中山佐知子 2014年3月39日

その山里は風の谷にあって

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

その山里は風の谷にあって一年中風が吹いていた。
南と北に山が迫っていたので
風は季節によって東西に流れる川の上流あるいは下流から吹きつけ、
日によっては家の土台を揺るがせるほどになる。

どうしてこんな住みにくい土地にわざわざ住まうのか
村のはじまりは今となっては知る人もいないが、
ただひとつわかっていることは
風の谷から北の山を抜けて伊勢の神宮に通じる山道があり、
途切れ途切れのその道を案内できるものは
風の谷の村人に限られるということだった。

南朝北朝と天皇がおふたりもおわすいまの世に
伊勢の殿さま北畠は南朝の指揮官だったので
村長(むらおさ)の家にはたびたび見知らぬ顔の滞在客があった。

ある日、しゃらんしゃらんと控えめなと杖の音を立てて
ひとりの山伏がやってきた。
尊い御方であるとの噂もあったが
気軽に山を歩いて薬草を集めたり
病人のいる家を見舞って祈祷をしてくれるので
大人は勿体ないありがたいと手を合わせ
山伏の姿を見て天狗だ天狗だと怖がっていた子供たちも
次第に慣れ親しんで一緒に山へ行くようになった。

ある日、山伏は子供たちに相撲を取って遊ばないかと誘った。
着物を破くと怒られるから嫌だと子供のひとりが答えると
山伏はその相撲ではないと笑いながら
そこにたくさん生えていたスミレを摘んだ。

スミレやエンゴサクの花をからませて引っ張り合う
みやびな花相撲というものを
子供たちははじめて知ったのだが
食べたり薬にしたりする以外の植物に関心を持つことや
スミレの花をつくづく眺めて美しいと思うこと、
そして、その花を自分の手で散らす哀れさも
花相撲と一緒に教わったのだった。

春が過ぎようとする風の夜
じゃらん、じゃらんとまた杖の音を聞いた。
こんどはたくさんの杖だった。
じゃらん、じゃらん。
音は山に吸い込まれるように遠ざかっていった。
大人たちは目を伏せて口を閉ざしていたが
あの山伏の御方にお迎えが来たのだと誰もが思っていた。
そして次の日、本当に山伏の姿は消えていた。

次の春には
都の御所に斬り込んで三種の神器のふたつまでを奪い返した南朝の皇子の噂が
風の谷にも伝わってきた。
皇子は討死にしたとも吉野へ逃れたともいわれ、真偽のほどは定かでなかった。

風の谷の子供たちは
ときおりあの杖の音を思い出すことがある。
御所を襲うほどのことをするのはやはり天狗ではないか。
天狗なら空を飛んで、もう一度ここへお戻りにならないか。
そんな夢のようなことを考える。

伊勢のスミレはいまでも太郎坊と呼ばれている。
太郎坊は天狗の名前でもある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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