吉岡虎太郎 2011年2月20日


「あけましてピヨピヨ」

             ストーリー 吉岡虎太郎
                出演 地曵豪

ああ、今年も書かなかった。
…と後悔してしまうのは、
ポストに届いた年賀状の束を眺める時だ。
不義理をしている、と思う。

「年明け年賀」というものがあると知って、
それはとてもいい考えだと思ったが、
思っただけで、やっぱり実行できなかった。

世の中は善意の人たちで
構成されていると思うのは、
「俺は年賀状を出したのに、
お前は返してくれないじゃないか」
と責められたことが一度もないことだ。

それとも、心の中では激しく僕を責め立てていて、
「M-1どうだった?」とか、
「もち何個食った?」などと
何気なく接し続けることで、
婉曲的に、僕に自責の念を呼び起こそうと
しているのだろうか。
だとしたら、それはあまりに婉曲すぎる。無意味だ。

無意味なコミュニケーションといえば、
ツイッターのフォロワーという人々とのやりとりだろう。

昨年ある日突然、ピヨピヨママン(仮名)なる
子持ちの人妻からメッセージが届いた。
「おひさしピヨ~。私のこと覚えてるピヨ?」
なれなれしい口調だが、驚くべきことに、
まったく記憶にない。

高鳴る胸。湧き上がる期待。震える指。
「たぶんわかると思うけど…、ヒントはありますか?」
「昔の友達ピヨ~」
「大学の友達でしょうか?」
「ちがうピヨ~」
「バイトの仲間ですか?」
「全然ちがうピヨ~」
「あの、もう少しヒントをもらえるかな(笑)」
「あ~、忘れてるピヨ!」
「いやいや…(汗)」
「ひどいピヨ!」「ごめんピヨ!」
「ピヨピヨ!」「ピヨーン!」
…僕は疲れ果てて連絡を絶った。

このような不安定なコミュニケーションと比べて、
年賀状ははるかに人間らしい、
温もりのあるつながりを提供してくれるはずだ。
なのに、もう、何年も書いていない。

…そうだ、「思いつき年賀」というのはどうだろう。
一年のいつでもいい、思いついた時に、
思いついた場所からメッセージを送るのだ。

桜舞い散る春のうららかな午後、
猛暑の予感に包まれた夏の朝、
天高く馬肥ゆる秋の夕暮れ、
眉間にしわを寄せ、一枚のハガキを手に、途方に暮れる人々…。

「あけましてピヨピヨ」

今日は2月1日。旧い暦ではお正月だそうです。
ことしも、よろしくお願いします。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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