中山佐知子 2010年2月25日



風の娘

               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

風の娘をつかまえた。

ナイルでは冬になると風は海から吹き上げる。
その風の助けを借りれば
舟は水の流れに逆らって川の上流へと進む。
けれども風は気まぐれで
ぱたっと止んでは舟を止めることがあったし
悪い方向に吹くこともあった。
それでもこの土地では
数千年の昔から三角の帆を張った舟をナイルに浮かべ
人と物資が行き交っていた。

僕は風の娘を舟の舳先に繋ぎ
マストを高々と立て、新しい帆を張った。
風の娘は喜んで白い帆に力を与え、舟を上流へと導いた。

パタパタと帆がはためく音が聞こえる。
頭の上はひとかけらも雲のない青空だった。

ナイルはエジプトの国土をふたつに分けている。
東の岸辺には人々が暮らしを営む生者の街があり
陽の沈む西の岸辺には岩山ばかりの死者の都があった。
ナイルは雨のない国に大量の水を与え
穀物が取れるようにした。
洪水でさえ土地を肥やし、天文の知識を与えた。

けれどもこの国には無慈悲なほど資源というものがなかった。
金銀銅は産せず宝石もなく、武器をつくる鉄もなかった。
あるのは石と紙ばかりで
舟にする木材さえ、結局はよその土地から
舟で運んで来なければならなかった。

僕は冬のあいだナイルを行ったり来たりして暮らした。
ワイン、豆、黒曜石に象牙、金や銀
舟はいつも豊かな積み荷であふれ、僕は幸せだった。
けれどもそれはナイルの水運があっての豊かさであり
そのナイルも風がなくては何も運べないのだ。
エジプトでは冬が終わると悪い季節風がやってくる。
さよなら、と風の娘が言ったとき
僕は娘の名前をたずね、その名前を舟の名前にした。

それから、僕の舟は
風のない日でも下降気流をつかまえて川を遡るようになった。
僕はときどき声に出して舟の名前を呼ぶ。
美しい弧を描く船体に高々とマストを立て
白い三角の帆を揚げた僕のファルーカ。

ファルーカという名前は
いまナイルに浮かぶすべての舟の名前になっているけれど
その名を呼ぶとき、僕はいつも
長い髪をなびかせていた風の娘を思い出す。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP


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