渡辺潤平 2011年5月15日



FM696
               ストーリー 渡辺潤平
                  出演 大川泰樹

そんなワケで俺は今、新小岩のカプセルホテルにいる。

さかのぼること5時間前、俺は武道館のステージに立っていた。
さんざめく光と声援を一身に浴びながら、
俺はギターをかき鳴らし、そして歌った。

ライブの出来は最高だった。
そもそも俺のステージに、失敗する理由など見当たらない。
オーディエンスのボルテージは、一曲目から最高潮。
バンドのコンビネーションも上々。
俺のノドもコンディションは最高。
持病のヘルニアも、騒ぎ出す気配はない。
命と命がぶつかり合う、魂の120分。
俺のヴォイスと会場のヴァイブスがひとつになる。
その瞬間、俺は祈りにも似た感情を覚えた。

その夜の打ち上げは最高だった。
浴びるようにシャンパンを飲み、誰彼かまわずハグを交わした。
みんな笑顔…だったような気がする。どうやら俺は飲み過ぎたようだ。
いつしか俺は記憶をなくし、買ったばかりのスマートフォンをなくし、
右の肩パットとスカルのリングをなくし、
気づいたときはタクシーの後部座席でカエルのようにぶっ潰れていた。

俺を乗せたタクシーは、新小岩というシラケた駅で止まった。
何でも俺は車内で「新小岩」とさかんに口走ったらしい。
「しんどいわ…」 そうつぶやいたのを運転手が聞き間違えたのではないか。
そんなことを勘ぐってみても、もはや、あとのフェスティバルだ。
とにかく俺は、俺という存在におよそ似つかわしくない街で路頭に迷うことになった。
ケータイがないからマネージャーに連絡も取れない。
事務所に連絡を入れたいが、電話番号など知ったこっちゃない。
いつもは歩いて3分の距離でさえ、黒塗りの大げさなクルマで送り迎えだ。
事務所がどこにあるのかさえ、正直なところ、よく分かっちゃいない。
まあ、新小岩じゃないことは確かだが。

しかし、何だろう。この解放感は。
いつもならサングラスとマスクなしでは街を歩くなんて到底できやしないが、
ここじゃ俺のことなど誰も気に留めていない。
ハエのようにたかるマネージャーも、
メンバーの連れのいとこの友達だとか言いながら
スタッフ面して楽屋に居座るカラッポな連中も、
俺が何か言うと、条件反射みたいにバカな笑い声を立てる
レコード会社のオッサン達もいない。
隙を見せりゃトイレの中までついて来ようとするグルーピーの気配もない。
ドラムスのデブが放つワキガに目眩を起こす必要もなきゃ、
ベーシストの8ビートの貧乏ゆすりに殺意を抱く必要もない。
FREEDOM!!
俺は、今、自由だ。これこそロックだ。俺が長年、探し求めていたものだ。
俺を縛りつけるものは、今、何もない。
しかし、金もない。部屋の鍵も見当たらない。
さっき気づいたが靴も履いてない。
仕方ない…。俺は冷えきった足の裏の痛みに耐えきれず、
駅前のすすけたカプセルホテルにチェックインした。

安っぽいシャンデリアと、生乾きのタオルのような臭い。
ブラウン管のテレビから流れる通販番組では、
数年前、俺につきまとっていたアイドルが、疲れた顔をしてはしゃいでいる。
俺が生活している六本木のホテルとは月とスッポン。
いや、ミドリガメの赤ん坊レベルだ。
だが、悪くない。むしろ、懐かしさすら覚える。
金などなく、時間と不確かな自信だけを持て余していた20代。
あの頃の、心細さと大胆さをシャッフルしたような感覚が俺のハートを駆け巡り、
鼻の奥がツンとなる。最近、どうもセンチメンタルでいけない。

往年のジャニス・ジョップリンを彷彿とさせる二の腕を震わせて、
フロントのおばちゃんが俺に手渡したキーのナンバーを見て驚いた。
696番。ロックンロール。
もしかしたら今夜、俺はロックの神に導かれしまま、
この場所へ辿り着いたのかもしれない。
そんなことを考えながら、カプセルの中へ身体をねじ込む。
おぞましいほど狭い。そして微妙に臭い。
最低だって?とんでもない。最高だ。
母の胎内に居たときの記憶だろうか…遺伝子たちが騒ぎ始めたのが分かる。
下のカプセルから聞こえてくるイビキと歯ぎしりが、
心地よいビートとなって俺の右脳を打ち鳴らす。
ナパバレーのスタジオでさえ、俺をここまでリラックスさせてくれることはなかった。
俺の内部から、言葉が、そしてメロディーが次々にあふれ出して止まらない。

俺はハッキリと確信した。ついに見つけたんだ。
俺だけのサンクチュアリを、ここ新小岩に…。

その日以来、俺はこのカプセルから出ていない。
事務所の連中やバンドのメンバーは、躍起になって探していることだろう。
いや、もうあきらめている頃かもしれない。
だが、俺はもうここを出るつもりはない。出る必要がないのだ。
なぜって、ここが俺の探し求めていた場所なのだから。

これから俺は、
こうして偶然ラジオを聴いている幸運なファンのためだけに、
俺の歌を届けていこうと思う。

それじゃあ聞いてくれ。できたての新曲、「カプセル」

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP


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