田中真輝 2022年2月20日「冬がやってくる」

冬がやってくる

   ストーリー 田中真輝
      出演 地曳豪

ディミトリは窓の外をひらひらと舞い落ちる、
無数の白い切片を眺めている。幼い彼は思う。
今年初めての雪だ。もうそこまで冬がきている。

「冬がやってくる」
市場に出かけた父親が帰ってきて母親に告げた。
そんなこと見ればわかるのに、と思ってディミトリは
ちょっとおかしくなった。

ディミトリは雪が降るのを眺めるのが好きだ。
じっと見ているとだんだん目がおかしくなってきて、
なんだか気持ちがぼうっとしてくるから。

暖炉には赤々とまきが燃えていて、
その前に座る父親と母親がその陰を床に長く落としている。
二人とも、何をするでもなくぼうっと火を見つめている。
なんだかちょっと変、とディミトリは思う。
毎年、雪が降りだすずっと前から、大人たちは忙しく動き出す。
長くて厳しい冬を乗り切るための準備を始めるのだ。
暖かいわらくさを敷き詰めた小屋に家畜を追い込み、
しっかりと燻した肉や魚を天井から吊るす。
もちろん、家の周りには屋根まで届くほどたくさんのまきを積み上げる。
ディミトリは、舌が凍り付くほどの寒さは嫌いだったが、
たっぷり準備をして冬を迎える気持ちは好きだった。

そして雪に埋もれた家の中、ひっそりと息を潜めて日々を過ごす。
暖炉の前の父親の膝の上で、母親の胸の中で、
うつらうつらしている間に、いつの間にかまた春がやってくる。
それがディミトリにとっての冬だった。

でも、今年は何かがおかしい。
赤く燃える暖炉の前に座ってぼんやりしている父親と母親。
いつもは天井から木立のように吊るされる肉や魚が見当たらない。
窓の外、降りしきる雪の中でうずくまるいくつかの黒い影。
あれは、うちの家畜だろうか。

「冬がやってくる」
どうしてそんなあたりまえのことを父親は言ったのだろう。
そういえば、父親は市場に手ぶらででかけ、そして手ぶらで帰ってきた。

窓についた雪が少しもとけていないことにディミトリは気づく。
こんなに部屋は暖かいのに。空からひらひらと舞い落ちてくる
この白いものは、もしかすると雪じゃないのかもしれないとぼんやり思う。
見つめれば見つめるほど、目がおかしくなって、頭がぼうっとしてくる。
大丈夫。息を潜めて、静かに小さく丸くなっていれば、またきっと
春がやってくる、とディミトリは思う。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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田中真輝 2021年1月10日「先端」

「先端」

   ストーリー 田中真輝
      出演 清水理沙

(全編小さな声でマイク近くで話すイメージ)
しーっ。静かに。声を出さないで。音を立てないで。耳を澄まして。
いま、生まれようとしている。始まろうとしている。
耳が痛くなるほどの静寂の中に、みなぎる始まりの気配。

老いた芸術家が真っ白なキャンバスに今、初めのひとふでをおろす。
そのひとふでの前には、これまで重ねられてきた、
数えきれない筆あとが連なっている。
その先端で、おろされる、新しいひとふで。

若い宇宙飛行士が、真空の月面に今、初めの一歩を踏み出す。
その一歩の前には、太古の昔から続く、
空への思いと技術のたゆまぬ進歩が連なっている。
その先端で、踏み出される、新しい一歩。

母親の子宮から生まれ落ちた赤子が今、初めの一息を吸う。
その一息の前には、星の起源から、連綿と続く命の営みが連なっている。
その先端で、吸い込まれ、吐き出される、新しい一息。

はじまりは、ただぽつんと突然、はじまりはしない。
海面を漂う氷山が、水面下に巨大な体積を隠しているように、
小さな芽吹きが、地下に細かな根を張り巡らしているように、
はじまりのその背後には、そこ至るまでの膨大な時間と無限の営みが
連なっている。

しーっ。静かに。耳を澄ませて。あなたの中にみなぎる気配に。
いま、あなたの中で、何かが始まろうとしている、そのかすかな予感は
ただ、どこからともなく、ふわりと舞い降りた花びらの一片ではなく、
永遠に積み重ねられてきた膨大な力が、鋭く研ぎ澄まされ、
この世に突き出ようとする、その円錐の、小さな先端なのだ。

