川野康之 2017年2月19日

kawano1702

ピスタチオ男

   ストーリー 川野康之
      出演 遠藤守哉

ピスタチオ男のことを聞いたことがありますか。
ピスタチオ男は、いつもポケットにピスタチオを入れていて、
ぽりぽりと齧っている。
彼の名前は誰も知らない。どこに住んでいるのか、
どんな職業をしているのか、誰も知らない。
彼はとつぜんふらりと現れる。

ある時、ピスタチオ男はLAの郊外にあるゴルフ場のクラブハウスに現れた。
その日プレーを終えたデレク・ブラックモア氏は、
バーのカウンターに寄りかかって虚ろな表情をしていた。
「もう二度とゴルフはやらない」
という誓いを彼はさっき18番ホールの池のそばで
生涯三度目に立てたところだった。
友人たちは彼をそっとしておいてやることにして、
先に帰ってしまった。
バーテンダーもクラブの支配人もみんな声がかけづらい様子だった。
そのカウンターにつかつかと歩み寄る男がいた。
男はためらうことなくブラックモア氏の隣に座ると、ビールを注文した。
つまみは頼まない。
なぜなら彼のポケットの中にはピスタチオがたくさん詰まっていたからである。
「ゴルフがうまくなりたいかね」
男は単刀直入に声をかけた。
傷ついた心というのはそっと触られると返って痛みが増すものである。
ぐさりとナイフを入れられたときは、不思議なことに痛みを感じない。
ブラックモア氏が声を出せないでいると、
男は、ポケットからピスタチオを握りこぶしいっぱい取り出して、
目の前のカウンターにざっとぶちまけた。
「練習場に行ったらボールの代わりにこれを打つといい。
 初めのうちはまったく飛ばないだろうが、
 うまく当たるとこんな小さな豆が100ヤードも飛ぶ。
 ほんとうだよ。ボールペンがあるかね」
バーテンダーがくれたボールペンを持って、
ピスタチオ男はブラックモア氏の右手に小さな点をマークした。
「この手がクラブヘッドだとすると、この小さな点がエンジェルスポットだ。
 どんなクラブにもじつはエンジェルスポットと呼ばれる
 特別な一点があるんだよ。ボールペンの先っぽぐらいの小さな点だけど。
 正確にここに当てることができると、
 小さなピスタチオが100ヤード先まで飛んでいく。
 まるで羽根が生えたように。まるで命を与えられたみたいに。
 1ミリでも外れると1ヤードも飛ばない。粉々に割れてしまうこともある」
ピスタチオ男は話を続けた。
「エンジェルスポットで打つことさえできたら
 ゴルフボールのコントロールなんて自由自在さ。
 そしてエンジェルスポットで打てるようになるために一番いい方法が
 ピスタチオを打つことなんだよ」
ここまで一気に言ってしまうと、ピスタチオ男はおいしそうにビールを飲んだ。
ブラックモア氏はあっけにとられて黙っていたが、
虚ろな目が鋭くまたたいて、
その奥でさまざまな考えが巡り始めたのがわかった。
「どこにあるんだね?その、私のクラブのエンジェルスポットの位置だが・・・」
「打ちながら探るしかない。それもゴルフボールじゃだめだ。
 もっと小さくてもっと軽いものを」
男は自分のビール代をカウンターに置いて立ち上がった。
「1年間、ピスタチオだけを打つこと。絶対にボールを打ってはならない。
 それができるかね」
そう言ってピスタチオ男は去った。
あとに残されたブラックモア氏は、じっと自分の右手を見つめていた。

支配人の話。
「うちのクラブハウスのバーには近所の住人も飲みに来るんですが、
 あの男を見たのは初めてでした。 
 ベーカーズフィールドあたりのピスタチオ農家から来たのかもしれません。
 あの時はそのうちピスタチオを1年分売りつけようとするのではないかと
 ハラハラして見ていたのですが、そんなことはありませんでした」

バーテンダーの話。
「ブラックモアさんは気の毒でした。
 お友達たちに話したところ、
 おまえはピスタチオ男にからかわれたんだよとさんざん笑われてしまい、
 腹を立ててほんとにゴルフをやめてしまったそうです。
 あんなにゴルフが好きだったのに。
 ピスタチオ男を見つけたら私がぶん殴ってやりたいですよ」

ピスタチオ男については次のような目撃話も報告されている。

アナハイムのエンジェルスタジアムでのこと。
試合前にエンジェルスが練習しているのを
スタンドからじっと見ている男がいた。
男はポケットのピスタチオをひっきりなしに食べていた。
グランドでは強打者マイク・トラウトが打撃練習をしていたが、
その日は調子が乗らず、球が思うように飛ばないようだった。
ピスタチオ男がベンチのそばに降りてきて声をかけた。
トラウトは練習を中断し、2人はフェンスをはさんで
しばらく言葉を交わしていた。
やがて打席に戻って練習を再開すると、
トラウトのバットがそれまでにない快音を立てはじめた。
打球はまるで羽根がはえたように優雅な放物線を描いて
外野席に飛びこんで行った。

またある時はベーカーズフィールドの牧草地でのこと。
1台の軽飛行機が不時着した。飛行中に機体の不調を感じたパイロットが、
念のために緊急着陸したのである。
エンジン、プロペラ、翼と点検したが、原因は分からないようだった。
そこへ一人の男が近づいてきた。
男はピスタチオを食べながらパイロットに話しかけ、
そのまま二人はのんびりと世間話を始めた。
しばらくして修理を終えたパイロットが飛行機に乗り込み、
エンジンをかけた。
飛行機は軽快な音を立てて、元気よく青空に飛び立って行った。
ピスタチオ男がそれを見守っていた。
プロペラが巻き起こした風で、
男の手からピスタチオの殻が舞っていたという。

ところで、その後ブラックモア氏がどうなったのか、
気になる人も多いのではないだろうか。
最近聞いたところによると、
ブラックモア氏はかのゴルフ場に再び姿を現したらしい。
実に一年ぶりだということだ。
プレーの終わりに、18番ホールの池にクラブセットをすべて投げ込んで、
「ゴルフはもう二度とやらない」と生涯四度目に宣言したという。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 


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