中山佐知子 2007年5月25日-1



女は蔵のなかに

                        
ストーリー 中山佐知子
出演  大川泰樹

                      
女は蔵の中にもうひと月も潜んでいた。

蔵は屋根に近い高さに小さな窓がひとつ開いているだけで
いつも暗い上にネズミの鳴き声まで聞こえたけれど
それでも辛抱して縁を切りたい世間があった。

十をいくつも出ないうちに女を色街に売った父親は
すでに亡くなっていたし
自分を買い取って財産の一部のように扱った
たった一度の結婚相手とも
どうにか縁が切れていた。

それでも女をさがして何度も足を運ぶ客が来た。
それは曰くつきの昔の相手だったり
古い馴染みのお茶屋の女将だったりしたのだが
女は息を潜めて出ようとはせず
人の執念と欲の深さにその都度怯えた。

女はもう女であることに飽きていた。
それなのにまたひとり
この蔵に住みはじめてから
影のようにひっそりと女の世話をする男が出来た。

男は年下で財産もなく
細工物をしてわずかに稼いでいた。
箒の握りかたも知らない女にかわって
器用に蔵の掃除もしたし
客が女を尋ねてきたときは走って知らせにも来た。

女が病気をしたときは自分の稼ぎで薬代も払い
女の過去を問うこともなく
蔵の窓から差し込む小さな光のように
女の心をあたためたので
男の存在は日々大きなものになっていった。

それなのに、月明かりが蔵の窓から差し込む晩
男は、生き仏さんに手を触れることはできないと言って
女を拒んだ。
それがきっかけになった。
それならば、本当に仏になってしまおうと思った。

女が長い髪と一緒に世間を断ち切って尼の姿になり
小さな庵に住むことになったとき
男は当然のようについてきて、女の世話をしはじめた。

その手狭な寺には
座ると目の高さに小さな障子窓がある。
窓から見える庭は緑の苔でおおわれ
その苔が蛇のように波打つのは
盛り上がった木の根まで
苔が覆いつくしているからだった。

男は朝晩その庭を掃き清める。
その遠慮がちな箒の音に耳を澄ませながら
女は、自分に指1本触れたこともない男が
いままででいちばん、もう身動きもつかないほどに
自分をがんじがらめにしているのだと気づいた。

*出演者情報  大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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小野田隆雄 2007年5月18日



アゲハチョウとオーデコロン

        
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

ある高原の町に、赤い屋根の幼稚園がありま
した。それは、よく晴れた五月下旬のある日、
午後二時頃のことでした。
年少組の教室の、いっぱいに開かれた窓から、
大きなアゲハチョウが一匹、ひらひら、ふら
ふら、舞い込んできたのです。
ちょうどお昼寝の時間で、子供たちはみんな
ぐっすり眠っていました。
担当のよし子先生も、椅子にかけたまま、う
つらうつら、夢を見ているようです。

幼稚園の外は白樺林。その木陰に続く道を、
十分ほど南に歩くと、小さな湖があります。
夏が近づくと、恋人たちのボートがアヒルと
追いかけっこをする湖です。
アゲハチョウは、その湖のほうから
飛んできたのでした。

さて、アゲハチョウは、しばらく教室の中を
あちら、こちら、飛びまわっていましたが、
誰も気づいてくれないので、すこし退屈な気
分になってきました。
けれど、ふと、何かとても良い香りがするの
に気づきました。
「はて、何だろう」
アゲハチョウは、眠っている子供たちひとり
ひとりに、そっと近づいてみました。
この子ではありません。あの子でもありませ
ん。そしてとうとう、よし子先生のほっそり
白い首筋から、オーデコロンが香ってくるの
を発見しました。
アゲハチョウは、よし子先生の肩に、そっと
羽根を休めて、そのやさしくほんのり甘い香
りに身をまかせました。

ところで、よし子先生には音楽家の恋人がい
ます。高原のオーケストラでピッコロを吹い
ています。いまは、北海道に演奏旅行に行っ
ています。
「あら、いつお戻りになったの?」
よし子先生は、彼がそっと肩に手を触れるの
を感じて、尋ねました。
「ちょっと、君にあいたくて。でも、すぐ帰ら
なきゃ」
「まあ、せっかく戻ってきたのに」
よし子先生は、夢の中で、思わず大きな声を
出してしまいました。
その瞬間、アゲハチョウは、よし子先生の肩
を離れて舞いあがり、窓から白樺の林の方角
に飛び去って行きました。

またひとしきり、白樺林に風が吹き、
葉と葉が触れあって、サラサラ、サラサラ、
ハミングで歌い始めました。
そして、その音に合わせるように、
子供たちの寝息が、スヤスヤ、スヤスヤ、
ハミングするのでした。
よし子先生は、ちょっと目ざめかけましたが、
少しほほえむと、また眠りに落ちていきまし
た。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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一倉宏 2007年5月11日



