
おつかい賃
おばあちゃんちに行くのは、あまり好きじゃなかった。
うちから歩いて5分もかからないけれど。
いつも僕にやさしくしてくれるけれど。
「おばあちゃんに、これ、持ってって」
夕方になると、たまに母は、
夕飯のおかずをつめたタッパーを僕に持たせた。
おばあちゃんちの庭は、けっこう広いほうだった。
道から母屋まで40メートルほどの、ゆるやかな上り坂の庭。
季節ごとに、夏みかんやサクランボがなっていた。
枇杷の大木が、狂ったように数百個も実をつける初夏、
納屋の軒下でさえずるツバメの雛たち。
ダリアやグラジオラス、鶏頭の花に
アゲハ蝶がひらひら舞い、
実に触れただけで種が弾け飛ぶ鳳仙花の下を
青大将がくねくね逃げた。
そんな、ちょっと天国っぽい坂を上れば、
庭の広さに比べて、質素な母屋。
玄関に入ると、年寄りの一人暮らし特有の匂いがした。
でも、それが嫌だったわけじゃない。
「ゆうちゃん、来てくれた。肉じゃがか? わりぃね」
おばあちゃんはタッパーを受け取ると、
いつも僕の手に、あるものをねじ込んだ。
おつかい賃だった。
小学生のころは、千円札一枚に無邪気に喜んでいた。
学年が上がるにつれ、二千円、三千円になった。
だんだん嫌になった。
いらないって……そう断っても断っても、
「もらっとけばいいから。使わなくてもいいから」
と、ゆずらない。
母に伝えても、同じことを言った。
「もらっとけばいいから。使わなくてもいいから」
おばあちゃんの気持ちの問題らしかった。
中学生になると、五千円札になった。
いつまでも子どもあつかいされて、
馬鹿にされている気もしてきた。
おばあちゃんちの坂の庭を上るのが、億劫になった。
なるべく、弟に行かせるようにした。
高校の入学記念に僕は、
使わなかったおつかい賃を使うことにした。
地元で唯一の楽器店で、
モーリスのフォークギターを買った。2万8000円。
そのギターを抱えて、おばあちゃんちの坂の庭をのぼった。
ギターを見せて、ありがとうと言ったら、
「そっかぁ、そっかぁ、ゆうちゃん、がんばりなよ」
おばあちゃんが、ニンマリ笑った。
やっぱり使ってくれたほうが、うれしかったんだね。
そして財布を取りに行って、一万円札を渡そうとしてきた。
僕は気づかないふりをして、そそくさと出てきた。
しばらくして、おばあちゃんが弱くなった。
天国に旅立つ二日前、看病をしていた母に、
おばあちゃんはこう聞いたそうだ。
「ゆうちゃんを連れて行って、いいか?」
もちろん母は断った。
その話を聞いて、僕は全然嫌じゃなかった。
むしろ、それほどまでに愛してくれていたのかと、
感動していたんだ。
なのに、僕は、僕は、おばあちゃんちを嫌がっていた。
それは、きっと、おばあちゃんに伝わってしまっていた。
僕はおばあちゃんから、
「可愛い」と言ってもらったことがなかった。
千円札や五千円札、一万円札は、
「可愛い」の代わりの手紙だったのかもしれない。
焼き場で、骨になったおばあちゃん。
大腿骨の端っこの丸みが、白い枇杷の実のようだった。
おばあちゃんちの坂の庭から見上げた、
枇杷だった。
.
出演者情報:吉川純広 https://www.herringbone.co.jp/#home ヘリンボーン
![]()
