小野田隆雄 2008年9月12日



曇った鏡

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳       

              
空飛ぶ円盤みたいな形の、
古びた丸い金属の物体で、
表面に竜の絵が
描かれているモノ。
それが小学生の頃、
初めて昔の鏡を、
写真で見たときの記憶でした。
中学生になってから
あの竜の絵の裏側の面が、
ピカピカに磨かれていて、
そこにモノが映り、
鏡の役割を果たしていたことを
知りました。
遠い遠い昔、太陽をつかまえてひかり、
モノの姿を映しだす鏡は、
そこに神様が宿るものと考えられて
深く信仰されていたのだそうです。

石見の国、いまの島根県、
浜田市に近い海岸に
小さな漁村がありました。
松林のあいだに
家々が並び立ち、
白い砂浜を、のぞんでいました。
その砂浜から沖まで舟を出し、
トビウオをとることで、
村人たちは生きていました。
ところで、この白い砂浜に
飛箱みたいな形をした、
大きな岩がありました。
その岩の上に、
三歳の子供の背丈ほどの
石造りの社が、
ひっそりと建っておりました。
そして、この石造りの社に、
一枚の古い鏡が
まつられていたのです。

さて、この村に、すっかり腰も曲がり、
歯も欠けて、白髪になった老婆が、
住んでいました。
彼女は、まいにち、この岩山にのぼり、
社に水をそなえ、六日に一度は、
鏡をていねいにみがきました。
それが彼女の仕事でした。
七十年ほど前、この村は
大きな津波に襲われ、
まだ少女だった老婆を除いて、
みんな死んでしまったのだと、
村人たちは聞いていました。
「鏡が曇ると、この村に
 悪しきことが起こるのじゃ。
 だからの、わらわは、
 このように、磨くのじゃ」
老婆は、ときおり砂浜で遊ぶ子供たちに、
話しました。
子供たちは、みんな、彼女の言葉を
信じていましたが、
ただひとり、この村でいちばん大きな家の
ひとりっこ、ハヤテマルだけは、
いつも、うすく笑っているのでした。

それは、ハヤテマルが十一歳に
なった九月の中旬、
とうとう彼は
満月に近い夜に岩山に登り
うすく笑いながら、
石造りの社の鏡に、
イカの墨を塗りつけたのです。

翌朝、老婆は狂ったように
鏡の異変を知らせました。
「逃げよ。津波じゃ」
けれど、ハヤテマルの
いたずらを知っていた村人たちは、
笑うだけで、誰も逃げませんでした。
そして、その日は、何ごともなく
夜になり、月が高くなるころには、
村人たちは、みんな寝てしまいました。
ですから、海が月光をあびながら、
一枚の青い岩のように立ちあがり、
すさまじい勢いで、
村に襲いかかってくるのを、
知るひとは、いませんでした。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2008年7月11日



その駅をおりて

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

 
その駅をおりて、
恋びとたちは、
夏の日の午後、
遠い森に出かけていく。
ふたりの愛のために。
生垣(いけがき)には
キョウチクトウが白く咲き、
公園では
ブランコがひっそりと
昼寝をしている。
暑さと暑さのあいだの、
ぬるま湯のような空気を
かきわけるようにして
ときおり、自動車が、
とおりすぎる。
どこかで、カナリヤが鳴いている。
少女が、ピアノをひいている。
モーツアルトの、
ひとつの、かわいい小夜曲(さよきょく)。
ふたりの影は
アスファルトの上に
抱きあうように
かげろうにゆれて。

その駅をおりて、
少年が走る。
いちょう並木がゆれ、
空は夕風(ゆうかぜ)の青さのなかを。
少年のひとみにある、
うすくれないの涙の色を、
おとなたちは
忘れてしまった。
記憶の波が
少年に手をのばし
さけばないその心は、
石だたみを数えている。

