中山佐知子 2016年10月30日

nakayama1610

尾張の尾の字は

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

尾張の尾の字は尻尾の意味だそうだ。
確かにその先端は知多半島であり、
尻尾のように海に張り出している。

10世紀が終わろうとする平安時代中期に
この尻尾の国に地方官僚として派遣された男がいた。
名前を藤原道綱といった。
三十代半ばの年齢だった。

道綱の父は摂政関白太政大臣藤原兼家、
ときの権力の中枢にいた人物だ。
母は地方官を歴任した下級貴族の娘だが
蜻蛉日記の作者として知られている。
つまり両親ともに有名人だ。

母が書いた蜻蛉日記は
夫の兼家に対する赤裸々な嫉妬と愚痴の日記で、
かまってもらえないと拗ねまくる様子まで
恥ずかしげもなく書き散らしている。
ひとり息子にも平気で泣き言をいったし
ときには夫との駆け引きの道具にもした。
蜻蛉日記には道綱のことを
「おとなし過ぎる息子」と書いてあるが
道綱は父の政治手腕や母の文才を受け継がなかったかわりに
母のヒステリーを忍耐強く受け止められる人物に
成長したと思われる。

さて、道綱は父や腹違いの兄弟が順調に出世するのに較べて
30歳を過ぎるまでパッとしなかった。
「あっ、まだきみがいたのね」とやっと認識されるような、
目立たない尻尾のような存在だった。
30歳になっても下級貴族で、
32歳でやっと従三位、35歳で正三位。
特権階級の端くれに列せられてから
尻尾の国尾張の地方官にわざわざ任命されるのは
おまえは尻尾だというあてつけにも思えるが、
前任者が法外な税金を徴収して百姓に訴えられ、
クビになったのちの後任なので
ここは人柄を見込まれての人事だと考えていただけると
道綱くんのためにもたいへんありがたい。

道綱は腹違いの兄道隆や弟道長ほどの活躍もしなかった代わりに
権力を争うこともせずに無事な一生を送ったらしい。
母が綴った蜻蛉日記は道綱にひとつの贈り物をした。
ご存じのように蜻蛉日記の作者の名前は「藤原道綱の母」である。
これによって道綱の名前は
日本の文学史になぜか燦然と輝いている。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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