小野田隆雄 2024年1月14日「思い出コスモス」

思い出コスモス

   ストーリー 小野田隆雄
      出演 久世星佳

 八枚の花びらを持つコスモスの
 いつでも「きらい」で終わる占い

俵万智の「風の手のひら」に出てくる歌である。
コスモスのふるさとはメキシコ。
18世紀後半に、この国を植民地にしていたスペイン人が、
高原地帯で風にゆれながら咲いているコスモスを見つけ、
花の種をマドリードの植物園に送った。
その種は植物園で芽を出し、花を咲かせ、
やがてヨーロッパに広まった。

コスモスという名前は、植物園の園長がつけた。
この言葉はギリシア語で、秩序よく構成された世界や宇宙、
という意味である。
この花を見て植物園の園長さんは、
きれいに丸く並んでいる八枚の花びらから、
美しく秩序のある宇宙を思い浮かべたのだろうか。
コスモスをメキシコ人が何と呼んでいたのか、
そのことは不明である。

コスモスが日本にやってきたのは、明治12年頃だったという。
その頃、上野の美術学校にイタリア人の先生がいて、彫刻を教えていた。
彼はおたまさんという、美しい日本の女性と結婚していたのだが、
彼女は油絵の画家でもあった。
彼女が日本で初めて、コスモスの絵を描いていたのである。

そのコスモスは彫刻家のイタリア人が、ひそかに祖国から種を持ち込み、
日本で咲かせたのではないか、と考えられている。

やがてコスモスの花が日本に広まってくると、
人々に親しまれ、秋桜と呼ばれるようになった。
明治42年のこと、文部省はコスモスの種を全国の小学校に、
花の育てかたも添えて送り届けている。
この花が持っている、かざらない雰囲気が、
少年や少女たちにふさわしいと、文部省は考えたのだろうか。

今でもコスモスが、この国のほとんどの場所で見られるのは
このことと無関係ではないかもしれない。

まるで昔からそうだったみたいに、この花は町のどこかに咲いている。
特別に大切にもされず、かといって忘れられることもなく、
人の生活の風景を色取る花として、存在していたように思う。

コスモスが花屋さんの店先を飾るようになったのは、
いつ頃だったろうか。
そのコスモスには「早咲き」とか「大輪咲き」とか書かれた
ステッカーが付いていたように記憶する。

あの頃からコスモスの栽培品種が、登場したのかもしれない。
隣のお姉さんみたいに親しみやすかった花が、スポットライトをあびて
スターの花に変身し始めた。
すると全国各地に、「コスモス高原」や「コスモス街道」が誕生し、
観光スポットにもなった。

このような場所に咲くコスモスたちの、白や淡いピンク
そして濃い紅色の花々は、
野の花だった昔からの花よりも、ずっとあざやかな色になっている。
花も大きくなり、花びらもふっくらとしている。
そして早く咲かせるためか、背丈もそれほど高くはならない。
130センチ前後だろうか。

軽やかなワルツが流れるような、高原のレストハウスで、
あざやかなコスモスの花盛りを見つめていたとき、思い出したこと。

野に咲いていた頃のコスモスは、
150センチから200センチ近くまで伸び、
小さな樹木のように枝を伸ばした。
花はそれほど大きくなく、花びらは細長く丸く、
その先端にはV字型の切り込みが、あったような記憶がある。

スリムな花びらなので、花をかざして空を見ると、
花びらの透き間から、細く秋の青空が見えるのだった。

この花を一輪、茎の部分から切り取るのである。
そして花占いのように、一枚置きに花びらを取ってしまうと、
コスモスは花びらの風車みたいになる。
それを空へ、そっと投げあげる。
すると花びらの風車は、くるくると回転しながら少し飛んで、
ふんわりと落ちてくるのだった。