その駅をおりて、
さいはての国にゆく。
そして、さいはての星をみる。
海にあるのは波ばかり。
空にあるのは風ばかり。
・・・・・・
さようなら、あなた。
片道切符をにぎりしめて
ここまでひとり
やってきました。
楽しかった、多くの時(とき)を
やさしかった、多くの場面を、
ほんとうにありがとう。
でも、わたしは
すこしおとなになりました。
もう、これ以上、
わたしのために、
ピエロになってくださらなくても
いいのです。
この頃(ごろ)、ずっと、
感じていました。
あなたのピエロのまなざしが、
どこか遠い、
私の知らない世界を
見つめているのを。
ですから、これからは、
ふたりで同じ列車に
乗ることはないと思う。
そして、同じ駅で
おりることも。
このちいさな駅に
片道切符でおりました。
あんまりさみしいので
フローラルブーケの
オーデコロンを、
ほんのすこし、つけました。
今夜は、この港の民宿で
子供のように眠ります。
もしも、出来ることなら、
うまれた町の夢でも
みられたら、いいな……

その駅をおりて
夢の浮橋(うきはし)をわたれば、
そこは、ふるさと。

ふるさとは、今日も
麦秋のなかにねむっている。
誰かが、そっと
白い涙を流している。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2008年6月13日



琴を教える老女が語る傘の話

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳        

 
畳叩いて、こちのひと
悋気でいうのじゃないけれど
一人でさしたる傘ならば
方袖ぬれよう筈はない
トコトットット。

このおかしな歌は、明治時代の
はやり歌で、ラッパ節と申します。
えっ、わたくしの
子供の頃の歌かって? そんな、あなた、
それでは、わたくし、
百歳をこえてしまいます。
幼少のみぎり、祖母から
聞いたのでございます。
トコトットット、このはやし言葉が、
なんとなく、兵隊さんの
ラッパの音色に
似ていますでしょう?
はぁ?歌の意味がわからない?
ああ、そうでしょうねえ。
平成の御世ですものねえ。

ここにね、好きあって一緒になった
夫婦がいると、おぼしめせ。
ところが、殿方というものは、
ときおり浮気の虫に誘われる。
ある雨の夜のこと。
ご主人がいつになく、
遅く帰ってきました。
「いやぁ、ひどい雨であった。
 吉田の家で、傘を借りてね」
などと、ぶつぶつ、いいわけをいう。
そこで、奥方、たまらずに、
悋気の炎を燃やします。
つまり、ヤキモチでございますね。
やおら、きちんと坐りなおし、
畳をポンと叩いて、問いただします。
「まあ、あたな、しらじらしいこと。
 おひとりで傘をおさしになったのなら、
 なぜ、方袖ばかり、
 こんなに濡れるのでございます?
 どなたか、粋なお方と
 相合傘だったのでございましょう?
 わたくし、おさきに、
 やすませていただきます」……
ま、こんなあんばいでございます。

 ところで、あなた、
相合傘って、ご存知?
そうそう、殿方と御婦人が
ひとつの傘に入ること。
あれは、なかなか、
乙なものでございました。
 
 例えば、雨の銀座の柳の下を
殿方の番傘に入れてもらって
歩きますとね、
傘に当る雨音が、あたたかく聞える。
ときおりは、柳の枝が
傘の上にサラサラ鳴る。
㊚「濡れませんか。
冷たくはありませんか。
さ、もっと、こっちへ」
㊛「ハァ、いいえ、どうも、
おそれいります」
 すると、私の肩が、
 殿方の肩に触れる。
 ギュッと、あたたかい感触が
こちらに伝わってくる。
㊚「香水をお使いですか。
いい香りがする」
などと、いわれると、
もう、たいへん。……

おや、まあ、ごめんあそばせ。
わたくしにも、若い頃が
あったのでございます。
あら、雀が鳴き始めました。
ようやく、雨もあがったようですよ。
今日は、雨のおかげで
昔話を聞いていただけました。
あなたは、お若いのに
お琴がお好きなんて、
ほんとうに、うれしい。
はいはい、それではまた来週。
ごきげんよう。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

