直川隆久 2013年2月17日

砂漠にて

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

茫漠たる砂の海を、もう何日歩きづめだろうか。
地平線を目でなぞり、集落はないかと探す。

と、視界の端に、地表から立ち上がる直線を見た気がして、ぎょっとする。
私はナップザックから双眼鏡を取り出す。
直線、すなわち構造物。
そんなものが、まだこの世に存在しているのか。あらゆる都市が壊滅し、
人間のほとんどが死に絶えたこの世に。

もう一度双眼鏡をのぞく…棒の上に、赤い光と…その横には、緑の光。
信号だ。
――信号?
この砂漠の真ん中に?

何ヶ月ぶりかで人工物を見た。
なぜそんなものがあるのか、それはわからないがしかし…
誰かが、何らかの目的で設置したことは確かだろう。
私の目は人間の影を求めて動くが、人間はおろかハゲタカ一羽飛んでいない。

それにしても――砂漠に立つ信号なんて、
まだ文明があった時代には滑稽に思えただろう。
だが今は!
この赤い光はなんと心に温かいことか!
私は魅入られたように、その信号に向かって歩を進める。
交通規制!
なんて懐かしい響き!
方向も変化もなく、ただただひろがる砂。砂。砂。
その無意味さに、私はもう耐えられなくなりそうだったのだ。

意味、目標、方向づけ、ルール。
そういったものがなければ心の平安がえられない。
やはり私は都市に適応した生物だったのだと痛感する。

そのとき、ぐらりと足元の地面が揺れた。

信号の下の地面が小山のように盛り上がり、
象の皮膚のような質感の巨大な肉の塊が姿を見せた。
そのてっぺんから信号が生えている。
私の足元に直径10メールばかりの黒い穴がぼかりと空いた。
足の下の砂が、奔流のように、その穴に流れ落ちて行く。
しまった…
そうか――この信号は、いわばチョウチンアンコウのチョウチン――
誘引突起だったのか。
スナクジラとかいう化け物の噂を、ずいぶん昔、聞いたのを思い出す。

私は、地すべりのような砂の流れと一緒に、
その得体の知れない生き物の口に飲み込まれてゆく。
文明消滅後の人間心理まで利用するとは、
自然の叡智というやつはまったくはかりしれない――

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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佐倉康彦 2013年2月10日

補色、不調和

    ストーリー 佐倉康彦
       出演 岩本幸子

それは、
随分と前から私に送られていた。
そのシグナルは、
何度も、その輪郭や匂いを変えて、
繰り返し、繰り返し私のもとに
届いていたはずなのに、
私は気づかなかった。
正確には、
気づかないふりをし続けてきた。
かたちや匂いや、その温度は、
送られる度に変わっていたけれど、
色だけはいつも同じだった。
どこまでも深く押し黙ったままの、
吸い込まれるような青。
きょうも、
私のどこかが感じはじめていた。
なのに意識を押し曲げて、
斜めにして、
歪めたまま、
真逆を向いて遣り過ごす。
いつのまにかそれは、
私のもとから後退り、静かに霧散する。
着信を報せるLEDの青く凍った点滅が、
ゆっくりフェードアウトし、沈黙する。
消えた光の行き先は私にもわからない。
ただ、その光の残像が、
治りかけていた傷口のむず痒さのように
私を甘く幽かに擽る。
瘡蓋を剥がしてしまえば、
その朧気な感覚は、
小さな痛みに変わるはずだ。
そして、
そこから赤い滴が膨らみ、
大きく盛り上がり、
いずれ傷口から流れはじめる。
思わず爪を立ててしまいそうな
自分を制して
私は、フリーズしたまま立ち竦む。
まだ、前に進むことはできない。
20メートルほど先で佇む、
もう一方の私は
真っ赤な光の中から、
こちら側を睨め付けている。
じきに青い光につつまれることを
予感しながら。
それまでは、
ここから一歩も前には進めないことを
私は思い知っている。
私に送られてくる青いシグナルは、
赤い赤い私を補ってくれるのだろうか。
それは、きっと叶わない。
あまりに純度の高い青は、
真っ赤な私のそばにいることを
許されないだろう。
その青と
わたしの赤のせいで
眼も心も眩む。
外科医の羽織る手術着の薄い薄い儚げな青色は、
流れ出た赤の、残像を消してくれる。
そう、血の色は、消せる。
だから、
私には
もう、濃密な青はいらない。

