
WE DO NOT WORK ALONE
わたしがつくるものと、
わたしたちがつくりあうもの、について。
陶芸家であり、民藝運動を牽引した河井寛次郎(わかいかんじろう)は、
そのすばらしい作品と功績にもかかわらず
推挙された文化勲章も人間国宝も受け取ることがなかった。
誠実な人だったから、という人がいる。
本当の理由はわからない。
もしかすると、
河井寛次郎という人は、
生み出したあの素晴らしい作品の数々を、
「自分がつくった」とは思っていなかったのではないか?
もう今はいない人の気持ちを詮索し、
勝手に物語をつくりあげてはいけないと思いつつ。
「ものをつくる」ということにおいて大切なことを
河井寛次郎が示しているんじゃないかと感じて、
もう少し話を進めさせていただきたい。
こんな逸話を聞いた。
河井寛次郎は陶芸の仕事をしているときに
言葉を書き留めていた。
いつも腰にノートをぶらさげて
思い浮かんだものを書いていた。
夕飯時になると、それらの言葉を家族に聞かせたという。
そのとき彼は「今日はこんな言葉をもらったよ」と
家族に言ったらしい。
「思いついた」ではなく。「もらった」と。
「言葉をもらった」・・・だれに?
一人もくもくと作業し、一人で考え、一人で書き留めていたのに。
言葉たちは「もらったもの」だった。
そうして書き留められ、残された言葉たちは、
いま書物となって私たちも手に取ることができる。
たとえばこんな言葉がある。
ひとりの仕事でありながら、ひとりの仕事でない仕事
はたから見れば、たった一人の孤独な作業に見えるだろう。
けれど、いっしょにつくりあっていたのかもしれない。
陶芸というもの、文化というものを、脈々と、人知れず、
何百年何千年も受け継いできた先人たちと。
民藝の名になっている「民」、自分自身もふくめ、
有名無名にかかわらず、
その時代を生きる一人ひとりの「民」の人たちと。
ちなみに。
もちろん、陶芸の仕事じゃなくても、どんな仕事でも同じはずだ。
ひとり悶々と仕事に向き合い、
どうにも出口がないように感じる夜も。
決して慰めではなく、
むしろそこで自分一人と思うのは
おこがましいくらいのものなのかも知れず。
私たちは一人ではないのだ。
だれかが話してきた言葉をあやつり
だれかが見てきた目でモノを見
だれかが動かしてきた体をつかって動作する。
仕事という漢字に入っている、仕えるという言葉は、
仕事を発注した人や世の中のお客さんに仕えることだと思ってきたけれど
本当は、脈々とつないできた先人たちに仕える事なのかもしれない。
河井寛次郎が語ったことを、
世界の人に知らせたいと
外国の人がまとめた英語の本がある。
タイトルは「WE DO NOT WORK ALNOE」
私がつくるのではない。
どんなときも、私たちはつくりあっている。
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出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属
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