*「のんちゃん」ファンのみなさま、Tokyo Copywriters’ Street ライブに
 ご来場くださってありがとうございました。

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小野田隆雄 2008年5月2日



ヒレアザミの告白

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

五月半ばを過ぎると
草も木も、緑の色が深くなります。
そのかわり、雨の日も多くなり、
やがて梅の実が大きくなり、
日本列島は梅雨に入ります。
その頃から、
紫と赤の絵具で描いたような
アザミの花が咲き始めます。

アザミは、ちょっと
かわいい花です。
けれど、この花に
なにげなく手をのばすと、
花についている鋭いトゲに
チクリと刺されます。
その痛さに、思わず指を引っ込め、
おどろいてしまうので、
アザミという名前に
なったそうです。
古い日本語に
「あざむ」という動詞があって、
びっくりする、驚きあきれる、
という意味があります。

私は、ヒレアザミです。
すこし、私のことを話します。
サクラという名前の木はなくて、
ヤマザクラとかソメイヨシノとか
固有名詞があるように、
ほんとうは、アザミという名前の
草はありません。
オニアザミとか、ノアザミという
名前を、それぞれ持っているのです。
理屈っぽく申し上げますと、
キク科アザミ属のナントカアザミ、
それが正しい自己紹介になります。
ところで私は、
ヒレアザミと名乗っていますが、
ほんとうはアザミ属ではないのです。
キク科ヒレアザミ属という、
ちょっと変わり者です。
そのかわり、トゲだけは、
葉にも茎にもいっぱいあります。
ヒレと名づけられたのは、
ちょうど、魚のヒレのように、
トゲがついているからです。
なんだか、恐ろしげな感じが
しますか。すみませんねぇ。
でも、花の色は、
アザミ一族よりも、
きれいなのですよ。
かわいいねぇと、
ずいぶん、昔から
見つめられた。
見つめてくれても、誰も
手をのばしてくれなかった。

でもねぇ、トゲくらいあったって、
いいじゃないの。
なんて、ときどき思うのですよ。
スズランという花は、
ご存知ですね。
君影草、谷間の百合、小さな鐘、
妖精の杯。これはみんな、
スズランお嬢さまのニックネーム。
うらやましいったら、ありゃしない。
そしてさらに、
清純な香りまであるのだから、
愛されるのは、あたりまえ、
なのかも知れません。
だけど、私は知っています。
スズランには毒がある。
だから、北海道の牧場で、
馬たちは、決して、この花を
食べないのです。

五月になりました。
そろそろ、私も
咲き始めようかな
と、思っています。
そして、ほんとうに
心のやさしいひとが、
私のトゲを、
無くしてくれるのを
待っています。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2008年4月18日



深い山で歌を歌った男の話

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳        

相撲という格闘技は、
神にささげる儀式として誕生しました。
平安時代、現代の暦で言えば八月の終りに、
帝の御前で、力士が東西に分かれて
相撲をとり、「今年は東の国と西の国と
どちらが豊作になるか」、それをうらなう
大切なまつりごとがあったのです。
ところで、その当時、
まだ、専門の力士はいませんでした。
そのために、四月の下旬になると、
宮廷から全国に使者が派遣され、
力自慢を捜し出し、京に連れてきて
力士にしたのでした。

ある年の四月の終り、
たちばなのよしとみという男が
使者をおおせつかり、
はるか東国にまで、出かけていきました。
彼は陸奥国、現代の福島県で、
力自慢を捜しましたが見つからず、
南隣(みなみどなり)の常陸国、
いまの茨城県に,
いってみようと思いました。

