佐藤充 2024年4月21日「心が躍る」

心が踊る

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

1週間働いたあとのお酒がこれだけしみるなら、
10年働いたあとのお酒はどれだけしみるのだろう。

想像する。心が踊る。

大学を卒業し、
今の会社に勤めて10年目になる。
1か月休暇を取ることにした。

心身の不調や育休や転職でもなく、
1か月休暇を取ると仕事関係の人たちに伝える。

過去に例がなく困惑させたが、
予想に反してみんな快く送りだしてくれた。
案外言ってみるものだなと思う。

この文章はタイのチェンマイで書いている。
数日前にいたラオスより涼しくて過ごしやすい。

毎日昼ごろに起きる。
ごはんを食べて散歩をする。
宿に戻り水浴びをして昼寝をする。
起きたら夕陽が見える場所へ移動する。
場所はなるべく風が気持ちいい外がいい。

ビール瓶を片手に橙色に染まる空を眺める。
どこの国のどの街にいても同じだ。

夕陽を見ながらビールを飲む。
この休暇で気づいたことがある。
一口目は必ず「ぷは〜」と言ってしまう。
そして一口目が1番うまい。しみる。
このための10年だった気がしてくる。

「とは言え〜」と「逆に〜」が頻繁に飛び交い、
右も左も上も下もわからなくなり、
平衡感覚が鍛えられる打ち合わせ。

上司に言わないから悩みなどあれば自由に教えてほしい、
と人事に言われたので素直に答えたら、
上司に筒抜けでC査定だった1年目。

深夜の撮影で近所の公民館のトイレを借りたら、
何者かに外から鍵をかけられセコムが作動し、
パトカーが何台もきたロケ撮影。

25時間ぶっ通しで続いた打ち合わせのときは、
心のなかでサライが流れていた。

2000人以上社員がいるのに20代のCMプランナーが自分1人で、
毎日が文化祭準備期間だった時期もあった。

あれもこれもこのためにあったのかもしれない。

ビールがうまい。
ビールの銘柄はその国のものと決めている。
ラオスではビアラオ。
タイではチャーンだ。

東南アジアのビールは薄いのでごくごく飲める。
ついつい飲みすぎてしまう。

もしかしたらなぜビールばかり飲むんだ。
ビール以外のお酒もあるじゃないか。
私はビールが飲めないからビールの話ばかりされたら不愉快だ。
という有難いご意見もあるかもしれない。

この10年で視聴者からの有難いご意見や、
SNSのどこの誰だかわからない声にも答えるようになった。

なので丁寧にお答えさせてもらう。
ビール以外の例えばカクテルだと甘すぎたり、
ハイボールだと炭酸が弱すぎたりなど、
当たり外れが多いのです。
その点でビールは間違いないのです。

夕陽がチェンマイの山の裏に沈みかける。
ピンクとブルーの混ざったクリーム色の空を
空港から離陸した飛行機が飛んでいく。
肌に触れる風が気持ちいい。
ビールがすすむ。

オレはこんなに忙しいのに
お前はなにをのんきにビールを飲んでいるんだ。
聞いているだけでイライラして不愉快だ。
若いうちはたくさん働け。
という有難いご意見もあるかもしれない。

この10年で視聴者からの有難いご意見や、
SNSのどこの誰だかわからない声にも答えるようになったのだ。

なので丁寧にお答えさせていただきます。
ほんとその通りです。
ぼくもこんな日々を1か月もしていたら、
社会復帰できるか不安です。
帰国後はしっかり労働させていただきます。
有難いご意見ありがとうございます。

気づくと夕陽は完全にしずんでいた。

代わりにチェンマイの空に
爪が浮かんでいる。

爪が空に浮いているはずないだろ、
というご意見ありがとうございます。
爪みたいな形をした三日月でした。

今夜もよく飲んだ。
足元に気をつけながら、
宿に戻って伸びた爪でも切ろう。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤義浩 2024年4月14日「うれしいことがあったら」

