佐倉康彦 2009年8月20日



同じ窓の下にいたのは
       
                
ストーリー サクラヤスヒコ
出演  片岡サチ        

小雨の中、一時間ほど遅れて
割烹料亭とは名ばかりの、
ただ旧いだけの居酒屋に着いた。
店の一番奥にある座敷の広間、
その手前に置かれた垢抜けない行灯に、
私の通っていた高校の名前を 見つける。
かなり無理をして買った ブランド物のパンプスを、
わざと目立つ場所に置き換える。
地元のどこかのセールで買った
流行遅れの下品なピンヒールや
一度も手入れをしていないであろう
ゴム底の踵が擦り切れた
ビジネスシューズたちの中で、
私のそれだけは別の世界に あるように見えて
少しだけ満足する。

六年ぶりの帰省を考えはじめた夏の走り
唐突に掛かってきた 旧い友人からの電話。
その彼女の声に勧められるがまま、
「そうね、ついでだから」と、
同窓会の出席を、渋々、 承諾する
忙しい都会の女を演じた。
あの頃のクラスメート全員に、
会いたいというわけではない。
逆に、会いたくない人間の方が 多い。
あの頃の私がされたことを
忘れたふりができるほど、
私は諦めがよくはない。
さほど広くない座敷に三十数人ほど、
女の出席者は三割にも満たない。
「田舎でヒマだから 出席率いいんだ」
心の中で、凍るように
ひきつり嘲笑(わら)いながら、
私は、あのひとを探した。

七年前、記憶のいちばん奥の
暗くて硬いところに
塗り込めてしまった
あのひとの顔を探していた。
そんな私を目聡く見つけ
十五年前と変わらない
嬌声(こえ)で 私の名を呼ぶ
件(くだん)の友人。
彼女の声に小さく応え、
隣におずおずと座る。
座が、シラケているわけではないが、
どこか冷たく醒めた匂いが充満した座敷の
上座に 当時の担任教師がいた。
気に入ったコだけを露骨に
依怙贔屓する一方で、
出来ないコに 徹底的して冷淡だった
狐目の体育教師が、
今では、穏やかに温かな笑みを
振りまく好々爺然だ。
そして、 余りに老齢となった
担任の脆い佇まいと
そうなるまでの時間の永さに
今更のようにおののき、
じつは、自分たち自身も、
あの座敷の前に散乱する擦り切れた
靴のごとく 脆く摩滅していることに
気づきはじめているようだった。

会は恙無(つつがな)くお開きとなり、
誰もが覚束ない足取りで、
店の外へと出て行く。
もう、私は「あのひと」を
見つけることができないのかもしれない。
この日の幹事でもある友人は
出席者の忘れ物チェックで座敷に
最後まで残っていた。
その彼女を待って
「二次会、逃げていい?ゴメン…」
そっと呟く私の横で
彼女は俯いたまま、
ゆっくりと顔を上げ遠い目をしながら
独り言のように囁いた。
「七回忌、だよね…」
あまりにも自然に、なんの衒いもなく
彼女の言葉が私の中に染みこんでゆく。

足許にある
かつてのクラスメートたちに
何度も踏みつけられ、
無様な格好で転がる自分のパンプスを、
私は、黙ったまま見つめた。
「これは、私だ」
こんなところにあの頃の私がいた。
「あのひと誰だっけ?」
こちらを盗み見ながらも、
明らかに私に聞こえるように
喋っているのは、
かつて同じクラブで
一緒に絵を描いていた女だった。
「ねえ、あのひと、誰だっけ?」
そう、
私もここでは、「あのひと」なのだ。
きょう、 会うことが適わなかった
「あのひと」のまわりには、
あと数日で、
朱いリコリスの花が、いっぱいに咲く。

出演者情報:片岡サチ 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋



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