中山佐知子 2010年3月25日



花束は身代わりだ

               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

                  
花束は身代わりだ。
花束は自分の身代わりだ、と思ったのは
あの人がいなくなってからだった。

本当は自分が行くべきなのだ。
死んだ妻をたずねて死者の国へ降りたオルフェウスのように。
オルフェウスは妻を死者の国から連れ出そうとして連れ出すことができず
じわじわと心が死んでいき、それから躯が死んだ。

躯が死んで死者の国へ入ると
逢いたい人をもう一度見ることができるのだろうか。
その答えさえ明瞭にあれば
花束ではなく自分を捧げる幸福な人もいるだろうに
神話も信仰も滅びた世界では
誰もその問いに答えるものはない。
だから僕たちは花束を自分の身代わりにして
死者の墓標で祈るのだ。

けれども、花束は裏切りだ。
花束は死者への裏切りだ、と思ったのは
あの人がいなくなってからだった。

たとえ1000の花を束にしても
根を切られ、命を絶たれたた花々が
地の底に眠る人の行方をさがし当てるすべはなく
空に昇った人に会う道を見つけることもない。
だから僕たちは安心して花束を死者への贈りものにする。

けれども
いつか僕は暗くて長い道をひとりで歩くことになるだろう。
その道はどこまで歩けば終わるのかもわからず
どこまで連れていかれるのかも定かではない。
引き返す方法もない。
そんな道をひとりで歩く日がやってくる。

そのとき
暗くて長い道を歩いている僕に誰かが花束を贈るだろう。
あの人が死んだとき僕がそうしたように
僕がいなくなったことを喜ぶ誰かが
たくさんの花束を僕の墓標に置くだろう。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2010年2月25日



風の娘

               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

風の娘をつかまえた。

ナイルでは冬になると風は海から吹き上げる。
その風の助けを借りれば
舟は水の流れに逆らって川の上流へと進む。
けれども風は気まぐれで
ぱたっと止んでは舟を止めることがあったし
悪い方向に吹くこともあった。
それでもこの土地では
数千年の昔から三角の帆を張った舟をナイルに浮かべ
人と物資が行き交っていた。

僕は風の娘を舟の舳先に繋ぎ
マストを高々と立て、新しい帆を張った。
風の娘は喜んで白い帆に力を与え、舟を上流へと導いた。

パタパタと帆がはためく音が聞こえる。
頭の上はひとかけらも雲のない青空だった。

ナイルはエジプトの国土をふたつに分けている。
東の岸辺には人々が暮らしを営む生者の街があり
陽の沈む西の岸辺には岩山ばかりの死者の都があった。
ナイルは雨のない国に大量の水を与え
穀物が取れるようにした。
洪水でさえ土地を肥やし、天文の知識を与えた。

けれどもこの国には無慈悲なほど資源というものがなかった。
金銀銅は産せず宝石もなく、武器をつくる鉄もなかった。
あるのは石と紙ばかりで
舟にする木材さえ、結局はよその土地から
舟で運んで来なければならなかった。

僕は冬のあいだナイルを行ったり来たりして暮らした。
ワイン、豆、黒曜石に象牙、金や銀
舟はいつも豊かな積み荷であふれ、僕は幸せだった。
けれどもそれはナイルの水運があっての豊かさであり
そのナイルも風がなくては何も運べないのだ。
エジプトでは冬が終わると悪い季節風がやってくる。
さよなら、と風の娘が言ったとき
僕は娘の名前をたずね、その名前を舟の名前にした。

それから、僕の舟は
風のない日でも下降気流をつかまえて川を遡るようになった。
僕はときどき声に出して舟の名前を呼ぶ。
美しい弧を描く船体に高々とマストを立て
白い三角の帆を揚げた僕のファルーカ。

ファルーカという名前は
いまナイルに浮かぶすべての舟の名前になっているけれど
その名を呼ぶとき、僕はいつも
長い髪をなびかせていた風の娘を思い出す。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 10年2月20日ライブ