私たちの少年時代、
ふるさとの小さな町で、少女たちは秋になると、この遊びに夢中になった。
少年たちも、ときおり参加した。
赤とんぼが、気まぐれに花びらの風車を追いかける。
素朴な遊びだった。

この遊びを40代を過ぎた頃に、
改良品種のコスモスで、やってみたことがあった。
9月中旬の札幌の郊外だった。
あざやかな色の大きな花びらの風車を、高く投げた。
けれど、くるくる回転することもなく、まっすぐ地面に落ちた。
花びらが大きくて、重すぎたのだろう。
一輪の花だけで、止めた。
少し肌寒い北の風が吹いていた。


出演者情報:久世星佳 http://www.kuze-seika.com/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

坂本和加 2023年12月17日「作詞のつくりかた」

作詞のつくりかた

    ストーリー 坂本和加
       出演 久世星佳

えーと作詞? 
ってどうやってやるのか?

そうね

まずアタマをからっぽにして
想いを 浮かべるの

悲しかったこと うれしかったこと
好きな人のこと いとおしいと思うモノやコト
たくさん浮かべるの

それが浮かんだら
じっと想いを見つめるんだよ

そうするとね 
強い想いだけが 光を放つの
そうでもなかった想いは どこかへいってしまうの
それは欲だから 光を放てない

その 輝きは
想いの放つエネルギーのようなものなの
絶対になくてはならない
それがないと 詞は生まれない

私の場合はね

そのエネルギーは
形而上のものだから有機的にするの
もっとわかりやすく言うと
エネルギーの形而下にあるのが
ロゴスということになる

想いのエネルギーは ロゴス 言葉をもっている
あとはそれを紙に移していくだけだよ
ことばが順番にそれをしたがるんだよ

エネルギーというのは
質量があるのは 知っているよね

いー いこーる えむしーじじょう だよ
E=mc2

質量の大きなモノは
小さなモノを引きよせる

万有引力のことだよ

詞は メロディを引きよせて
歌になって放たれる
どんどん大きなエネルギーになる
つまり 引きよせる力も大きくなる
そして残っていくことになる

そこにあるのは愛だよ

難しいことではないはずだから
やってみてください

いい詞が生まれたら 見せてください
.


出演者情報:久世星佳

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2010年9月12日



九月のありがとう

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

立原(たちはら)さん、あなたに
九月のありがとうを
ささげたいと思います。
「夏の死」、という題名の
美しく、いとおしく、
秋の訪れを歌った十数行の詩を
残してくださったあなたに。

「夏は慌(あわただ)しく遠く立ち去った。
また新しい旅に。

私らはのこりすくない日数(ひかず)をかぞえて
火の山にかかる雲(くも)・霧(きり)を眺(なが)め
うすら寒い宿(やど)の部屋にいた。
それも多くは何気(なにげ)ない草花の物語や
町の人たちの噂(うわさ)に時を過ごして。

或る霧雨(きりさめ)の日に私は
停車場(ていしゃば)にその人を見送った。

村の入口では、つめたい風に細(こま)かい
落葉松(からまつ)が落葉(おちば)していた。
しきりなしに……
部屋数(へやかず)のあまった宿(やど)に、私ひとりが
所在(しょざい)ないあかりの下(した)に、その夜から
いつも便(たよ)りを書いていた。

立原(たちはら)道造(みちぞう)さん、あなたは
一九一四年の七月に東京に生れ、
一九三九年の三月に東京で病没(びょうぼつ)しました。
二十四歳と八ヵ月の
あまりにも短かったその一生は、
あなたの愛した信濃(しなの)追分(おいわけ)の高原から、
あおぎ見る浅間山の煙のように
永遠に空のかなたへ
消えてしまったけれど、
透きとおって弾(はじ)ける言葉が織(お)りなす、
命のささやきのような詩の数々は、
いまも、私たちに、
かけがえのないやすらぎと、
やさしい祈りのレクイエムを
もたらしてくれるのです。
あなたは、「のちのおもいに」という
詩の中で、次のようにうたいました。

