中山佐知子「旅をする魔法使いと(2025年版)」

旅をする魔法使いと

   ストーリー 中山佐知子
      出演 遠藤守哉

旅をする魔法使いと出会った。
魔法使いは、若い頃にかけた魔法を「調整」するために
旅をしていると言った。
魔法を調整?
すると魔法使いは、
「例えば水に不自由している国に与えた井戸を枯らすのも調整だ」と答えた。

水のない国に井戸を与える。
すると誰かがその井戸の権利を主張し、
水を汲む人々から代金を取り立てることがある。
「そんな井戸は枯らしてしまうのさ」と魔法使いは言う。
井戸を枯らして、今度は水脈を見つける方法を教える。
みんなで探してみんなで掘った井戸はみんなのものだからな。

魔法使いが若いとき、
悲しみに沈んだ国へ行った。
土地は痩せ、耕しても収穫は少なく
育たずに死ぬ子供も多かった。
情深い王さまはそれを見るに堪えず
この国から悲しみを取り去るよう魔法使いに頼んだ。
それはあっという間だったそうだ。
泣きながら畑で働いていた国民は笑うようになり
子供が飢えて死んでも涙を流す母はいなくなった。
子供たちは世話をしているヤギが死んでも
明るく笑うだけだった。

どうにもまずいことをしたものだと魔法使いは思ったが、
いったんかけた魔法は取り消しができない。
しかも悲しみを与える魔法はあっても
悲しむことを思い出させる魔法はないのだった。

その国の悪い評判を聞くたびに
魔法使いの心はチクチクと痛んだ。
しかし、やっといまになって、と魔法使いは言った。
「やっといまになって思いついた方法がある」
そう言って魔法使いはポケットから小さな瓶を取り出した。

この瓶の中身は酒だ。
酒は何からでもつくれる。
穀物、芋、果物。蜂蜜に水を混ぜても勝手に酒になる。
あの国に酒のつくりかたを教えようと思う。

それを聞いて私は首を傾げた。
酒は悲しいことを忘れるためにあると思っていましたが…
すると魔法使いはニヤッと笑った。

その通りだ。でも考えてもごらん。
忘れるためには思い出さないといけないじゃないか。

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)


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宗形英作 「初雪が降ったら(2025年版)」

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 地曵豪

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、
手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、
そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。
その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。
すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。

そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に
仕舞ったはずの言葉が浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、
一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。

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出演者情報:地曵豪  https://orante-tokyo.com/profile/地曵豪


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佐藤充 2025年1月26日「先生の電話番号」

先生の電話番号

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

1月。地元に帰省をして中学時代の友人に会う。
社会人10年目になる。
今でも中学時代の先生の電話番号を覚えている。
そう言うと記憶力を驚かれる。
でも、それには訳がある。

毎日電話かけていたんです。
というか毎朝かけていたんです。

そして、どこからでもかけていました。
自分の家から。親戚の家から。友達の家から。
ときには公衆電話から。

仮にその先生をS先生とします。
S先生は僕のクラスの担任であり、
僕の所属していたサッカー部の顧問であり、
地域の選抜チームの監督でした。

いつも僕の行く場所に必ずS先生がいました。

でもなにをそんなに毎日電話する用件があるのか。

遅刻の電話です。

僕はお腹が弱くて、
よく壊していました。

でも毎日お腹壊したと電話をしていると先生が電話の向こうで
本当は寝坊じゃないのか?と疑っているのを感じます。

自分で言うのもなんですが、
僕はとても寝坊しそうな顔をしています。
眠たそうな顔が理由で怒られたこともあります。
疑われるのもわかります。

だからそんなことをする必要もないのに
「寝坊しました。すみません。遅刻します」
と先生のイメージ通りの自分を演じて電話したりもしました。

そして、
毎日お腹壊してばかりだと学習がないと思われるのではと、
そこから色々な理由をつくる日々が始まりました。

ボーッとしていました。遅刻します。
キシリトールガムの食べ過ぎでお腹を壊しました。遅刻します。
鼻血が止まりません。遅刻します。
37度。微熱です。遅刻します。
雪で家のドアが開きません。遅刻します。
妹に教科書をビリビリに破かれました。遅刻します。
吉野家の牛丼についていた七味が目に入って目が開きません。遅刻します。

理由がなくなってきたら外の公衆電話からもかけました。

木曜日は燃えるゴミの日でカラスに襲われました。遅刻します。
野生のキジに威嚇されていました。遅刻します。
どこかの家から脱走したパグに追いかけられていました。遅刻します。
キツネに追いかけられていました。遅刻します。

様々な理由で遅刻の電話をしていました。
理由を考える時間のせいで遅刻した日もありました。

この遅刻の理由を考える日々が
今の企画を考える仕事につながっている気もする。
そして、お腹が弱いことを正直に打ち明けていたら良かったなとも思う。

先生の電話番号を思い出すたび、
あの日々がよみがえりいつも初心にかえる。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

