中山佐知子 2021年11月21日「酒杯」

酒杯

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

村上天皇の孫にあたる姫君で
伊勢神宮の斎宮になったかたがいらっしゃった。
斎宮は神に仕える巫女、というよりは
神の意思を天皇にお伝えする媒体のようなものだった。
神は決して言葉を発することはない。
ただ姫君の肉体を使って意思を示すのみだった。
この姫は11歳で斎宮に選ばれ、13歳で伊勢へ来た。
お名前はよし子。
その事件が起きたときは26歳だった。

夏の終わりの嵐が吹き荒れたその日、姫君は突然狂気に陥り
わたしの身体に神が取り憑いたと訴えはじめた。
自分の言葉は神のお言葉である。
その言葉を天皇に伝えよ。

お言葉はおおむね次のようなものだった。
その一、斎宮の長官夫妻が自宅で勝手に神を祀り
偽りの教えで人々を惑わしているから直ちに流罪にせよ。
その二、都でも狐を伊勢の神と称してあやしい宗教を広める輩がいる。
しかるべく取り締まれ。
その三、天皇が伊勢神宮の神を蔑ろにしている。
その四、伊勢の民を殺した犯人の処罰があまりに遅いのは
行政の怠慢である。

神のお言葉としては具体的すぎるようにも思えるが、
これは伊勢神宮代表の姫君が天皇に仕掛けたケンカである。
知らせを受けた朝廷は上を下への大騒ぎになり、
事情聴取や処分の決定が今度ばかりは迅速に行われた。
天皇は陰陽師や胡散くさい祈祷師をおそばに近づけて
明らかに伊勢の神さまを粗略にしていたが、
あわてて反省の態度を示した。

さて、11歳で両親から離され
神にお仕えしてきた姫君が
このように世間を知った行政批判
や不正の告発をなさるのは
不思議なことだと誰もが思う。

斎宮の姫が神がかりを装って告発するだけの情報が
どこからやってきたのかは謎のままだが
その勇気がどこからもたらされたのかは判明している。
姫は神がかりになってお言葉を発せられている間、
何杯も何杯も杯を重ね
酒をお飲みになっていたことが記録されているからだ。

この事件がひとまずの決着をみたのは
夏が過ぎ、秋も深まった旧暦の9月だった。
思い出せば、13歳で都を出て近江から鈴鹿を越え
赤や黄色に色づく山の木々を眺めながら伊勢へ旅をしたのも
この季節だったが
天皇にケンカを仕掛けて勝利したこの年の紅葉ほど
思い出深く美しいものはなかったと想像される。

姫君は31歳で斎宮の役目を終えて都へ戻られた。
46歳のときに右大臣藤原教通の妻になっているのをみると
政治家の妻として優れた素質があり、
しっかりしたお人柄だったことが想像される。
大酒飲みだったという記録はない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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