陸奥国から常陸国へと抜ける道に
焼山という名前の
山深い峠がありました。
よしとみは馬に乗り、
四人の部下は歩きながら、
峠道を進みました。
その道はしたたるように
若葉がおおいかぶさり、
はるか見あげると
雲ひとつない青空です。
ときおり、カモシカが
姿をみせるほか、何も動くものはありません。
風もまったく吹きません。
静かです。さびしいほどの静けさに、
よしとみは、歌をうたいたくなりました。
彼は京では評判の、のど自慢だったのです。
常陸歌という、この国の神々を
ことほぐ歌を、彼はうたいました。
筑波嶺の このもかのもに
陰はあれど 君がみかげに
ますかげはなし
筑波山のあちらこちらに、ここちよい
木陰はあるけれど、あなたの尊い御影に
よりそっているのが、最高でございます……
よしとみの声は、透きとおるように
高くひびき、青空に消えてゆきます。
すっかりよい気分になって、
彼は、くり返し くり返し歌いました。
そのときです。
「あな、おもしろ」
明るい大きな声が、山にこだまし、
谷底に、ころげ落ちるように、消えました。
そして、ポーンと手を打つ音。
よしとみは馬をとめ、
部下をふりかえり、尋ねました。
「誰そ?」
けれど、部下たちには、その声そのものが
聞えなかったのです。
よしとみは、急に髪の毛一本一本が太くなる
ような感じがしました。
冷たさが全身を走りました。
彼は、馬をいそがせ、いちもくさんに
峠をくだりました。

ようやくたどりついたその夜の宿で、
たちばなのよしとみは、
ふるえが止まらぬまま眠りましたが、
そのまま目覚めることなく、
死んでしまいました。

されば、と、古い物語の言葉は
続きます。
そのようなひとざと離れた
深い山で、
むやみに美しく歌うものではない。
山の神が、その声をめでて、
自分の世界へ、招きよせてしまうのだと。
はてさて、まことやら、いつわりやら、
今は昔の、遠いおはなしでございます。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2008年3月14日



花盗人 
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

 
ひな菊と呼ばれる花があります。
ひなは、おひなさまのひなで
花の姿が、かわいらしいので
こう呼ばれるのだそうです。
春になると、菊の花の形をした
小さな花を咲かせます。
この花を
英語では、デージーと呼びます。

さて、テレビがモノクロだった頃の
お話です。

北関東の赤城山が見える小さな町の、
麦畑や竹やぶが続く
町はずれに
「お花病院」と呼ばれる病院がありました。
このお医者さまの庭には、
いつも季節の花が
こぼれるように咲いているのです。
周囲は白いペンキ塗りの板べいに囲まれ、
西洋ふうの二階建てで、
赤レンガの屋根には
かわいい風見鶏がついていました。

四月の、ある日曜日の午後、
男の子がひとり、
白いペンキ塗りの、板べいの
ふし穴から、じっと、
病院の庭をのぞいていました。
視線の先には、ピンクや白い
ひな菊の花が、
おしゃべりするように
咲いています。
彼は、じっと花をみつめています。
小学校三年生の彼は
花が大好きでした。
チャンバラごっこや竹馬よりも、
花を植えたり育てたりするほうが、
ずっと好きでした。
彼は、よく、この板べいのふし穴から
庭をのぞいていたのです。
でも、今日、ひな菊を
みつめているうち、
「あの花が欲しい」と
急に、思ってしまいました。

白いペンキ塗りの板べいの一ヵ所に
門がついていて、
「本日休診」の札がかかっています。
でも、鍵はかかっていません。
建物の中は、ひっそりしていて
ひとの気配もないようです。
屋根の上で、風見鶏が、風を受けて、
カラカラ、カラカラ、鳴っています。
少年は、息をころして
その門からしのびこみました。
はうようにして、ひな菊に近づき、
むしり取るように、盗みました。
それから、後もふりかえらずに
竹やぶの陰に向かって走りました。
竹やぶの中に入り、少年は、
ほっと息をつきました。
両手でつつむように、持っていた
ちいさなひと株のひな菊は、
まるで小鳥のように
息づいているようでした。
少年の爪のあいだには、
黒い土が、びっしりつまっていました。

少年は、ひな菊を、
自分の家のせまい花壇のすみに
ひっそりと植えました。
でも、ひな菊は、根づきませんでした。
一週間もすると、しおれていき、
五月になる頃には、枯れました。
ごめんよ、と少年はつぶやきました。
花を盗んだということは、
あまり、悪いとは思いませんでした。
枯らしてしまったことが、
とても、かわいそうに思えたのです。
その日から、少年は、
「お花病院」のお花畑を
覗き見ることを
やめてしまったのでした。
そして、いつのまにか花を見ることより、
野球が好きな少年に
なったのでした。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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