坂本和加 2018年3月25日

島のこと。

   ストーリー 坂本和加
      出演 地曵豪

その島の2月の平均気温は、23℃。
一年でいちばん寒さが厳しくなる季節に、
ハイビスカスやブーゲンビリアが咲き誇る。
海は美しいコバルトブルー。運がよければドルフィンスイム。
とれる魚はおいしく、温泉も湧いている。
東京から、飛行機で2時間半。日本人なら一度は訪れたい、
パスポートのいらない、最高のリゾート地。

もしも、戦争がなかったら。

島にはちいさな集落があり、
そこにはひとの営みがあるはずだった。
さとうきびやレモングラスの栽培などの一次産業も
いまごろ観光誘致にひと役かっている。
島で暮らすお年寄りたちは、
英語と日本語がまざった不思議な方言を話す。
笑い声はいつも大きい。
僕の、おばあちゃんみたいに。
彼女だって。硫黄島で暮らしているはずだった。

もしも、戦争がなかったら。

11才の少女はどんな気持ちだっただろう。
ある日突然、もうここに住んではいけないと言われ。
家も畑もおいて、強制疎開の船に乗ったと聞いた。
1100人ほどの村民のうち100人ほどが軍属として
煮炊きのために残るように言われ、
少女はそれきり、父と兄と再会することはなかった。
旧島民たちとその家族は年に1度、墓参のために帰省する。
そこで暮らした先祖と、武器ももたず殺された家族のために。
僕は遺族として年に1度、硫黄島に帰る。
島民だったかもしれない僕は、ふるさとでは、遺族と呼ばれる。

もしも、戦争がなかったら。

島の写真は、たぶんもう何千枚にもなっている。
祖母の家があった場所。こっちは、よく遊んだ場所。
ここは学校があった。手元にあるのは、草むらの写真ばかりだけれど。
硫黄島はこわい。行く前は僕もそう思っていた。
いまもそうかもしれない。でもそれ以上に、知りたかった。
たくさんあったわかったことのひとつに、
帰ってしばらくして出会った気持ちもあった。
ふつう自分の先祖をそんな風には思わないと思うけれど。
会いたかった。そうか僕は、会いたかったんだ。

もしも、戦争がなかったら。

僕は硫黄島で、暮らしていただろうか。
この村で大きくなり、ひとを好きになり
すり鉢山に自転車でデートに行くような、青春があっただろうか。
そんな想像は不謹慎かもしれないけれど。
僕はやっぱり硫黄島に、
あったかもしれない未来を想像してしまう。
いまとちがった未来を探せたんじゃないかと考えてしまう。
祖母に聞いた戦争の始まる前の、島の話。
のんびりとした時間が、流れていた頃のこと。

もしも、戦争がなかったら。

硫黄島の緑、その多くはギンネムだという。
ネムノキに似た白くかわいい花。美しいが、駆除に手を焼く。
種は米軍によって戦後、まかれたものだ。
ここで生活を再開できないようにするため、とも、
日本兵の亡骸を見ないで済むようにしたとも言われている。
島にはあちこちに石碑が建っている。
慰霊碑は日本語で。占領記念碑は、英語で。
硫黄の蒸気を出しながら、島は隆起をつづけている。
島の面積は父島を抜いて、小笠原諸島最大となった。
遠くで鳥の声はするが、動物の気配はしない。
ときどき空に轟く爆音は、自衛隊の輸送機や訓練機。
基地で出会った、見るからに健康そうな二等空佐の若者は、
志願して、硫黄島にやってきたという。

もしも、戦争がなかったら。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html


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