磯島拓矢 2013年8月4日

「花火」

         ストーリー 磯島拓也
            出演 地曵豪

ドーンという花火の音で、生後7カ月の子どもが目を覚ました。
僕の腕の中で激しくむずかる。
花火を見せたくてやってきたのに、
寝ていてくれた方がラクだな、と思ったり。
明らかに矛盾している。
大人は実に勝手だ。

起きてしまった彼は泣くというより、いつものように唸りはじめる。
ドーン!と花火が上がって「うう~」。
バーン!と花火が散って「ああ~」。
このような声を「喃語(なんご)」と呼ぶことを最近知った。
乳児たちの、言葉になる前の言葉だ。

妻は彼が唸るたび「そうね~キレイだね~」と応えているが、
彼が「キレイだ~」と話しているとは限らない。
こちらは日本語、彼は喃語、通じないのだ。
実にもどかしい。

たとえ喃語であっても、ただの唸り声であっても、
彼が僕に話しかけてくれるのはうれしいものだ。
何か伝えたいことがあるというのは、素敵なことだと思う。

花火が上がる。
首が座りはじめた彼が大きくのけぞって空を見上げる。
「うえ~」と唸る。
妻が「そうね~すごいね~」と応えている。
しかし彼が「すごい」と言っているかどうかわからない。
僕らに喃語は難しすぎる。

もうしばらくして彼が日本語を話し始めた時、
きっと喃語は忘れているだろう。
僕たち大人が、そうであったように。
喃語は、書きとめられもせず、ただただ消えてゆく言語だ。
そう考えると、ちょっと切なくなる。

花火が上がる。
彼は僕に抱きつき「あが~」と唸る。
「ハイハイ大丈夫」妻が彼の背中をたたく。
彼女は同時に、子どもの様子をケータイ電話の動画におさめる。
これが唯一の喃語の残し方だ。

しかし数年後、彼にこの動画を見せても、
喃語を翻訳してくれないだろう。
この時何を言っていたのか、覚えていないだろう。
喃語たちは、その意味を明らかにすることなく、
ただただ思い出の中に存在する言語だ。

花火が終わり、駐車場までぞろぞろと歩く。
興奮しているのか「ああ~」「うう~」「おお~」と、
彼は話しかけてくる。
「楽しかったか?」「ちょっとくさいだろう。これ火薬っていうんだ」
「日本の花火は世界一らしいぞ」
僕は応える。
通じてはいないだろう。
ただ、お互いに伝えたいことがあることだけは
伝わっているといいなと思う。

数年後、彼の喃語を
かけがえのないものとして思い出すのかなあ、
なんてことを、柄にもなく考える。
だからもっと話せ、今しか話せない言葉を話せ、と言いたいのだが
帰りのクルマの中では、寝ていてくれた方がラクだな、と思う。
明らかに矛盾している。
というか、大人は勝手だ。
ゴメンな。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/


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