アラスカの雪の上で 

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹

アラスカの雪の上で僕は生まれた。
僕の母さんはカリブーだった。
だから僕はいまでもきっとカリブーの姿をしているのだと思う。

僕には双子の妹がいた。
カリブーは普通一頭しか子供を生まないからこれは不思議だ。
もしかしたら、僕は生まれてすぐに母を亡くして
そばにいた雌のカリブーを母さんだと思いこんだのかもしれなかった。
双子の妹は僕より何時間かあとに生まれ、
生まれてすぐにオオカミに見つかった。

カリブーの群れにはいつもオオカミがつきまとい
弱ったカリブーや生まれたてのカリブーが狙われる。
僕と母さんは走って逃げることができたのに
妹は僕たちに追いつくことができなかった。

そうして、妹はオオカミに食べられて
オオカミのカラダの一部になったけれど
熊になるカリブーもいる。
人間になるカリブーだってときどきはいる。
オオカミの食べ残しはキツネやコヨーテがきれいにしてくれる。
僕たちはアラスカの、
肉を食らうあらゆる生き物を養っている。

それから、僕たちは草を食べる生き物を養うこともできる。
カリブーのいる土地が豊かなのは
何万年も昔からしたたりつづけたカリブーの血や
ツンドラに層をなして埋もれている毛や骨や角のおかげだ。
その土から草が生え花が咲き
僕たちはその草を食べて命をつなぐ。
カリブーもまたカリブーを食べているのだ。

冬が終わると、僕たちは北の平原をめざして1000キロの旅をする。
アラスカの北極海に面した東には
カリブーが子供を育てる楽園があって
旅の途中で生まれた子供もこれから生まれる子供も
みんな一緒にブルックス山脈を越え、氷の川を渡る。
小さな群れはやがて千頭の群れになり、
1万になり、10万の群れに膨れ上がって平原を埋め尽くす。

僕たちの行く手にはいつもクマやオオカミがいる。
人間は銃を構えて待ち伏せている。
けれども僕たちは生まれ落ちた瞬間から死を恐れることがない。
カリブーにとって自分の死は大きな事件ではなく
夢から夢へジャンプするような出来ごとに過ぎない。
僕たちはアラスカだから。
アラスカのすべてがカリブーなのだから
僕たちはあらゆるものに自分の血と肉を与えながら
頭と角を高く上げて旅をつづける。

やがて夏が来て、ツンドラの凍った土が少しだけ緩むと
ローズマリーやワタスゲ、ポピーやファイヤーウィードが咲いて
楽園は花で埋まる。
その花々もまたカリブーの一部なのだということを
僕は、生まれる前の夢で知っていたと思う。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2010年2月ライブ



一軒宿の日記            

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹
                      
目が覚めたら、障子は明るいのにポタポタと雨音が聞こえていました。
雨音というより雫の音です。
2階から見ると、狭い道を隔てた共同浴場の屋根が白く光っていました。

雪、と僕は日記に書いたけれど本当は霜でした。
今朝は大霜です、と宿の女将さんの高い声が
階段を降りる僕の肩に刺さって、
僕は日記のウソを知られたかとうろたえました。

川沿いの一軒宿から見る景色は、その霜の朝を境に一変しました。

葉を落とした落葉樹は小骨のような枝がくっきりと見えてきました。
川も涸れて細い流れの両側には
あばらが浮き出るように大きな石が顔を出しました。

山も川もすべての罪をさらけ出して眠っているようでした。
僕もよく眠っています。
もう何日も眠りつづけています。

あなたがいなくなってから
あなたがこの世界から消えてから
僕ははじめてやすらかな日々を過しています。
あなたのカラダはもう僕を置き去りにすることはなく
あなたの心はどこにも飛んでいかない。

あなたの眼はもう誰も見ることがなく
あなたの手は誰にも触れることはない。
僕はすっかり安心して白いお湯の中で手足を伸ばし、
あなたを忘れる時間さえ持てるほどです。

お湯の湧く川の向こう岸には
石垣を組んで何軒かの家がうずくまり
そばの畑からここ何日か籾殻を焼く煙が登っています。
籾殻はじわじわと蒸し焼きにすると黒い炭になり
燃え過ぎると白い灰になると教わりました。

