんご飴が欲しくて、
何度もせがんで買ってもらったのに、結局食べきれずに
捨ててしまった。そんなことを思い出しながら、
賑やかな屋台に挟まれた道を歩いていく。
そういえば、母の手を振り切って走っていこうとすると
母はこわいことを言って、わたしたちを立ち止まらせた。
わたしたち、それは、わたしではなくわたしたちだったと思う。
いち、にい、さん、し、ご。
祭りのあかりを縫うように広がる暗闇のなかで、わたしたちは
かくれんぼをした。
二十数えたら、探しにきて。
わたしはそう言って、隠れる場所を探して走った。
ろく、しち、はち、きゅう、じゅう。
明かりと暗がりの狭間を走っていると、誰かにぱっと
手をつかまれた。
母だった。
暗いところに行くと、影を縫われるよ。
母は、そう言って、わたしの手を引いて歩いていく。
まってよ、浩二と、かくれんぼしてるんだ。
わたしの声は、賑やかな喧騒と祭囃子にかきけされる。
母は、まっすぐ前を向いて、どんどん歩いていく。
ぐるぐるまわる影と光の中で、わたしは、
あの赤いりんご飴が欲しい、と、ふと思う。
買ってもらったりんご飴は、食べかけのまま、家の台所に置かれていた。
次の日も、また次の日も。
それから、ちょうど二十年経った。
赤いりんご飴の屋台の光。その光の輪の外にある暗がりの中に、
小さな影が見える。その影がゆっくり振り向くと、
あ、にいちゃん、みつけた。と言う。
出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属