
乱歩とポーと漱石と
ふと 思い出したことがある
怪人二十面相 対 名探偵明智小五郎
あの少年探偵団シリーズの一冊を
図書館で借りて読んでいたとき
母親がこんなことを言ったのだ
「江戸川乱歩っていうこの名前はね
エドガー・アラン・ポーというひとの
名前をもじって付けたのよ」
小学生のこどもに教えるには
どれだけの教育的価値があるかも知れず
母親はさらにこんなことまでも言った
「二葉亭四迷というひとの名前はね
文学なんかやって 役立たずめ
くたばってしまえ と
父親に言われたから付けたのよ」
どうして 母は小学生にこんな話をして
なぜそれを 僕はいつまでも憶えているのか
考えれば不思議で もしかしたら
夢だったのかも知れないと思ったりする
ポーの「黄金虫」などは中学で読み
高校では エドガーとアランの登場する
「ポーの一族」に衝撃を受けて
くたばれ とも言われることなく
大学で文学をやることになるわけだけど
ポーが どれだけ偉大な存在だったか
図書館の蔵書を開くたびに知ることになる
漱石も鴎外も 芥川も朔太郎も
エドガー・アラン・ポーが 日本の
近代文学に与えた影響は計り知れない
なんてね おかあさん
いまになって思ったりするのです
だからきっと あれは夢じゃなくて
案外そのくらいの 小さなエピソードが
人生のヒントとか お守りとかに
なったりするのかも知れない
たとえば 漱石の「硝子戸の中」
こどもだった「私」は 昼寝をすると
よく変なものに襲われがち で
あるとき 自分のものでない金銭を
多額に使ってしまった 夢にうなされ
苦しくて耐えられず 母親を呼んだ
母はそのとき 微笑しながら
「心配しなくてもよいよ お母さんが
いくらでもお金を出してあげるから」
漱石も どこまでが夢かわからないと
書きながらも 幸せなエピソードとした
これはいい思い出だな 羨ましいくらい
ずっと 心の奥のほうに仕舞われて
宝物になっただろう
文豪のこの宝石にくらべれば
僕の小さなエピソードは
河原の小石くらいのものだけれど
なぜか 忘れずにいて
なにか 意味があるような気がしている
たとえば コピーライターになった僕に
あるヒントをくれた とでも考えれば
これも母からの贈り物だろうか
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出演者情報:一倉宏 https://www.instagram.com/ichikuracopy/
