川野康之 2015年5月10日

1505kawano

自分のお尻を見たことがありますか

        ストーリー 川野康之
           出演 遠藤守哉

自分のお尻を見たことがありますか。
いえ鏡でじゃなくて直接にです。
ないですよね。
体の構造から言ってそれはむずかしい。
多分ふつうの人は一度も自分のお尻を見ないまま一生を終わる。

別にそれはそれでいいような気もしますが、
でもお尻の気持ちになって考えてみてください。
それはちょっとさびしいのではないか。

人間の体の中でお尻ほどむなしさを抱えたパーツはないだろうと思う。
人の後ろに、人の下に、いつでもお尻はそこにいる。
どこに行く時でもお尻はついてくる。
なのに人はお尻を一度も見たことがない。
その存在を意識することすらほとんどないのだ。

どんなに晴れた日でも、初夏の風がさわやかな日でも、
お尻はパンツとズボンに覆われていて、
薄暗く湿った空気の中で、息をひそめている。
お尻に光をあてられることはめったにない。
思い出してみてください。
今までに一度だって、自分のお尻を太陽の光にあてたことがありますか。
お尻もたまには新鮮な空気に触れてみたいだろうし、陽の光を浴びてみたいだろう。

「頭隠して尻隠さず」、という言葉がある。
物陰から生白いお尻が露わに見えているビジュアルは、
想像するだけでも恥ずかしい。
世の中のものを悲劇的存在と喜劇的存在に分類すると、
お尻は明らかに喜劇である。
泣いている赤ん坊に「お尻」とつぶやくと、泣き止んで笑い出します。

笑われるのはいいんです。
でも隠されたり無視されるのはいや、とお尻は思う。

お尻が生白いのはお尻のせいじゃない。
太陽の光にあたったことがないからなんです。

お尻は顔がうらやましい。

ある夜、人が寝静まるのを待って、お尻は顔に話しかけた。
「おい、顔」
最初のうちなかなか気づかなかった顔は、やっと、返事した。
「なんだ、お尻か。きみ、しゃべってたのか。ぶつぶついうから、おならかと思った」
そう言ってぷっとふきだした。
「いや笑ったりしてすまない」
「話がある」

顔とお尻はひさしぶりに駅前の屋台で一杯飲んだ。
一つのベンチに背中合わせに座っている。
体の構造から言って、お互いに向かい合うことはできないのだ。

「おれの人生って何だ」
お尻は話し始めた。
「おれは生きていると言えるのだろうか。
 おれの毎日はいつも人の目に触れないところに隠れて、
 パンツのしみを眺めているだけだ。おれは存在していると言えるのだろうか」
顔は黙って聞いている。
「顔、お前はいいなあ、個性があって。人間の顔は一人一人みんな違うんだ。
そうだろ。おれはどうだ。お尻なんてみんな同じじゃないか」
「だってきみはお尻なんだぜ。お尻ってことが個性じゃないのか」
「その通りだ。泣いてもいいか」
背中を通してお尻のむせび泣くのが伝わってきた。
顔は胸の奥がちりりと痛んだ。
お尻はいつもそこにいたんだ。
なのに自分はちゃんと見てやったことがない。
いや、ときどき彼の存在を忘れていた。
恥ずかしいと思うことだってあった。
背中からお尻のさびしさが伝わってきた。
自分は今までお尻を、お尻の気持ちを、
お尻の存在をあまりにも粗末にしてきたのではないか。
お尻だって人間なのに。いや人間の一部なのに。
お尻、すまない。
顔はお尻を抱きしめてやりたかった。
だけど体の構造から言ってそれはできない。
そのとき、お尻が言った。
「おれは顔になりたい」

男は目が覚めた。
寝相が悪かったのだろうか、背中が痛い。
きのうは酒を飲まなかったはずなのに、なぜか二日酔いがする。
顔でも洗おう。
ふらつく足で洗面所に行って、鏡をのぞいた。
顔がない。
正確に言うと、顔の位置に顔じゃないものがある。
お尻だった。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 


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