出演者情報:岩本幸子 劇団イキウメ http://www.ikiume.jp/index.html

 

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中山佐知子 2013年1月27日

マドリードの冬の寒さは

            ストーリー 中山佐知子
               出演 大川泰樹

マドリードの冬の寒さは東京と変わらない。
そこから63キロ離れたロブレド・デ・チャベラは
山と山にはさまれて標高が高く空気はもっと冷たい。

この牧歌的な町の面積は軽井沢の3分の2くらいで
住民は4000人。軽井沢の5分の1だ。
ちゃんと数えて較べているわけではないが
あたたかい家に暮らす人間の数よりは
吹きさらしの山や森に棲む野ウサギやキツネの数が
圧倒的に多い。

この町にNASAが宇宙と交信するための追跡ステーションが存在するのは
湿度が低い高原地帯であることや
なにしろ人が少ないので、邪魔になる電波の発生源も少ないという
恵まれた条件がそなわっているからで
追跡ステーションの巨大な5つのアンテナは
たえず宇宙からの声に耳をすませている。

そのアンテナのひとつが、
牡牛座の方向から聞こえるかすかな声をキャッチしたのは
2003年1月のことだった。
それは出力わずか8ワットの電波に乗って
太陽系の果てから11時間かけてやってきた。

パイオニア10号だ。
ステーションは静かな興奮につつまれた。

1972年に打ち上げられた惑星探査機パイオニア10号は
もともと2年足らずの寿命で設計されていた。
それが、30年後のいまでもこうして電波が届く。
時速5万キロで太陽系の外へ漂流しながら
パイオニア10号はまだ生きている。
NASAの技術者たちは口笛で犬を呼ぶように
ときおり強力な電波で呼びかけてはその奇跡を確かめていた。

2000年8月、2001年4月、2002年3月、
パイオニア10号は呼びかけに答えた。
それは小さなニュースになった。
2002年の7月になると通信能力は限界まで弱り、
たとえ返事が聞こえても
意味のある言葉を聞き取ることはできなかったが
しかしそれでも
太陽系を去ろうとするパイオニア10号の声を
最後まで追う努力はつづけられていた。

2003年1月、
マドリードから63km離れたロブレド・デ・チャベラの寒空から
パラボラアンテナが拾い出した声は
もう何を言っているのかわからないかすかな声だったが
パイオニア10号が122億km離れた地球に
自分のアンテナを向けて振り返ったことを意味していた。

言葉はわからなくても、どんなにかすかなつぶやきでも
声が届くことの重大さを、世界はそのとき知ったのだと思う。

それがパイオニア10号の最後の挨拶になった。
2003年1月22日の山も森も寝静まった静かな晚だった。

その翌月
2003年2月にNASAはもう一度呼びかけを実行したが返事はなく
パイオニア10号との交信は途絶えたと発表した。
けれどそれから3年後の2006年3月、
NASAはいま一度パイオニア10号に交信のこころみをしている。

3月といえば
マドリードから63km離れたロブレド・デ・チャベラでは
コウノトリがアフリカから渡ってきて巣づくりをはじめる。
コウノトリは鳴き声を持たず
ただクチバシをカタカタと鳴らして信号を送るそうだ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

 

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直川隆久 2013年1月20日

負ける男

         ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

高原。あえて言葉を選ばずに言おう。
俺はおまえに死んでほしい。
娘の愛美が、“会わせたい人がいる”と俺に言ってきたときから
いやな予感はしていたんだ。
年が離れてるとはきいてたが、
まさか自分の同い年の男が来るとは思わないじゃないか。
正月早々、とんだご挨拶だ。
さらに、あろうことか、おまえだなんて。
なんでおまえなんだ。
忘れたとは言わせんよ。
30…32年前か。
山岳部のアイドルだった平岡祥子をかっさらって行ったのは、
おまえじゃないか。

