直川隆久 2021年10月16日「凧」

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

あの日も、こんなふうに、空が高い日だったですよ。
ぼく、荒川の河川敷で凧をあげてたんです。
当時はやっていた…ゲイラカイト、ってわかりますかね。
そうそう、あの、デカい目玉が描いてある、ビニール製の、凧。

その日はね、土曜日だったんだけど、朝からいい風が吹いてましてね。
学校から帰って、ランドセルおいて、凧もって、
とびだして、河川敷に行きました。
当時はまだ土曜日は半ドンでしたから、小学校も。

こりゃあ高く上がるんじゃないかと思ってたんだけど、案の定。
助走して、ぱっと手を放したら、とたんにすーっと、
すごいスピードで凧、空にのぼっていきましたね。
ぐんぐんぐんぐん上っていってね。凧糸もびーんと張りっぱなし。
もう、下手したら、
風でこっちの体が持ってかれちゃうんじゃないかと思うくらいで。

凧はどんどん小さくなってね。
ありゃあ、いったいどれだけの高さに行ったのか、と思ってると、
またひとつがくん、と糸が引っ張られた。
上空では、すごく強い風が吹いてるみたいでね。
体が引きずられ始めた。
ずるずるずるずる、そのまま何十メートルか…
わ、こりゃ、やべえ、と思ってたら、自転車止めがあって、
そこにがんとぶつかってようやく止まりました。
で、あわててそこに紐をくくりつけた。
ものすごい力が要ったけど、なんとかくくり終わって、へたりこんじゃった。
糸はもう、びんびんに張ってますよ。

えらいもんだなあ、と思って空を見上げてるとね。
後ろに、だれか立ってる感じがした。
振り向いたら、同じクラスのコズミが立ってた。
コズミって、なんか、いつもぼろっちいカッコしてて、
暗い顔してるから、あんまり友達いないやつでしてね。
お母さんが早くに死んだとかで、
お婆さんと二人で暮らしてるって話でした。
凧?って訊くからね、うん、て答えた。
すげえ、っていいながらコズミは、糸の先を見上げ、
自転車どめにくくった糸を見て、また、空を見て、って繰り返してるんです。
こっちも居心地わるくなってね、貸してやろうか、って言ったんです。
そしたらね、うなずいて…
うなずくだけで、ありがとう、も何もなかったけどね。
自転車どめの方に歩いて、くくってある糸をほどきにかかりました。
で…
気ぃつけろよ。体がもちあがるぞって言おうとしたそのときですよ。
コズミの体がうわっと空へ持っていかれた。
ほんと、なんていうか、ふわーっと、持っていかれたんですよ。
たいへんだ!…と思ったときにはもう…
糸の端っこには手が届かなくて、
コズミはビルの4~5階くらいの高さにいた。あっという間に。

もう、どうしたらいいかわかりませんよ。
おーい、コズミ、降りろよー
って叫んでもね、返事しないんだ。
落ちたら死ぬ高さですよ。
見てるだけで、金玉のあたりがすーっと冷たくなる。
ぼくも、わけわかんなくなってね。
ばかやろー。って怒りだした。
ばかやろー、おりてこい。
コズミは、なにも答えなかった。聞こえてるのかどうかもわからない。
ぼくも半泣きになりながらね、
おりろよー、って。
おりろよー、おまえんちの婆さんにいいつけるぞー
て、意味わかんないこと言ってた。
でも、効果なしだ…効果なしどころかね、
コズミは、凧糸を手繰って上に、上に行こうとしてるんですよ。
なにやってんだよー、かえれなくなるぞー、って叫んだんだ。
そしたら、コズミの声が聞こえました。
いいよー、って。
いいよー。
コズミの、あんな明るい声、聞いたことなかった。

そのまま、どんどん…どんどん小さくなっていくのを、追いかけました。
カナブンくらいの大きさのが、もう、アリみたいになって…
そこで川にぶつかって、それ以上進めなくなった。
糸にぶら下がったコズミはそのまま、ずーっと流されて行って…
見えなくなった。
河原でぼくは、どうしたらいいかわからなくて、ただ、泣いてました。
泣きながら、泣いたって意味ないよな、ってわかってはいましたけどね。
でも、泣くよりほかにできることがなかった。
水辺の芦の茂みが風であおられて、ざーざー鳴ってたのを覚えてます。

コズミの行方はそれきりわからないです。
警察も四方八方探したみたいだけど、遺体も出てこなかった。
ただ、僕のゲイラカイトだけはね、
10キロほど離れた中学校の屋上で発見されたそうです。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 


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