伊藤健一郎 2017年7月2日

ito170702

「羽化」

    ストーリー 伊藤健一郎
       出演 地曳豪

もう寝るところ。遅い時間だったと思います。

「おもてで一服してたら、見つけてさ」
ふいに祖父が拾ってきたのは、
生きているのか、死んでいるのか、よくわからない塊でした。

祖父は、その塊を、居間のカーテンに引っ掛けて、
「見ていてごらん」私にやさしく微笑むのでした。

大きさは4、5センチ。薄茶色だったと思います。
おそるおそる近づくと、昆虫なのだとわかりました。

でも、何か変です。
その体は、すでに体としての役目を終えているようで、
かわりに、体内で何かが動く気配がありました。

当時の私は、虫が苦手でしたが、不思議と気持ち悪さはなく、
これから神聖な瞬間を目撃する、その予感だけがありました。

5分、10分、30分…、息をころして見守り、
「何かが来る」と思った矢先、
その背中が割れたのを覚えています。

青白い光を放つ物体が、
かつて体だったものを突き破ってあらわれました。
暗くしていたわけでもないのに、
部屋がパッと照らされた気がしました。

「羽化だよ」祖父は静かに言いました。
私は、生まれたばかりのそれから目をそらすことができず、
ただ黙って頷きました。
触ったら壊れてしまいそうな、繊細でやわらかな、白い生き物。
羽化したセミは、あたらしい体に慣れないようで、
小さく小さくたたんだ羽を、長い時間をかけて広げました。
ひとつも皺が残らぬよう丁寧に。

祖父の手に抱かれ眠っていた塊が、生まれ変わるまで、1時間。
気づけば私は、1日中遊びまわっていたかのように、
大量の汗をかき、パジャマをぐっしょり濡らしていました。

「こいつは、長いこと土の中で暮らしていてね、
いま初めて地上の世界に出会うんだ」
祖父は、飽きずに見入る私の頭をなでながら言いました。
「外にかえしてあげよう」

ようやく羽らしくなった羽を傷つけないように、
カーテンから引きはがそうとすると、
セミは、思ったよりも素直に手の中におさまりました。
鳴き声ひとつあげませんでした。

夜風にあたると、さみしさがこみあげましたが、
私の手をはなれ、桜の幹にしがみついた彼は、なんだかうれしそうで。

羽を大きく広げると、一瞬からだを震わせて、夜空に飛び去りました。
呆然と立ち尽くす私を置き去りにして、
さっきまで手の中にいた彼は、闇に紛れて消えました。

家に戻ると、カーテンには、抜け殻が残っていて、
かつて命を包んでいたそれは、まだすこし温かかった気がします。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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十五の夏

十五の夏

     文:伊藤健一郎
     声:地曵豪

はじめて一人で旅に出たのは、十五の夏だった。
高校一年の夏。

中学まで部活一筋だった僕は、入学早々、肩を壊した。
過度なトレーニングのせいで。

情熱のやり場がわからなくて、
時間だけが途方もなく広がっていて、
どうしようもなく怖かった。

放課後、部活に向かう仲間たちを見ると、
何もせずに帰るのが悔しくて、夜になるまで寄り道をした。

もうすぐ夏休みのある日、
本屋で時間を潰していると、一枚の写真に目がとまった。

石割桜。
盛岡に植わるその桜は、巨大な花崗岩を割って咲く。
いつかの小説の舞台が、そこにあった。

すぐに準備をしたのを覚えている。
荷物はシンプル。着替えを詰めたザックがひとつ。
18きっぷを購入した。

夏休みに入るや否や、盛岡へ。
実家のある浜松からは、鈍行で丸二日かかった。

ようやく辿り着いた場所。
真夏の桜に、花が咲いてるはずはなかった。
桜の前に腰を下ろし、持ってきた小説を開く。
浅田次郎「壬生義士伝」にはこんな文章がある。

盛岡の桜は、石ば割って咲ぐ。盛岡の辛夷は、北さ向いて咲ぐ。
んだば、おぬしらもぬくぬくと春ば来るのを待ってるではねえぞ。
春に先駆け、世にも人にも先駆けで、あっぱれな花こば咲かせてみよ。

はじめて一人で旅に出たのは、十五の夏だった。

あれから、いろんな土地を訪ねたけれど。
「旅」という言葉で思い出すのは、
青々とした葉を揺らす、あの日の石割桜だ。

東北へ行こう。


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