うれしいことがあったら

   ストーリー 佐藤義浩
      出演 遠藤守哉

スーがうちに来たのは金曜日だった。
いつものように飲んで帰ってきた僕は
いきなりうちに犬がいて驚いた。
連れてきたのは娘だった。
動物病院でバイトしていた彼女が
引き取り手のないトイプードルをもらってきたのだ。
僕はそこそこ酔っ払っていて、
お、可愛いじゃないか、などと言いながら
そのトイプードルを撫でようとして、
いきなり手を噛まれた。
娘の話では、スーは元の飼い主から
かなり辛い扱いを受けていたらしい。
そのせいか、人には全く心を開かず
何匹かいた保護犬の中で最後の一匹になっていた。
そのときはすでに9歳で、このままだと処分される。
たまらず娘が引き取ってきたということだった。
誰が面倒見るのか、お決まりのやり取りの末、
スーはうちで暮らすことになった。
そしてこれもお決まりのごとく、
頑張って世話すると誓った娘ではなく、
結局は妻が面倒を見ていた。
僕はと言えばたまに散歩に連れて行くくらいで
初めのうちはなかなか言うことを聞いてくれず苦労した。
それでも数ヶ月、一年、二年と経つうちに
自分からリードを引っ張って散歩を急かすようになった。
スーは家の中でも走り回るようになった。
床にカチャカチャと爪の音を響かせて、
ソファに飛び乗ったり飛び降りたり、
少しは楽しいと思えるようになったのかなと思った。
それでも心の底から気を許してるというわけでもなく、
向こうから膝に乗ってくるようなことは決してなかった。
そんな毎日が続いて、いつの間にかスーも年を取り、
一日のほとんどを寝て過ごすようになっていた。
起きているのか、眠っているのか。
たまに寝たままで足だけ動かしていた。
野原を思いっきり駆け回ってる夢でも見てるのかもしれない。
それはまるでステップを踏んでいるようだった。
走りたいんだなと思った。
人がうれしい時に思わず踊り出しちゃうような
そんな気分なんじゃないかと思った。
結局スーは21歳まで生きた。
後日、スーが元いた動物病院の院長先生が 
「長生きさせてくれて本当にありがとう」と、
言ってくれた。
スーの一生が幸せだったのかどうか、
本当のところはわからない。
ただ今はずっとステップを踏むように
走り回ってるといいなと思うだけだ。



出演者情報:遠藤守哉

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Tomorrow is tomorrow

Tomorrow is tomorrow

久世星佳

あなたの中には
一本の木が生えてるのを知ってる?

日々の出来事に思いを巡らせ
思わずため息をついた時。
ぼんやりと ただ地面を見つめてる時。
自分に向かって話されてるはずの言葉が
嘘のように右から左に抜けていく時。
ああ、なんて自分はダメなんだ・・
と思った時。

けれどいつか
明日こそは・・
と思えた時。

あなたの中に生えてる木が
嬉しそうに枝葉を伸ばし出す。

明日なろう
明日なろう

明日こそは・・。
.
出演者情報:久世星佳

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川野康之 2024年4月6日「ダンスする狐の末路について」

ダンスするキツネの末路について

ストーリー 川野康之
   出演 村上弘明

キツネはこの頃夜中に目が覚める。
気がつくとブルーなことばかり考えてしまう。
もう昔のように高くジャンプできなくなった。
最近は狩りに出ても失敗ばかりだ。
ウサギの肉は何日も食べていない。
空腹のあまりニワトリ小屋を襲って、人間に追いかけられた。
鉄砲の弾が耳をかすって死ぬほど怖かった。
まだある。
俺は年をとった。
歯は痛いし、尻尾はぼろぼろだ。
毛皮のつやはなくなった。
それにひとりぼっちだ。
俺は何のために生きているのだろうか。
「考えるな」
とキツネは自分に言った。
体に巻いたしっぽにくるまって眼を閉じた。
早く夜が明けるといいと思った。

昔の俺は何も考えなかった。
森を歩き、獲物を探し、本能のままに狩りをした。
ウサギを見つけたら、そっと近づいてジャンプして、
真上から鋭い爪で掴まえた。
うまかったなあ、あのウサギの肉。
俺は他のどのキツネよりも高く跳躍することができた。
仕留めた後は興奮がおさまらず、月に向かって何度もジャンプした。
森の動物たちは俺を「ダンスするキツネ」と呼んで恐れた。
あの頃、俺は何も考えなかった。
ただ生きていた。