ミスター リリックを探して
                     

ストーリー 一倉宏
出演    塚本晋也

1987年のある日 
西新宿のホテルをチェックアウトしたまま 彼のゆくえを知らない
誰にも気づかれず ひっそりと姿を消した 
それはどんなマジック? あるいはトリック?
いいえ 彼の名前は ミスター リリック

思い出せるかな?
かつては いろんなところでよく 彼の姿を見かけたものさ
駅のホーム にわか雨の商店街 ジャズの流れる喫茶店 
レイトショウの映画館
いうまでもなく 彼はとてもシャイだったから
僕らはおたがいに 声をかけあうでもなく
かといって無視するでもなく
目を合わせ はにかんで 目を伏せる
( それだけで十分だった 僕らのやさしい流儀 )
それとなく 彼はときどき
とてもきれいな女のひとを連れていたから
そうさ 彼の名前は ミスター リリック
  
1970年のある日 
僕ははじめて彼に出会ったのだと思う 眠れない夏の夜
彼のひとことが僕をとりこにしてしまった 
まるでエレクトリック 息苦しいパニック
僕のヒーロー 彼の名前は ミスター リリック

思い出してみないか?
いつから彼の姿を 見かけなくなってしまったのだろう? 
夕暮れの街角にも 路地裏にも電話ボックスにも 酒場のカウンターにも   
図書館にも書店にも
たしかに 彼がいなくたって 僕たちは生きていける 
ほらこのように
僕たちは結婚し マンションを買い ごちそうを食べる 
僕たちはよく笑い よくお金をつかう
( テレビのニュースでは また爆殺の跡 )
たしかに 彼がいなくたって 僕たちは生きていけるのだけれど
消えた歌声 彼の名前は ミスター リリック

1987年のある日 
東京では最後にその姿が目撃されたまま 彼のゆくえを知らない
誰にも気づかれず ひっそりと姿を消した 
それはどんなマジック? あるいはトリック?
いいえ 彼の名前は ミスター リリック
   
思い出せないのかい?
街中の人間がみんな記憶喪失してしまう チープなSF映画のように
なぜか誰も彼の不在を 怪しまない 話題にしない 
つつがなく日常の地平はつづく
みんな さびしくないのかい? あのさびしい後ろ姿を見失って
新聞は報道しない TVは気にもしない 名前さえ忘れたかも知れない
彼が消えた街の 人気者は ミスター コミック 
( あるいは 羽振りのいい ミスター エコノミック )
みんな 泣かないのか? 泣かないのか? あの哀しみも涙も失って
ああ 僕はひどくさびしいよ ミスター リリック

2007年のある日 窓の外に誰かの気配
僕は窓を開ける そこに あなたはいない
僕の 抒情よ

*出演者情報 塚本晋也 海獣シアター 03-3949-7507

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中山佐知子 2007年4月27日



塩は牛の背に

                   
ストーリー 中山佐知子                      
出演 大川泰樹

塩は牛の背に乗せて運んだ。

三陸の海岸から北上山地を越えて盛岡へ、雫石へ。
畑のできない三陸の村では、かわりに塩を焼き
これを何日もかかって内陸へ運んで米に替える。

だから牛は行きも帰りも荷物を背負って歩いた。
荷物は重いけれど背骨をひしぐほどではない。
ことにいまはいい季節で
道端にはいくらでも青草が生えている。
牛はたびたび歩みを止めて草を食べては
蝶が飛ぶ遠い緑の原っぱを思い出していた。

その原っぱでは、朝も暗いうちから草を刈る若者がいる。
毎年、春の彼岸になると
幼顔の15歳からハタチそこそこの若者が大勢で
奥羽山脈を駆け下りて来て
まるで牛や馬を売るように自分を売る。
正しくは自分の精一杯のはたらきを売る。
草は半分馬が背負い
馬が背負った同じ重さを若者が背負う。
仕事は休みもなく、1日1足の草蛙がすり切れ
その草蛙をこしらえるのもまた彼らの夜なべ仕事だったけれど
秋の取り入れまで働くと5俵の米を持って帰れた。

ふるさとの山の畑は貧しく
その米がないと越せない冬もあった。
でも、もし、できるものならこの米をちっと持たせて
弱い小さな妹を母親と一緒に湯治に行かせたい
若者のひとりは、そんなことを思いながら
蝶が止まった草をそっとよけた。

その湯治場は山の向こう側にあって
熱いお湯は湧いていたが宿というほどのものはなく
ただそのへんの木を伐って建てた小屋があるだけだった。
それでも十里も二十里も遠い村から
米と塩を持って人が集まり
お湯につかって手足を伸ばして寝るだけで
ああ極楽だと語り合った。

その温泉を北に下ると、そこはもう日本海で
砂浜から青い水平線に向かって蝶がしきりに飛んでいた。
あの蝶が本当に海を渡るのか誰も知るものはなかったが
はるか沖で漁をする漁船では、
マストに羽根を休める蝶を見かけることがあった。

