小野田隆雄 2010年7月11日

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ホタルブクロ

 
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

 「いらっしゃいませ。
 まあまあ、みなさん、
 ずいぶんお濡れになって。
 まだ、梅雨明(つゆあ)けにならないのかしら。
 はいはい、とりあえずのビールですね」

三軒茶屋にある「小町(こまち)」という名前の
小さなスナックのママが、
ゆっくりビールを注(つ)いでくれた。

それは七月上旬の夕暮で、
私たち仕事仲間が、おけいこの帰りに
いつものように顔を出した。
「小町」は古くからあるお店で
ママも、かなりの年齢である。
和服姿がよく似合う。
カウンターには季節ごとの
野に咲く花がいけてある。
その日は、竹の花瓶(かびん)に
ほそ長い釣鐘(つりがね)の形をした
うすむらさきの花が
ひっそりと、咲いていた。

「この花の名前は、
ホタルブクロといいます。
この釣鐘型(つりがねがた)の花の中に、
ホタルを入れましてね、
薄紙で蓋をして、
昔、子供たちが遊びました。
それで、ホタルブクロなんです。
私は、多摩川の上流にある
五日市(いつかいち)という町で、
少女の頃まで育ちました。
あの頃、昭和十年代の初め頃は、
まだまだ、自然がいっぱい
残っていました。私の家の近所に
私をかわいがってくれる
お姉さんがおりました。
いまで言えば、中学校の三年生、
くらいだったのだと思います。背の高い
美しいひとでした。
そのひとが、私を、ホタル狩りに
連れていってくれたのです」

そこまで話すと、ママは私たちのために、
ケンタッキーバーボンの、
ハイボールをつくってくれた。
それからレコードをかけた。
この店にCDはない。クラッシックな
ジャズが流れ始めた。
そして、ママもゆっくり話し始めた。

「暗い田んぼ道を、お姉さんと、
多摩川に注(そそ)ぐ小さな川の川岸(かわぎし)まで
ホタル狩りに行くのですが、
ときおり、大きな赤くひかるホタルが、
二匹、並んでひかっているのです。
これはね、カエルを追いかける
ヘビの眼なのです。
それがすーっと近づいてきたりして、
ほんとうにもう、びっくりします。
それから、捕ってきたホタルを
ホタルブクロの花に入れましてね。
ふたりで蚊帳を吊って、その中に入り、
電燈も消して、息をひそめて、その花を
見つめるのです。すると、
ふたりの呼吸のように、ホタルブクロが、
ひかったり、消えたり、ひかったり、
消えたり。こわくなるほど、きれいでした。
それから、しばらく、遊んだあとに、
ふたりで庭に出ましてね、しっとりと
夜露に濡れた草の上に、ホタルを全部
逃がしてやるのです。その理由(わけ)を
お姉さんが話してくれました。
『ホタルはね、ときおり、
 死んでしまった恋人の魂になって
 生きている恋人の所に、
 飛んできてくれるんだって。
 だから、大切にしないとね』」

そこまで話すと、ママは自分用に
ハイボールをつくり、そのグラスを
「カンパイ」という感じに差し出し、
ホタルブクロの花に、ちょっと触れた。
それを見ていて、私は、ふと、思った。
あの後(あと)、お姉さんはどうしたのだろう、と。
なんとなく、ホタルの灯(ともしび)のような、
恋の匂いがしたように思った。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋



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