ためらうことなく、その力に身をゆだねて、
押し出されるように踏み出せばいい。
その一歩は、必然なのだから。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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田中真輝 2020年7月5日「箱空」

箱空(はこそら) 

   ストーリー 田中真輝
      出演 地曳豪

誕生日に彼女からもらった小さな箱には、
小さな空(そら)が入っていた。
休みの日、ふらりと入った店で売っていたらしい。
ありがとう、とは言ったものの、どう扱ったらいいものやら、
軽く途方に暮れた。

箱の中の小さな空は、その時間その場所の本当の空と繋がっているらしく、
窓の外で雨が降り出せば、箱の中でも灰色の雲が小さな雫をこぼし、
日が暮れれば、箱の中も夕焼けに染まった。
たまに仕事から帰って箱を開けてみると、
やはりそこには夜空が広がっており、
都会の空らしく、小さな星がひとつふたつ、瞬いていた。

ある日、戦争が始まって、
みんな地下のシェルターで避難生活を送ることになってからも、
僕の手の中には小さな空があった。彼女とは離れ離れに
なってしまったが、僕は朝な夕な箱をこっそり覗いては、
そこにささやかな慰めを求めた。

誰かが箱からこぼれる夕焼けの光に気づくまで、そんなに時間は
かからなくて、それがみんなの知るところとなるには、
それからさらにあっという間で、そして当然のごとく、
箱は僕の手元から奪われ、いさかいの中で宙を舞い、
そして幾人かによって踏み潰されることとなる。

そのとき箱から流れ出した空は、
希釈されながら浮き上がり、天井のあたりに薄くたまった。
誰かが「空だ」とつぶやいた。

薄められた、ぼんやりとした空ではあったけれど、それはやっぱり
その時間その場所の本当の空と繋がっていて、
雨を降らせ、星を宿し、夕焼けた。
そしていつしか僕らは、それを本物の空だと思い込むようになった。

誰かが、僕たちのいるこの箱を開けてくれたら、
空はここにとどまるのだろうか、それとも浮かび上がって、
本物の空と合流するのだろうか。
ここにとどまってくれたらいいのになと、僕はぼんやり思っている。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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田中真輝 2019年8月4日『花火と火花』

『花火と火花』

   ストーリー 田中真輝
      出演 西尾まり

一瞬、消えたかと思うほど小さくなった火は、
すぐに勢いを取り戻し、震えながら花開く。

細い線香の先に灯る火球(かきゅう)は頼りないようでいて、
無数の腕を伸ばして闇を押し返そうとするように力強くもある。

飛び散った火花はやがてそのひとつひとつの先に、
新しい火花を開いていく。

呆けたように見つめる子供。
その目に赤々と映る火の花、
から飛び出した光の粒子が、
子供の目に飛び込み、
眼球のガラス体を通り抜ける。

反転する世界。

網膜が受け止めた粒子が、子供の視神経を刺激すると、
刺激された神経細胞が励起(れいき)し、発火する。

それは隣へと燃え移り、
次々に神経細胞を発火させていく。
脳内に張り巡らされた千数百億とも言われる
神経細胞のネットワークを、
火花が飛び回り、駆け巡る。

初めて花火を見る子供の頭の中で、
電気信号の火花が散る。
牡丹のように、松葉のように、
柳のように、散る菊のように。

頭蓋の中を駆け巡る火花の間から
「美しい」という意識が生まれてくるのだとするならば、
飛び散る線香花火の火花の間から
「美しい」という意識が
生まれてきてもいいのではないか。

花火を見つめる子供を、花火もまた見つめている。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

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田中真輝 2018年11月4日「葉を落とす」

『葉を落とす』

   ストーリー 田中真輝
      出演 地曳豪

現在。とある中学校。
生物の時間。黒板には「葉を落とす植物」と書かれている。
「というわけで、一部の植物は、秋に葉っぱを落とします。
栄養を葉っぱから引きあげて、冬を乗り切る力を蓄えるんですね。
落ちた葉っぱは微生物に分解されて、
再びその植物が生きていくための栄養になる。
葉っぱは勝手に色づいて、勝手に落ちてくるように見えますが、
植物が厳しい冬を越えるために、
葉っぱを自分で落としている、と言うこともできるわけです。
これは生命が環境の変化にあわせて生きていくための知恵なのです」