「なにもかも、忘れ果てようと思い、
忘れつくしたことさえ、
忘れてしまったときには、
夢は、真冬の追憶のうちに
凍るだろう。
そして、戸をあけて寂寥(せきりょう)のなかに
星くずにてらされた道を
過ぎ去るだろう。」

二十五年にも満たない人生を
走るでもなく、なげくでもなく
従容(しょうよう)として、星明(ほしあか)りの道を
あゆみ去っていった立原(たちはら)さん。
ある霧雨(きりさめ)の日に、あなたが
高原の駅の停車場(ていしゃば)で、
見送ったのは誰でしょうか。
あなたの短かすぎた日々に、
恋の炎があざやかに燃えたことは
あったのでしょうか。
私は、あったと思います。
あった、
必ずあったと、信じています。
恋もないままに終ってしまったなんて、
かわいそうだと、俗っぽい私は
考えてしまうのです。
かなうことなら、私の手で、
この胸に抱きしめてあげたかったと。

立原さん、私はいま
信濃(しなの)追分(おいわけ)の草原に立って、
浅間山を見あげています。
ススキがゆれ動き、
ヒヨドリバナが乱れて咲き、
落葉松(からまつ)の林が続く、その向こうに、
浅間山が、大きな牛のように
うづくまっています。
夕焼けに、煙を赤く染めながら。
私は、高原の風の冷たさに、
首筋に両手をあてています。
そして、小鳥のように
空腹です。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2010年8月22日



ニューヨークの金魚

ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

私の母は、みやもとさゆり、である。
秋吉敏子に魅せられて
ジャズピアニストになり、
いま、ニューヨークにいる。
父は、おかやまはちろう、である。
神楽坂でちいさなアトリエを経営している。
ふたりは三年前に離婚し、
高校二年生の私、おかやまゆきこは
父と一緒に暮らしている。

我が家では、ずっと昔から
父が台所仕事を引き受けていた。
なつかしい母の味が、父の得意だった。
ガンモドキとアブラアゲの煮物とか、
キューリの酢のものとか。
母は、普段から演奏活動で、
家にいないことが多かった。
いつだったか、私は父に聞いた。
「どうして別れちゃったの?」
父は、世間話をするように言った。
「おたがい、四十(しじゅう)の坂も超えたんだし、  
 そろそろ、ひとりずつもいいかねえ、  
 なんて、ふたりで話しあってね」
私は、あれから、 恋愛とか結婚とか、わからなくなった。

このあいだ、六月二十日の午前二時に、
母のみやもとさゆりから
私のモバイルに電話がかかってきた。
「会おうよ、MOMA(モマ)で。  
えーっと、今度はね、  
ゴッホの『オリーブの木』の前、  
七月の二日か三日、午後三時。  
暑いよ、ニューヨークは」
みやもとさゆりは、
私が高校生であるとか、
十二時間のひとり旅であるとか、
そういうことは、まったく気にしない。
すべて彼女の都合で、
電話してくるように思えた。
これが三回目である。
会う場所は、いつも、MOMA(モマ)。
ニューヨーク近代美術館、
その五階である。
そのフロアには、十九世紀後半から 二十世紀前半までの、
ほんとうに沢山の 油絵が展示されている。
二度目に行ったのは去年の晩秋で、
ダリの「〈柔かい時計〉あるいは〈流れ去る時間〉」の前で、母と会った。
一度目はおととしの八月で、
モンドリアンの絵、
「ブロードウェイ・ブギウギ」の前だった。
それが私の、初めてのニューヨークだった。
出かける日に、父がニコニコしながら
私に言った。
「ああ、いいねえ、MOMA。
 ゆっくりしておいで」
それだけだった。
そして私は、ふわふわした気分で、
デルタ航空の古びたジャンボに乗り、
初めての海外旅行に出かけたのである。