あの蝶はどこへ行くんだろうな。
若い漁師は船を降りて近所の娘に問いかけた。
ほんにな。
娘は短い返事をした。

ただそれだけのことだったけれど
漁師は娘の心のうるおいを知り
娘は漁師のやさしさに触れた心地がして
濡れた目で漁師を見上げた。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2007年4月20日



夏の旅、レクイエム
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳  

すこし長い休暇をとって、
北陸の海に来ています。
ここは、あなたが住んでいた
太平洋側の町よりも、
かえって暑い感じがいたします。
今朝早く、激しい雨の中を
直江津から乗ったディーゼルカーは、
各駅ごとに停まりながら
歩くように走っていましたが、
小さな無人駅に停車したまま、
先程から動きません。

時刻はそろそろ正午に近く
すでに雨雲は走り去って
松林の向うに海が見えるこの駅に
蝉しぐれが降ってきます。
車窓から見あげると
雨があがったばかりの
抜けるような青空が
乱れ雲のあいだにのぞいています。
駅のホームは、白い砂地。
小さな花壇には、
カンナの花が、赤く咲いて。

あなたは、つんのめるように
走り去って、いなくなってしまった。
天使の階段をのぼって、行ってしまった。
駒沢通りで起きた交通事故。
ダンプカーに正面衝突した、
あなたの真っ黒なスポーツカー。
私を自由ヶ丘まで送ってくれた夜、
私に手を振って走り始めて
それから、すぐあとに起きた事故。
あれは、ほんとうに事故だったの?
いまでも、私は、そう思ってしまう。
あの、七夕も過ぎた頃の、
なまあたたかい夜の、あなたの死。

あなたの作るテレビコマーシャルが
次から次へと大当たりして
日本中のひとが、笑いころげている時、
きっと何かが、あなたの中で
崩れ始めていたのですね。
誰にも見せなかった、ピエロの素顔。
メロスのように走り続け、
足を血に染めていたあなた。
でも、私は忘れていなかった。
去年の夏に、あなたが八ヶ岳の高原で
つぶやいた言葉を。
「いちばん美しい日本の夕日は、
日本海に沈むんだよ。」
そのつぶやきは、高原の風に
消えそうになりながら、
ヒンヤリとしたなにかが、私の白い
ブラウスの肌に触れたのです。

いま、しんとした車内には、私と、
仲むつまじそうな老夫婦しか
乗っていません。
眼を閉じていると、こころよいような
寂しさにつつまれるのを感じます。
この出すあてのない長い手紙を、
旅に出てから、ずっと書き続けています。
今夜はこの海で、美しい夕日が
見られるかもしれない。そうしたら、
私は夕焼けの海に思いきり、
石を投げようと思っています。
それから叫びたい。
弱虫、甘ったれ、バカヤローと。
もう、この白いブラウスは
着ないからね。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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岡本欣也 2007年4月13日



「窓のなか」

                        
ストーリー 岡本欣也
出演 坂東工

 
線路わきにたちならぶ電柱が、
つぎからつぎへと後ろに吹き飛んでいくさまは、
いつ見ても飽きない。

むくつけき男たちが高架下にいて、
テンポよくぶん投げているんだろう、とか、
ホントはぜんぶで10本くらいしかなくて、
いったん後ろに行った柱が、
急いで戻ってるんじゃないだろうか、とか、

まあ、それにしても、大人の男女とは思えない熱心さで、
新幹線の初歩的な錯覚を楽しみながら、
旅をはじめる、ぼくらであった。

窓のなかには、
いくつもの高層ビルがやって来て、
近くのものほどスピーディーに、遠くのものほどゆっくりと、
それぞれの速度を守って、
横にスクロールしながら消えていく。

おんなじ横切るにしても、電柱ほどの気迫がない、とか、
どれもたしかに立派だが、あれだけ窓がありながら、
窓が開かないというのはどうなんだろう、とか、

その昔、夢を見ながら上京したのに、
冷たくされた高層ビルに、
ついついつらく当たってしまう、ぼくらであった。
風景の主役が、
工場となり、郊外型店舗となり、
住宅となり、田畑となり、
そしてそれらがランダムに繰り返されていく。

川が見えたよ、とか、
あの山なんだろう、とか、

東京を離れれば離れるほど、
言葉からリキミのようなものが消え、
だんだんと発言内容がシンプルになっていく、
という、じつにたわいのない、ぼくらであった。

しかし、ぼくらが、
多少なりともおだやかになったのは、
風景にいやされて、人間のココロを取り戻したからではなく、
そろそろだな、と思ったからだ
そろそろ、駅弁のタイミングだなと、
ふたりして思ったからだ。

ぼくらは、つまり、待っていたのだ。
「ここでお弁当広げたらおいしいでしょう」と思える風景を。

通路をへだて、反対側に座る男女も、
おもむろに駅弁を取りだし、
ヒモをほどこうとしている。

もしかしたら、彼らも、
似たようなことを考えていたのかもしれない。
反対側の、窓のなかにあったのは、とても大きな海だった。(終)

*出演者情報:坂東工

*音楽:ツネオムービープロジェクト

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