阿部光史 2012年2月5日

トンネルの話

            ストーリー 阿部光史
               出演 水下きよし

「ちょっとした肝試しのつもりだったんです」
でもそれは、大きな間違いだった。

ある新月の夜、わたしは
自分が勤める会社の研修施設を目指して、
住宅が立ち並ぶ山沿いの道を歩いていた。

夕刻までに施設に入るように。
そう言われていたのだが、本社での急な残業が入り
ずいぶんと遅い時間になってしまった。

この先にある短いトンネルを抜ければ
いつもの道よりも、ずいぶんと近道になるらしい。

携帯の地図アプリがそう教えてくれたので
わたしは初めての道を、少し急ぎながら歩いていた。

そろそろトンネルが見えてくるはずだ。
そう思った時、ふっ、と街の灯りが、消えた。
停電だ。いまどき、珍しい。

そのうち復旧するだろう。そう思いながら、
星明りに照らされた住宅街を進むわたしの前に、
真っ黒な口をぽかんと開けたような
トンネルの入口が現れた。

車一台がようやく通れるような小さな入口である。
中は真っ暗闇で、携帯の光で照らしてみても、
壁も、床も、向こうの出口も全く見えない。

なぁに、距離は100メートルもないはずだ。
ちょっとした肝試しのつもりで、楽しめば良い。

そう思ったわたしは、意を決して、
真っ暗なトンネルの中に足を踏み入れた。

ひんやりとした空気の中、足音が嫌な感じで周りに反響し、
携帯の光も先には届かない。
電波も、圏外に変わった。

早く通り抜けてしまいたい。
わたしは早足で歩き続けた。

しかし妙な事に、歩いても歩いても、出口の近づく気配がない。
ふと研修施設の掲示板の小さな張り紙を思い出した。
「注意:停電の夜はトンネルを通らないこと」
停電って、今夜じゃないか!

「もしもし」男の声がした。

うあ!わたしはあまりの驚きに声を上げ、携帯を落としてしまった。
バッテリーがはじけ飛ぶ音が聞こえ、あたりは完全な闇となった。

「もしもし」
ひっ!

「すいません、脅かすつもりはありません。
 人と久しく話しておらず、失礼があれば申し訳ない」

暗闇で男の顔が全く見えないのだが、悪い人ではなさそうだ。
しかし、こんな所で突然話しかけてくるとは気持ちが悪い。

どうはじけ飛んだのか、携帯をいくら探しても見つからない。
困っているわたしにかまわず、男は話を続けた。

「ありがとうございます。これでやっと、家に帰れる。
 やっとトンネルを、出られるんです。ありがとう、ありがとう」

男が何を言っているのかさっぱり理解できない。
あの、それはどういうことでしょうか。
説明を求めるわたしに、男が答えた。

曰く、停電の夜にこのトンネルを通る人は、かならずトンネルに
囚われてしまい、出られなくなってしまう。そこから逃れる方法は
ただひとつ、次の停電の夜に、別の誰かがトンネルを通ること。
それまでずっと、囚われた人はトンネルにとどまり続けなくてはならない。

ふざけているんですか、私は答えた。馬鹿馬鹿しい。
じゃぁなぜあなたはそれを知っていて、トンネルに入ったんですか。

「ちょっとした肝試しのつもりだったんです」

ひんやりとした汗が、わたしの首筋を流れ落ちた。
わたしは携帯を探すのをやめ、再び歩き始めた。
今すぐ、ここを出なくてはならない。

男は後ろから追いかけながら、暗闇の中、こう続けた。

「そう決まっているんですよ。じたばたしてもムダなんです。
 きっとすぐ、次の人が通りますよ。たいしたことはありません。
 それまで待つだけじゃありませんか。」

わたしは男の声を振り払うように歩き続けたが、
いくら歩いても、出口は一向に近づかない。
むしろ遠ざかっているようにも感じてきた。

これは、男の言うとおりなのかも、知れぬ。

「ここでね、暗い中で、自分の人生をゆっくり
 振り返ったりするのも、オツなものですよ。」

とうとうわたしは観念し、次の人間が通るのを待つ事にした。

「それで良いんです。だってもう、決まってる事ですから。
 では、わたくしはこのへんで。」

男の声が次第に遠ざかって行く。
やがて最後に男は、わたしにこう尋ねた。

「そうそう、今年は昭和何年ですか?」

今年は、と答えかけた瞬間、
トンネルの奥でぽっと灯りが点った。
停電が終わったのだ。

こうして、わたしはトンネルの暗闇に囚われたまま、
停電の夜に誰かが通るのを、今夜も待ち続けている。

出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/


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