七月二日、ニューヨーク午後三時。
ゴッホの「オリーブの木」の前で、
まるでピカソが描く女のような
たくましい母の両腕の中に
私は抱きしめられていた。
母が低く、つぶやく。
「ああ、元気そうだね。
 このあいだの夜、シカゴでね。
 ピアノの鍵盤(けんばん)の上に、
 おまえの後姿(うしろすがた)が見えたんだ」

陽気なギャラリーたちの間を、
みやもとさゆりと、おかやまゆきこが、
腕を組んで歩く。
アンリ・マチスの絵の前で、
母が立ち止り、思い出したように言った。
「はちろうはね、金魚が好きなんだよ」
緑色の壁がある明るい部屋に
金魚鉢が描(えが)かれていて、
金魚が一匹、 ボーッと浮かんでいる。
「ほら、似ているでしょ。ボーッとして」
母の声が、とてもやさしかった。
私は父と向いあっている時の、
あの、ここちよい退屈について
ぼんやり考えていた。
そうか、金魚だったんだ、あのひとは。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2010年7月11日

116912.jpg

ホタルブクロ

 
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

 「いらっしゃいませ。
 まあまあ、みなさん、
 ずいぶんお濡れになって。
 まだ、梅雨明(つゆあ)けにならないのかしら。
 はいはい、とりあえずのビールですね」

三軒茶屋にある「小町(こまち)」という名前の
小さなスナックのママが、
ゆっくりビールを注(つ)いでくれた。

それは七月上旬の夕暮で、
私たち仕事仲間が、おけいこの帰りに
いつものように顔を出した。
「小町」は古くからあるお店で
ママも、かなりの年齢である。
和服姿がよく似合う。
カウンターには季節ごとの
野に咲く花がいけてある。
その日は、竹の花瓶(かびん)に
ほそ長い釣鐘(つりがね)の形をした
うすむらさきの花が
ひっそりと、咲いていた。

「この花の名前は、
ホタルブクロといいます。
この釣鐘型(つりがねがた)の花の中に、
ホタルを入れましてね、
薄紙で蓋をして、
昔、子供たちが遊びました。
それで、ホタルブクロなんです。
私は、多摩川の上流にある
五日市(いつかいち)という町で、
少女の頃まで育ちました。
あの頃、昭和十年代の初め頃は、
まだまだ、自然がいっぱい
残っていました。私の家の近所に
私をかわいがってくれる
お姉さんがおりました。
いまで言えば、中学校の三年生、
くらいだったのだと思います。背の高い
美しいひとでした。
そのひとが、私を、ホタル狩りに
連れていってくれたのです」

そこまで話すと、ママは私たちのために、
ケンタッキーバーボンの、
ハイボールをつくってくれた。
それからレコードをかけた。
この店にCDはない。クラッシックな
ジャズが流れ始めた。
そして、ママもゆっくり話し始めた。

「暗い田んぼ道を、お姉さんと、
多摩川に注(そそ)ぐ小さな川の川岸(かわぎし)まで
ホタル狩りに行くのですが、
ときおり、大きな赤くひかるホタルが、
二匹、並んでひかっているのです。
これはね、カエルを追いかける
ヘビの眼なのです。
それがすーっと近づいてきたりして、
ほんとうにもう、びっくりします。
それから、捕ってきたホタルを
ホタルブクロの花に入れましてね。
ふたりで蚊帳を吊って、その中に入り、
電燈も消して、息をひそめて、その花を
見つめるのです。すると、
ふたりの呼吸のように、ホタルブクロが、
ひかったり、消えたり、ひかったり、
消えたり。こわくなるほど、きれいでした。
それから、しばらく、遊んだあとに、
ふたりで庭に出ましてね、しっとりと
夜露に濡れた草の上に、ホタルを全部
逃がしてやるのです。その理由(わけ)を
お姉さんが話してくれました。
『ホタルはね、ときおり、
 死んでしまった恋人の魂になって
 生きている恋人の所に、
 飛んできてくれるんだって。
 だから、大切にしないとね』」