録音:字引康太

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伊藤健一郎 2025年1月19日「コアラによろしく」

「コアラによろしく」

    ストーリー 伊藤健一郎
       出演 地曳豪

「来週の火曜が最終出社日なんだ」とメールが来たのは、
4日前の金曜だった。

入社して15年も勤めた新橋には、思い出の味もあっただろうに、
会社近くのどこにでもあるハンバーガーショップで、
僕らはランチをすることにした。

「来月には、シドニーなんだね」と確認すると、
ポテトをつまむ手を止めて「あんまり実感ないけどね」と彼は答えた。
「そっか」と、その後につづく言葉もないまま
僕はぬるいコーヒーをすすった。

「こどもは元気?」とか。「自転車で転んで手首を捻った」とか。
1時間くらい、たわいもない話をして、
これからのことは話さなかった。

「そろそろ行かなきゃ」と彼が言って、
テーブル脇のレシートをとりながら僕は、
何か言い残したことがないか考えて
「来月には、シドニーなんだね」と、さっきの言葉を繰り返していた。
「そうだよ」と彼は笑って、僕は「いいな」と言った気がする。

店を出ると、冷たいビル風が吹いていた。
「これから会社?」と聞かれて「いや、クライアント直行」と答えた。
咄嗟に出た嘘だった。

「じゃあ、またねだね」と彼が差し出した手を握り返すと
僕の口からは「1月のシドニーは暑いのかな?」と、
最後の最後までどうでもいい言葉が出た。「コアラによろしく」

僕らは40歳間近で、100歳生きる時代とはいえ、
それはもう若くはない。
若くはないけれど、それぞれのスピードで、まずまず必死に、
相変わらず行き先を探している。

クライアントに向かう予定などなく乗り込んでしまった電車の中でも、
それなりに考えちゃったりなんかして。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

録音:字引康太

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「鬼は笑ったのか」 久世星佳

「鬼は笑ったのか」

      久世星佳 

年が明けた。

いや、これを認めている時は
まだ、正確には明けてはいない。

来年のことを言うと鬼が笑う・・

物心ついた時には
意味をちゃんと知ってか知らずか
口にしていた言葉の一つだ。
けれど近頃では
未来は自分で作るもの。
なりたい自分を思い描いて
どんどん言葉にするべし、
という考え方が増えているらしい。

有言実行、ということになるのか。
もし、鬼の目を盗むのなら
不言実行のほうが良さげである。
鬼とは人の心に棲みつくものなのか。
2月には出て行けと豆を投げられ、
鬼の居ぬ間に・・と
その場にいないことをありがたがられ、
昔話のヒール役をもさらりとこなす。

どこかでべそをかいていないか・・
鬼の目にも涙とも言うし、
ちょっと心配になる。

新しい年には
欲や怒りでまみれた赤や青に染まった体を
少し淡い色にしてみたらどうだろう。

そんなことを考えていたら
お前たちこそ・・
と言う声が
笑い声と共に聞こえてきた。

そんな気がした。

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作・出演:久世星佳  ARTScompany https://earts.jp/artist/seika-kuze/

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福里真一 2025年1月12日「あるベテラン調査員」

あるベテラン調査員 

ストーリー 福里真一
出演 遠藤守哉

あるベテラン調査員が、
92年にもおよぶ地球調査を終えて、
最近、帰還したそうだ。

若い頃からかなり意欲的な調査員だったらしく、
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろう
などとつぶやきながら、
調査にのめり込んでいたらしい。

時には、
火星人たちが、
ネリリしたりキルルしたりハララしたりしている、
という重要機密を地球人にもらして、
厳重注意処分を受けたこともあったらしい。

ある時彼は、
こんな謎めいた調査報告を送ってきた。

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた

あまりの不可解さに、
何か重要な暗号が隠されているのではないかという可能性が指摘され、
多くの学者が動員され、必死で解読にあたった。

しかしやがて、このことばそのもの以上の意味はない、
と結論づけられた。
彼はこのとき、2度目の厳重注意処分を受けたらしい。

その後も彼は、
かなり熱心に、何年も何年も、
いくつもいくつも、調査報告を送ってきたが、
その内容はあまりにも抽象的で、
地球のことばでいうと「文学的」で、
あまり役に立たない、
とされることが多かった。

同じく地球調査中の、
ジョーンズ、という名前のもうひとりの調査員と並んで、
ちょっと変わった調査員、
という評価を受けることが多かったようだ。

しかし、本部の中には、
よくわからないけどすごくわかる気がする
と、彼の調査報告の熱心な隠れファンになった者も、
少なからずいたらしい。

そんな彼が、
ようやく92年ぶりに召喚され、
地球から戻ってくるやいなや、
再調査への派遣を希望している、
と聞いた時には、誰もが驚きを禁じ得なかった。

どうやらあの惑星に忘れ物をしてしまったらしく、
過去の駅の遺失物係に
それを取りに戻りたい、
というのがその理由だそうだ。

ただでさえ、人気のない惑星だ。
もう一度行きたいという人間を、
止める理由もなかったのだろう。

この1月から、
カムチャツカの若者として生まれ変わり、
調査を再開することが内定したそうだ。

しかし、カムチャツカというのは、
いったいどこにあるのだろうか?(おわり)

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出演者情報:遠藤守哉

録音:字引康太

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