僕はきっと、いっぺん灰になってしまったんだ。
そして、灰ではないものに再生するために
この一軒宿にやってきて
心のアリバイを日記に書き続けているのだと思います。

籾殻の煙が消えると
西の空だけが不思議と明るく
ものの輪郭が不確かになる夕暮れがやってきます。

僕があなたの首に手をかけたとき大きく開いたあなたの眼
あのときの眼が日記を覗きこむ気配を感じるのも
そんな夕暮れです。

あなたはその眼を、もう一度眠らせてもらいたいですか。

日記の中の僕は
いなくなったあなたを悲しんでいるけれど
日記を書いている僕は、
何度でもあなたの眼を閉ざすことができます。
それほど僕は、あなたの眼を愛しています。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2010年2月20日ライブ



この宇宙に生まれたすべてのものに 

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹清水理沙

 この宇宙に生まれたすべてのものに刻まれた
 たったひとつの言葉がある。

 会いたい。会いたい。

 だから、ビッグバンがはじまったとたんに
 素粒子と素粒子は出会って陽子と中性子になり
 陽子と中性子が出会って原子核になった。

 原子核は4000度の熱のなかで電子に出会って
 はじめての原子になり
 その原子からこの世のすべてが生まれた。

  会いたい。会いたい。
  酸素は水素と出会って水になり
  炭素と酸素の出会いで二酸化炭素ができた。

  会いたい、会いたい。
  地球に存在した最初の2種類のバクテリアは
  ある日、不思議な出会いをして
  ひとつの細胞で一緒に暮らしはじめた。

 会いたい、会いたい。おまえを食べるために。
 あまりに多くの命が生まれたカンブリア紀は
 ついに生き物が生き物を食べる世界を生み出した。

  会いたい、会いたい。おまえを愛するために
  植物は風に花粉を運ばせて
  目指す相手にたどりつくすべを覚えた。

 会いたい、会いたい

 おまえを憎むために
 17世紀のヨーロッパでは
 4万人の魔女が曳きずりだされて火あぶりになった。

  会いたい、会いたい
  あなたを殺すために。
  1991年、5つの民族と4つの言語をもつ旧ユーゴスラビアでは
  市民が市民を虐殺しあう戦争がはじまった。

会いたい。会いたい

自分がひとりではないことを知るために。

会いたい、会いたい

 生きるために。
 愛して憎んで殺して
 もう一度ひとりになるために。
 そうしてまた会いたい。
 この世のどこかにいる人に。

会いたい

 この言葉はあらゆるものに刻みこまれ
 すべての物質の法則になって宇宙を支配しつづけた。

 だから、会いたい
 この言葉がある限り
僕はおまえを求めずにはいられない

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
      清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

Tagged: , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2010年2月20日ライブ


できれば土に
                
           ストーリー 中山佐知子
              出演 清水理沙

できれば土に埋もれたいと思っている。
壁になりたいと思っている。
できれば息もしたくないけれど
小さな女の子だからどうしてもため息はでてしまう。

なれるものなら透明人間になりたいと思っている。
でも、小さな女の子だから
もとにもどる方法がわからない。

本当は何もしゃべりたくない。
石だから、壁だから、土なのだから。
しゃべろうとすると泣いてしまうから。

心が重くなって固くなって
びしょ濡れになって寒くなって
笑えなくなって、しゃべれなくなって
臆病になって
自分がここにいてもいいのかいけないのか。

みんなの視線と言葉がきっと針のように痛いけど
泣きそうな自分を隠しておくために
凍りついた目を大きく開いている。

どうしてそうなってしまったのか
どうして自分がいまそうなのか
きっかけは5分前でも、
原因は100億光年も彼方にあるから。
どうしてもわからない、わかりたくない。

泣かない小さな女の子はいつもそうして震えている。

年を取った大人はそれを見て
拗ねているとひと言で片付けてしまうけれど
そういう自分の心のなかにも
きっと泣かない小さな女の子がいて
誰にも気づいてもらえないまま凍っている。

誰の心のなかにも泣かない小さな女の子はきっといる。

僕は、そんな小さな女の子の手を取って
あたたかい場所へ連れ出すことのできる
小さな男の子になりたいと思う。

出演者情報:清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