キツネは眠れなかった。
朝までずっと考えごとをしていた。
眼が真っ赤になっていた。
夜明け近くに巣を出た。
まだ薄暗い森の中をキツネは歩き始めた。
ウサギたちが噂した。
「あれがダンスするキツネ?」
「ずいぶんみすぼらしくなったね」
かまわずにキツネは歩き続けた。
森を出て、斜面を下った。
川に沿って歩いた。
そしてキツネは森に帰ってこなかった。
ウサギたちは噂した。
「あのキツネは生きていけないね」
「生きていけないね」

キツネは旅に出た。
森の外はよそよそしく、荒野は危険がいっぱいだった。
腹が減るとヘビやカエルを食べた。
食べられる木の実があることも知った。
いくつかの山を越え、いくつかの川を渡った。
キツネは死ぬなんて考えてなかった。
ただ生きていた。生きようとしていた。
今日のねぐらに決めた草原で、キツネは月を見上げた。
ジャンプはできないが、下を見ると地面に自分の影があった。
首を振ったら先っぽの欠けた耳が揺れた。
それがおもしろくてキツネは何度も体を揺らした。
見ていたウサギの子どもが「キツネがダンスしているよ」と言った。
.


出演者情報:村上弘明  オスカープロモーション

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ただ踏みしめた

☆ただ踏みしめた

   文・声:久世星佳

天気の良い日。

ひたすら歩きたくなって
スニーカーを履いて街に繰り出した。

こういう日は
大きく両腕も振って歩きたい。
だから、お供は控えめな斜めがけバッグ。
うん。いいね。

両手が塞がってないというだけで
こんなに自由な気がするんだ。

時折吹く風を受け止めたり、軽く押されたりしながら
普段通らない道を進む。

へー、こんなところに公園があったんだ。

ちょっとした緑道を抜け、
日の光をいっぱいに受けた広場に出た。
いいねー。ブランコもある、乗っちゃおうかな・・
そう思い一歩を踏み出した。

あ・・。

踏み出した先に広がるのは
舗装された地面ではなく、むき身の地面。
ああ、今 大地の上に立っている。

やけに嬉しくなり、
ニンマリしながら佇んだ。
.
出演者情報:久世星佳

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波間千良子 2024年2月25日「桃」

   ストーリー 波間知良子
      出演 久世星佳

遠くの左から流れてきたわたしは
そのまま右へと流れて行きました
あのひとの手が滑ったのかもしれないし
わたしがするんとかわしたのかもしれない
ほら、ふいに手を繋がれたって事実を
ただ手が触れただけって上書きするみたいに
大事なのは流れを止めないこと
止まらない限り何も決まってしまわないから
ちびちびした産毛の感触だけ残して
わたしもうちょっと先に行きたい

上手に流れるコツは体の力を抜くことです
学校ではそう教わりました
いっしょうけんめい練習しました              
あらかじめ決められた物語に乗るために
でもわたし本当は泳ぎ方を教わりたかった
指先まで力をいれてバタバタと水しぶきをあげて
行きたい方へと勇敢に進む方法を
みんないったいいつ誰に教わったんだろう

となりをあれが追い越していきました
あれっていうのはそうそう、iPhone
iPhoneって泳げるんですよ
『「設定」をひらいて、「泳ぐ」をオンにしてください』
そういえばむかしおばあちゃんが言ってた
この先のずっと先のどこかに彼らの大群がいて
水族館のイワシショーみたいにギラギラとうねってるって
さっきのあの子はフィフティーンだから
ずいぶん早くにここへ来たのね
もしかしてもしかすると
自分で飛び込んだのかもしれないね

波がどんどん高くなってきました
真っ暗で何も見えないけれど
これまでよりもずっとずっと広い場所に来たことはわかります
お尻の傷に海の水がしみて
いま生きていることがわかります
どんぶらこ、どんぶらこ、
わたしはわたしの鬼を退治に
大事なのは流れを止めないこと
まだ何も決まってはいないから



出演者情報:久世星佳  https://seika-kuze.com/

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