就職活動の時期が来ても、
七大陸最高峰無酸素登頂の夢を語るおまえを、おれは疎ましい思いで見ていた。
就職活動に駆けずり回っている俺を、バカにされているような気がしていたんだ。
だから最大手都銀から内定をもらったとき、俺は、勝ったと思ったよ。
だからその日におれは、平岡に告白した。
で、手痛くふられたよ。好きなのは、高原君ですってな。

平岡は、そのことは言っていたか。なかったか。
まあ、そうだろうな。
おまえがどういうつもりかしらんがな。
その時点で、おまえは俺に借りがあるんだよ。
借りだろう?借りだよ、そんなものは。
卒業後もおまえは結局就職せず、
個人的にスポンサーを集めながら冒険旅行を繰り返してたな。
熊みたいなお前の容貌は安心感を与えるんだろう、
スポンサーにも人気があった。
おまえ達夫婦がときおりテレビ番組で取り上げられるたび、
俺は見ないふりをするのに必死だったよ。
なぜって? 
おまえは俺をみじめにさせるんだよ。
冒険ができない俺を、人生にせよ山にせよ、
確実なルートでしか登攀できない俺を。
 
そうやって、前途洋々のおまえだったじゃないか。いつの間に別れたんだ。
平岡祥子と。

…癌?

それは知らなかった。
苦しんだのか。
…そうか。
しかし、それにしても…おまえはどこまでも主人公だな。

愛美とはどこで知り合ったんだ。
環境保護NPOの事務局で…?
ライチョウの写真を見せて話しているあいだに意気投合、だと?
ふん。紋切り型だな。まったくもって紋切り型だ。
だから、そんな団体に出入りさせたくなかったんだ。
おまえ達のそういうところが、俺は嫌いなんだ。
その、自分の純粋さを疑わない感じが。
のほほんとしたおまえらのとばっちりを受けるこっちの身にもなれ。
なにがライチョウだ。
なんだ。不満か?
おまえのストーリーの中では、俺は悪役だろうな。
や、誰が考えてもそうさ。
年の差を愛で乗り越えようとしている二人の前に立ちふさがる
保守的な親父という構図だ。
自分の無粋さも自覚できない、イタい男さ。
だがな、俺の人生は映画じゃない。
客のものじゃない、俺のものだ。俺が主人公だ!
ものわかりのいいふりをする気はないんだ。

ああ…。

…なんで、愛美はおまえみたいなくだらないのにつかまったんだ。
と言えればラクだろうさ。
2年のとき――槍ヶ岳で高山病にかかってふらつく俺を、
おぶって下山して、俺を責めるような目をただの一瞬もしなかった――
おまえがそういう男でさえなけりゃ、ラクだろうさ。

なんで、そうやって何度も俺に負けを味わわせるんだ。
ちくしょう、大きな声をださせやがって。愛美にきこえるだろう。
おい。そんなふうに、困った顔で、頭をかかえるんじゃない。
泣きたいのは、こっちなんだよ。
 

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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薄景子 2013年1月14日

