直川隆久 2012年11月18日

記念日未遂

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

ええ。
その通りです。坂東蟹蔵は、昨日の午後の患者です。
はい。
開業場所ですか?
は…広尾ですね。マンションの一室です。
まあ、電話帳にもだしていませんので、ご存知の方は少ないでしょう。
うちの場合、普通の歯科医とは、患者の層が、多少違いますのでね。

「あれ?あのタレント、急に歯並びがよくなったな」と
思った経験おありじゃありませんかね。
え?ああ、そうそう、あのアイドル歌手の方ね。私の患者です
歯並びというやつは、まあ健康的にやるなら矯正治療がよいわけですが、
時間もかかるし、ブリッジというやつが目立つ。
顔が商売道具の人にはむきません。
大体は、手っとり早く抜歯して、差し歯の処置をします。
もっとドラスティックにやる場合は顎の骨を切って貼り直すか。
この場合は外科手術が必要になりますが、私は口腔外科も扱いますのでね。
要するに、すばやく治療ができ、秘密も守れる歯科医のニーズが、
一定の層の方々にはあるわけです。
まああれだけあからさまに治しておきながら
秘密も何もないという話もありますが。ふっは。

同業の仲間にはね、この仕事を“金のため”と割り切っている者も多いけれども、
私は違います。歯そのものに、ひどくひかれるんですな。
興奮するといってもいい。
はっきりいって、気持ち悪いですな。口の中の眺めというのは。
ためしにぐっとこう歯をむいて写真をとり、
その目を隠して口元だけ見てごらんなさい。
生々しくケダモノと言う感じがして、実にあさましい。
そこが、まあ…好きなのですね。
歯列というのは、一般には整然と並んでいるものが美しいとされるわけですが、
長年この仕事をしていますとね、ただ「きれい」なだけの歯というのには、
興味がもてません。意外性がない。
むしろ、乱調のものがいい。乱杭の、犬歯と前が完全に重なって
表から見えない歯が裏に隠れているようなのは、
隠匿、という文字が浮かんで、ことに好きです。
――ま、私はやや特殊なほうかもしれませんが。
だから、治ってしまうと、やや残念です。
…とはいえ、私は、腕はわりにあるほうでしてね。
そのおかげでまあ30年、この道でやってこれました。
ふっは。

口コミというやつで、私のところにはいろいろ著名な方が治療にこられます。
そういう患者さんを長年扱っておりますと、だんだん貯まってくるんですな。
なにが?
歯ですよ。歯。処置するために抜いた歯です。
海外でも評価の高い映画監督の第一小臼歯、
売り出し中のグラビアアイドルの第二大臼歯、人気漫才師の前歯。
といった具合に。
記念に持って帰りたいという人にはもちろん、さしあげますがね。
そうでなければ、こちらで持っておくのです。
 
で、思いついたのです。
これで、人間の歯並びをひと揃え作ってみたら面白いんじゃないかと。
ぜんぶ、違う人間の歯でね。
むろん、簡単ではない。
ワンセット歯並びを完成させようと思えば32本の歯が必要です。
だがもし完成すれば、ひとつの口の中に、32人分の有名人の歯がならんでいる。
もちろん、歯の大きさはバラバラですから、きれいな歯列じゃない。
虫食いで汚らしい歯もある。でも、そのがたがたの、ぐしゃぐしゃが、
なんというか、一種おぞましくて、ああいう一見華やかだけれどその実は…
という世界の縮図として、悪くないんじゃないかとね。
 
それを思い立って、全体の8合目あたりまで来るのに、
まあ、10年がところかかりました。
そうそう旨い具合に欲しいポジションの歯はそろわないのです。
特に上の犬歯は頑丈な歯で、そうそう悪くならないので抜きに来る人も少ない。
交通事故を起こしたロックミュージシャンの手術をしたときに、
初めて手に入りました。
そして、残るのは左側の上の親知らずだけになったのですが、
ここからが長かった。3年待ちました。
何度か親知らずの抜歯の患者はきていたのですが、
みんな歯を持ち帰りたがりましてね、手元に残らなかった。
で、ついにきた。それが坂東蟹蔵だったのです。
ひどく親知らずが痛むので、なんとかしてほしいという話でした。
ところが患者が来てみると…
あにはからんや…左側ではなくて、右側だったのです。
これにはがっかりしました。期待が大きかっただけに…
いや、ご存知のとおり、この歌舞伎役者、
若気のいたりで悪さをいろいろとしておりましたからね。
「親知らず」とはなかなかシャレがきいている、
ぜひ欲しいと思っていたのです。
手に入る、と思っていたものがそうならなかった場合、
落胆はより激しいものです。
レントゲンを撮ってみると、右上の親知らずの根っこが、
上顎洞という頭蓋骨の中の空洞につき出て、その内部が化膿しているという状態で、
全身麻酔の手術が必要な状態でした。
で、蟹蔵氏をベッドで寝かし、手術を開始しました。
右側の治療…歯肉と顔の肉の接合部分を切開したのち、
顔の肉をめくりあげまして、そこから頭蓋骨に穴をあけ、
上顎洞の中をがりがりと掃除…ああ、説明はよろしいですか。
ともかく。こちらの治療はつつがなく終えました。
で、そこで終わればよかったのですが…
まあ、やはり、どうしても欲しくなってしまったのですな。
左上の親知らず。
蟹蔵氏は寝ています。

蟹蔵氏の親知らずは、ほぼ真横に生えていましてね。ペンチでは抜けそうもない。
私は、ドリルを手にとってしまっていました。
ふだんなら、そういうヘマはやらないんですが、
嬉しさのあまり焦っていたんでしょうな。
つい、顎の骨が断裂するほどドリルをあててしまった。
が、さいわい、親知らずは、無傷で取り出せました。
で、まあ、彼が目がさめてからえらく問題になりまして――
このように警察の方がいらっしゃっていると…まあそういうわけです。
 
いやあ、あの歯が滞りなく手に入ったら、いい記念日になっていたのですが。
ふっは。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/


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One Response to 直川隆久 2012年11月18日

  1. kana says:

    守哉さん大好き!
    声がいいし、これからも頑張って!

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