そこまで話すと、ママは自分用に
ハイボールをつくり、そのグラスを
「カンパイ」という感じに差し出し、
ホタルブクロの花に、ちょっと触れた。
それを見ていて、私は、ふと、思った。
あの後(あと)、お姉さんはどうしたのだろう、と。
なんとなく、ホタルの灯(ともしび)のような、
恋の匂いがしたように思った。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2010年5月9日

a0050_000050_m.jpg

ホライズン

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

地平線のことを英語ではホライズンと言う。

水平線のこともホライズンと言う。
「ですから、ザ・サン・ライジズ・

アバブ・ザ・ホライズン。

という文章は、この一行だけでは、

太陽が地平線に昇ってくるのか、

水平線に昇ってくるのか、

ほんとうはわかりません。」

五月の中旬、よく晴れた風のある日。

月曜日の午後の、英語の授業。

いつも黒いスーツを着て

ちょっと謎めいて美しい人、

英語の松島めぐみ先生が、

よくとおる声で話している。

「でも、ここに書いてあるのは、

スコットランドの草原のお話ですから、

このホライズンは、地平線ですね」

そして、この声を聞きながら、宮下順子は

いつのまにか、眠ってしまった。

太平洋に向かって砂浜が続く、

茨城県の大洗(おおあらい)海岸にほど近い、小さな町で、
順子は、この春、中学二年生になった。

その日、学校が終って、その帰り道、

順子は、ひとり歩いている。
町の北側を、海に向かって流れる川の

土手の上にまっすぐ続く、

ソメイヨシノの桜並木の道である。

桜並木は、すっかり葉桜になって

その葉陰から、風が吹くたび、

パラパラ、パラパラ、

ちいさなソメイヨシノのサクランボが

落ちてくる。でも、このサクランボを

たわむれに口に含んだりすると、

びっくりするほど苦い。

そのことに彼女が気づいたのは、

小学二年生の頃だった。
桜並木を歩きながら、順子は思った。

「水平線と地平線が同じ言葉だなんて

なぜなんだろう。

小さな島に生まれ、一生そこに住む人は、

水平線しか知らないのかな。

大きな大陸の真(ま)ん中(なか)に生まれ、

ずーっと、そこに生きる人は、

地平線しか知らないのかな。

この町では、いつも太陽は、
水平線に昇り、地平線に沈むのに。」

そんなことを、順子は思った。

はるか遠い草原(そうげん)の地平線から

恋する男が裸(はだか)馬(うま)に乗って、走ってくる。

草原のこちら側から、恋する若い女が

やはり裸馬に乗って、

若い男に向かって走っていく。

そして、誰もいない草原で

ふたりは馬の上で抱き合い、

そのまま、抱き合ったまま、草原に落ちる。

そうやって、チンギスハーンの国では、

愛を誓いあったそうだ。

そういう話を、

東京で大学の先生をしている

母の弟にあたるおじさんが、

今年のお正月にお酒に酔って、

大きな声で話してくれた。

「まあ、子供のまえで」、と

母に言われながら。


真紅(まっか)な太陽が地平線に沈む。

その光の中で、抱き合っているふたり。
桜並木が終り、海に近づくあたり、
川には長い橋がかかっている。

橋の向こうに広がる海の色は、

そろそろ深い色に沈み始めて、

カモメが白く飛んでいる。

その橋の上に、海に向かって立っている、

ひとりの女性の姿があった。

黒いスーツの、その後姿に、

もしかしたら、松島先生かなと思った。

海をみつめているのだろうか。それとも、

誰かを待っているのだろうか。

そのとき、順子は、

そこに太陽が沈むはずはないのに、

水平線の空のあたりが、

真紅(まっか)に染まっていくのを見た。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