古居利康 2012年5月20日

スメタニ  

           ストーリー 古居利康
              出演 清水理沙

そのことについて
かあさんととうさんが話すとき、
かならずふたりの声はささやき声になって、
表情がどんよりしてくる。
漫画で言えば、背景と人物にタテの線が
何本も重なって、あたりが重くなる感じ。
わたしはいつだってそんなふうに感じていて、
こどもには事情がわからないだろう、
ふたりがそう思っていることも感じていて、
わたしは何もわからない、
ばかなこどものふりをするのだった。

そのことがじっさい、何のことなのか、
わたしにはかいもく理解不能なのだけれど、
ふたりが交わす会話のひそやかな怪しさ、
かあさんの険しい顔と、
とうさんの困惑ぎみの顔を、
ちらりと盗み見たりしてるくせに、
聞いていないふうをよそおうじぶんに、
後ろめたさを感じている

 スメタニ。

それが、そのことについて
かあさんととうさんが話すとき、
決まってひんぱんにに登場する
暗号みたいなことばだった。というか、
ふたりは、おもに、スメタニうんぬん、
という何ものかについて、ひそひそと
顔寄せ合って、どよーんとしているのだった。

 こんどスメタニが、

 スメタニときたらもう、

 またスメタニに、

そんなふうにささやくのは、
かあさんの方。どこかめいわくそうで、
こわい眼をしたかあさん。
とうさんは、スメタニのこと、ほんとは
それほどいやでもないのに、
かあさんの表情がきつくなるのを見て
こまっている、といったふぜい。

スメタニというのは、
まちがいなくよからぬもので、
かあさんと、とうさん。
とりわけかあさんに災難をもたらす
何かなのだ、とわたしは考える。
とうさんはいかにも苦りきった顔つきで、
だいたい黙ってしまう。
スメタニのなんたるかもわからぬまま、
スメタニに反発をおぼえるわたしは、
知らないうちにかあさんの味方を
しているのかもしれなかった。

 スメタニってなぁに?

聞いてはいけないと思っていた。
聞いたところで、かあさんはあいまいに
笑うか、やりすごすだけだっただろう。
ましてや、とうさんになんか、
聞けっこない。眉間にシワ寄せて、
にらまれてジエンドだ。

 そうだ、ススムさんに聞けばいい。

わたしはそう思っていた。
ススムさんというのは、わたしのおじさん。
かあさんのいちばん下の弟だ。
いつもとつぜんうちにいて、
わたしが学校から帰ると、にやにやして、
おっきなリュックのなかから
おみやげを取り出してくれたりする。

あるとき、リュックのなかから
ラムネの瓶を取りだして、わたしに言う。
「世界でいちばんおいしいのみものだよ」
よく見たら、ラムネじゃなかった。
瓶は透明で、なかみは見たこともない
青い液体だったので、いっけん、
ラムネの瓶に見えたのだ。
「のんでごらん。ただし、はんぶんだけ」
世界でいちばんおいしい、って、ほんと?
はんぶんだけ、ってなんで?
そう思ったけど、ススムさんはもう
ふたをくるくるあけている。
「ぜんぶのまないように、ね」

青いのみものをほんの少しのむ。
ほんとにおいしかった。
気がつけば、ごくごくのんでいた。
ススムさんがあわてて瓶を取りあげる。
「ぜんぶは、まだだめなんだって」
「世界でいちばんおいしいかどうか、
 もうちょっとのまなきゃわかんない」
ススムさんは、
もうふたをくるくるしめている。
「ねえさんにはないしょだよ」
そう言って、ウィンクなんかしてる。
なにこのおじさん。
たしかにすごくおいしい気がするけど、
これが世界でいちばんだったら、人生、
このさきまだ長いのに、ちょっとさびしいよ。

「この青いの、なにでできてるの?」
「遠い国の奇妙な果実」
「遠い国ってどこ? きみょうってなぁに?」

ススムさんには、いつも質問ぜめになる。
漫画で言えば、瞳のなかにキラキラ、
星がふたつみっつある感じで。
じぃっと見つめる。ススムさんは、
ちゃんと答えてくれる。
むずかしいことでも、こども向けに
へんにやさしくしたりしないで、
むずかしいままわかるように、
まっすぐ答えてくれるからすき。
だから、ススムさんなら聞けると思った。
知らなかったら知らなかったで、
かえって気楽だ。

 スメタニって、なぁに?

「スメタニ?」って言ったきり、
ススムさんは真顔で黙ってしまった。
考えこむ、というより、
時間が、かたまっちゃったみたいに。
眼玉だけ忙しく動いている。
といって、かあさんみたいな
しかめっつらではなく、
とうさんみたいにこまったふうでもなく。
いっしょけんめい思い出そうとしてるけど、
やっぱりほんとに知らないみたいで、
じぶんの知らないことを、なぜこの子は訊く、
といった顔に、ゆっくり変わっていった。

そのあと、うちでごはんを食べて、
ススムさんは帰っていった。

夜、歯みがきのとき、わたしの口もとを見て
かあさんが声をあげた。

「なに、その青いの・・」

鏡を見たら、口のまわりが青かった。
ハミガキ粉の白と混じって、
空色がかった青になっている。
ぶくぶくして口をあけたら、
舌べらが、まだみっちり青かった。

「もう。なにこの青いの」

かあさんがプンプンしている。
そのとき、いまだ、スメタニのこと、
聞いてみよう! って、とつぜん思って
スメタニ、って言おうとしたら、
口のなかにヘラみたいなものを突っこまれた。
わたしの舌べらを、かあさんが
ワシワシワシ、と、こすっている。

「なにこれ。青いの、とれない」
かあさんがためいきをついた。
舌べらがじーんとしびれていて、
スメタニ、なんてちょっと言えそうもない。
今晩はやめとこ。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/


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