はるかはるか大昔。とある宇宙船。
暗いコックピットの中で、疲れ果てたパイロットが
航海日誌を口述記録している。
霜がびっしりと下りた窓の外には、
青い惑星が見える。吐く息が白い。
「というわけで、我々の宇宙船が減速も、
着陸も不可能だとわかってから我々はあらゆる手段を講じてきたが、
成果は乏しい。皆で相談した結論として、
このまま目的地である惑星に不時着を試みることにした。
不時着と言うより墜落といった方が近いような無謀な策ではあるが、
もはやそれしか打つ手はない。
氷玉になり果てた星を捨てて、新しい星に向けて旅立った我々だったが、
このような結果となってしまったことが、とても残念だ。
しかし、わたしは絶望しているわけではない。
わたしという個が失われたとしても、生命そのものは自ら、
生き延びる道を見つけるはずだと信じている」

再び現在。とある中学校。科学の時間。
黒板には「小惑星」と書かれている。
「というわけで、この“りゅうぐう”と名付けられた小惑星に、
私たちの国の探査機“はやぶさ2”から分離したロボットが無事着陸しました。
この小惑星がいつ、どのようにできたのか。
また、どんな物質でできているのかを調べることは、
宇宙や地球がいつ、どうやってできたのかを知るために、
たいへん大切なことです。
一説には地球の生命の“もと”が、
このような小惑星に乗って、宇宙の果てから飛んできて、
地球にたどり着いたとも言われています。
大昔、地球に降り注いだ小惑星のひとつに乗って
飛んできた“いのちのもと”が進化して、
わたしたち人間になったのかもしれません。
わたしたちのいのちは、どこからきて、どこへいくのか。
たまには秋の夜空を見上げて考えてみるのも、いいかもしれませんね。
では今日の授業はここまで」



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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田中真輝 2018年4月8日

みちてくる

   ストーリー 田中真輝
      出演 清水理沙

朝起きて、バルコニーに出る窓を開けると、
外はただ、春だった。
緊張感のない空がぼんやりと広がっている
もやにかすむ街並みの間に、キラキラしたものが広がっている。
潮が満ちてきている。
目を凝らすと、三丁目のバス停のあたりまで、
寄せてきているのが見えた。
バス通りを行きかう車が、音のないしぶきを上げている。
自宅は高台にあるので、
満ちてくるにはまだ少し時間がかかりそうだ。

バス停に向かう階段を下りながら、
しかし、最後の三段目あたりからは、もう、海だった。
ぬるい水の中を、ざぶさぶと歩く。
いつものコンビニでいつものようにコーヒーを買う。
店内にもひとしく潮が満ち、
揺れるみなもが跳ね返す光の中で、
数人の客が雑誌を立ち読みしていた。

駅は、街のやや低いところにあるので、
バスは少しずつ深みに向かって走ることになる。
駅周辺はもう、腰のあたりまで水没していた。
散歩させているはずの犬を、抱え上げて歩いている女性がいて、
少しおかしかった。

上り列車は文字通り、ゆるやかに坂を上りながら、
街の中心部へと向かっている。
わたしは、上り列車を待ちながら、
駅の反対側のホームから発車する下り列車が、
少しずつスピードを上げながら、
水中に没していくさまをぼんやりと眺めていた。
下り列車の乗客が、大きなあくびをしたのがちらりと見えた。

会社のある街の中心部でも、ところどころに潮が満ちていて、
ああ、あそこは土地が低かったんだな、と妙に納得したりした。
会社の隣にある公園の向こうは、急な坂道になっていて、
そこには小さいけれど深々と水をたたえた海が広がっている。
一人、道を急ぐらしいスーツ姿の男性が
小走りにやってくると、その海に飛び込んで消えた。

オフィスのあるビルの三階から窓の外を眺めると、
いつも通りの風景の中に、
うららかな日の光を跳ね返してキラキラと光る海が見える。
その海の中に立って、なにかを大声で叫んでいる男性がいる。
水がどうとか、なぜあなたは、とか、
通りかかる人に向かって叫んでいる。
そこを通りがかった人々と同じように、
わたしも見なかったことにして目をそらした。
翌朝、窓を開けると、やはり春だった。
まるみを帯びた光が、街と、その間に広がる海を照らしている。
昨日より、潮が満ちている気がする。
三丁目のバス停はもう水の中だ。
この街を走るバスは、時間に正確なことで定評がある。
たぶん、時間通りにやってくるだろう。
列車は今日も走るだろう。
そして、今日も会社はある。
だからわたしは、今日も出かける準備を始める。
潮が、ゆったりと、のんびりと満ちてくる。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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