ミャーミャーミャーコ

       ストーリー 薄景子
          出演 石橋けい

さかみちくだった かどっこの
ちいさなちいさな たばこやに
ミャーコという名の ネコがいた

いねむりだいすき ヤンばあさんの おとなりで 
ミャーコはいつも おみせばん

まいあさとおる ペペじいさんは
まいあさミャーコに ごあいさつ

おはようさんさん ミャーコさん
きょうのてんきは さんざんじゃ

ミャーコはどんな おてんきだって
ミャーミャーミャーと ごあいさつ

となりとなりの ロロちゃんも
がっこうがえりに ごあいさつ

ミャーコちわちわ こんにちわ
きょうのおうたは ロンルラロン

ミャーコもまねして ミャンミャミャミャン
うたえなくっても ミャンミャミャミャン

せっかちロードの ググさんは
いつもいそいそ ごあいさつ

ハロハロハロー グッバイバイ
ミャーコとしゃべる じかんはないよ

ミャーコはちょっぴり はやくちで
ミャロミャロミャローと ごあいさつ

みんなのあいさつ きいてるうちに
ミャーコはミャーミャー かんがえた

せかいでいちばん あいさつを
しっているのは このあたし 

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

ミャーコはたばこや とびだして
さかみちあがって おかのうえ
デブネコ ドンに 声かけた

ミャーミャーミャーミャー 
ミャーミャミャミャー

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

デブネコ ドンは ムクッとおきて
こわ~いかおして こういった

ひとをジャマする ときはなぁ
おジャマしますと いうんだぜ
ミャーミャーいってる あいさつじゃ
ジャマジャマジャマで しかたねぇ

ミャーコはせなかを まあるくちぢめて
そろそろそろっと にげてった

もりにはいると カーカーカー
まっくろカラスの がっしょうだん
ミャーコもうたって ごあいさつ

ミャーミャーミャーミャー 
ミャンミャミャミャン

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

まっくろカラスは カーカーカー
ミャーミャーおまえは うるさいぞ
カーカーきいたら かえれよカー

ミャーコはすりすり あとずさり
もりをぬけだし やまのなか

おおきなやまで ただひとり
やまにむかって さけんださ

あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

おんなじことばが こだまして
あるかし あるかし ららららら

そらはまっかな ゆうやけで
やまにひびくは こだまだけ

ミャーコはちょっぴり こわくなり
たばこやむかって いちもくさん

やまおり もりぬけ さかくだり
やっとついたよ たばこやさん

いねむりだいすき ヤンばあさん
おやおやムックリ おきている

ミャーコがいなくて たいへんと
おやおやねないで おきている

ヤンばあ ヤンばあ ヤンばあさん
あたしのしらない あいさつは
この世のどこに あるかしら

ちいさなミャーコを ぎゅっとして
ヤンばあさんは めをとじた

ドックン ドックン ドックンクン
きこえてくるのは むねのおと

ドックン ドックン ドックンクン
きこえてくるのは ヤンばあさんの むねのおと

ミャーコや よおく おぼえておいで

いちばんだいじな あいさつは
ココロのおくに あるんだよ

いちばんだいじな あいさつは
ココロのみみで きくんだよ

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

 

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福里真一 2013年1月13日

カムチャッカの若者

        ストーリー 福里真一
           出演 大川泰樹

まさか2013年の新年早々、こんな奇跡的な出来事が、
しかも日本で起こるとは思わなかった。

あの、カムチャッカの若者と、メキシコの娘が、
日本のとある神社の境内で、すれちがったのだ。

そう聞いて、
ぴんとこない人には、解説が必要だろう。

ふたりは、谷川俊太郎さんの、
「朝のリレー」という詩の中の登場人物だ。

詩の中で、きりんの夢を見ていたカムチャッカの若者は、
いまは動物園につとめていて、
現実のきりんに、ほとほとうんざりさせられているという。

詩の中で、朝もやの中でバスを待っていたメキシコの娘は、
その後、お金もちと結婚したおかげで、
もうバスを待つ必要はなくなった。
基本的に、移動はタクシーの場合が多いらしい。

このふたりが、
それぞれの事情で今年のお正月を日本で迎えることになり、
それぞれが泊まっているホテルに近い、
山王神社に初詣にやってきて、
そこで奇跡的に、すれ違うことになったのだ。

しかし、
残念ながら、そこで劇的なことは何も起こらなかった。
ふたりは、何らあいさつを交わすこともなく、ただすれ違っただけだった。
お互いが、同じ詩の中の登場人物であることを知らなかったので、
これは仕方がないことだ。

ただ、この事実を知っている我々だけが、
この奇跡に、新年早々何やら幸先のよいものを感じ、
心ひそかに、喜ぶことができるのだ。

ちなみに、
カムチャッカの若者は、自分が詩の中で、
カムチャッカの若者と呼ばれたことに、不満を抱いているらしい。
カムチャッカという言葉の響きが何となくおもしろいからというだけで、
カムチャッカの若者などと呼ばれたのではないか、という疑いを、
いまだに捨てきれないでいるのだ。
別に普通に、ロシアの若者、でもよかったのではないかと…。

もし彼が、神社の境内で、メキシコの娘に気づくことができていたら、
彼女とその話題で、ひとしきり盛りあがれたかもしれない。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

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